バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

12月12日

夜に入って天気は少しよくなった。汽船を(石炭積み込みのために)本艦の舷側に接近させたが,激しい風のために大きな波が汽船を揺らし船舷を破壊された。しかも我が艦の75ミリ砲一門を折ってしまい,その他にも擬門蓋を破損した。これは別の物に変えるか,または修理しなければならない。大砲は運送船から予備の砲を持ってきて取り替えることになる。仕事はますます多くなりそうだ。
郵便船はここに3日間留まった。天候が悪いためケープタウンに行けないからである。英国からの通信によれば,奉天で戦闘があったという。日露両軍の損害は5万に達するという。また同通信によれば,日本軍は強襲して旅順の一砲台を占領し,ロシア軍はこの砲台を爆破して日本軍に3万の損害を与えたとのことである。すべてが噂の域を出ない(長村注:もちろん,奉天会戦は翌年3月のことであるから,そのことを指しているのではない。日本軍は前月の26日から第三回目の旅順総攻撃を開始し,白襷隊の銃剣突撃が失敗に終わって大損害を蒙った。そこで乃木司令官は正面攻撃を諦め,二〇三高地の攻撃を命じ,ここでも多くの損害を出しながら12月5日に占領した。おそらくは,この戦闘の情報がこのような形で伝わったのではないかと思う)
陸上から通信があり,我々の航路に毎夜一隻の汽船が外洋に出て探照灯でその航路を照らし,来航船を追跡するという。もちろんこれは日本の雇船で我々を追跡し,あるいは何らかの損害を与えようとしている者であろう。
我が艦隊には先にも発狂者が出たが,戦艦アリョールの一士官も発狂した。運送船コレヤの水兵もまた発狂した。
英国の汽船がここに入港したが,いま出航した。ドイツの運送船は領地の人民の反乱を沈静するために軍隊を乗せてきた。
浪はまだ高く,風はなお激しく吹いている。郵便を発送することができないでいるうちに郵便船は出航してしまうらしい。この郵便物は軍隊を輸送してきた汽船に依頼すべきか。この汽船はまもなくヨーロッパに帰っていくだろう。もちろんすべてが想像に過ぎない。
私たちは何の意義もなくここに碇泊している。風はまだ強烈である。依然として交通は途絶している。私はマライヤに行かねばならない。
昨夜は荒れたが,少し静かになったようだ。ちょっと静まってはまた荒れる。

2005/12/12 in  | posted by gen

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