バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

11月30日

夜7時,ローランドで上陸したが30分前に陸地から帰艦した。非常に疲れた。

私たちはローランドで今朝8時にリプレウィールに上陸し,10時ごろに市街に着いた。しかし市街というのも名前だけであって,私たちの汽船は海岸に十分接近して碇泊することができず,端艇で上陸した。私はボロジノの将校たちと行動をともにして,ずっと彼らと散歩した。
はじめ,私たちは食事をしようとして料理店に入った。全部で6名であったが,私たちの食卓に運ばれてきたのはレモナード6壜,食餅,魚類,牛肉,大豆,小鳥,果実などで55フランをとられた。
料理店を出て,棕櫚の並木道を通って市街に出,ドイツ人の商店や天主教の会堂,二,三の村,植物栽培場などを訪れたが,時間が短く,すぐに帰途に就いた。土人の王のところと商店とに立ち寄って埠頭に戻り,ローランドに乗り込んだ。
陸地にいたのはわずか5時間に過ぎなかったが,ずいぶん疲れた。いつも運動していないせいであろう。一緒に行った者たちと二,三個所で写真を撮った。私たちはまた,フランス軍隊に勤務している黒人部落の婦人と植物栽培場の木陰で小さなテーブルを囲み,その子どもたちと一緒に写真を撮った。
この地の王の家に行ったが,そのとき王は食事中であった。後に出てきて自ら客に椅子を勧め,自分は安楽椅子に座った。王も王の家族もみな衣服を纏っていた。身体に草を下げ,仮面のように顔に彩色した黒人が粗野な楽器を奏しながらそこら中を踊った。時間がなくなり,私たちは立ち上がると王も立って握手を交わした。
王の宮殿には多くの将校たちが集まっていて,彼らは遠慮もなくその邸内を歩き回った。寡婦である女王は椅子にもたれていたが,少し酔っていて,我々の士官に対してフランス貨を恵んで欲しいとまじめに頼んでいた。
植物栽培場を散歩し,アナナス,バナナ,椰子の実などをたくさん買った。私たちがテーブルを囲んでバナナやレモン,アナナスなどを食べた植物栽培場はこの地で生まれたひとりのフランス夫人の所有になるものだという。私たちは,この家が料理店だと思って屋敷や家中を遠慮もせずに歩き回り,レモナードやその他の飲み物を注文したのだが,そこは料理店ではなく,一私人の邸宅であったことを後で知った。当家の女主人であるフランス婦人ははなはだ愛嬌があり,自分の身の上や現在フランスで教育を受けさせている娘の話などを語った。この婦人は,私たちが買った物を二人の黒人に持たせ,埠頭まで送ってくれた。
この土地一帯がいろいろな植物に恵まれていて,実に植物園の中を歩くような感じである。周囲はみな棕櫚の木,芭蕉,レモン,ねむの木,ツタ,芒果,その他バオバブ(200~600年ぐらいの寿命がある大木で,一名アンダーソン樹)という大木や数知れない花木で満ちている。これらの木々はみな枝葉が繁り,暗くなるほどに天を覆っている。しかも樹木はみな巨大である。
帰途,私たちはのどを潤すために小さな店に立ち寄ったところ,りんご酒をだされた。このように私たちは,およそ飲み物で飲まなかったものはない。
私たちは市中で売っているゴミのような粗品を多く買った。黒人の楽器,猛獣の歯で作った投槍,その他の武器類,また骨細工などである。
途中からアレキサンドルで連れてきた黒人に会った。彼はいま,私たちの間でロシア式の名前であるアンドレイ,アンドレイチと呼ばれている。

2005/11/30 in  | posted by gen

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