バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

12月31日

いま,提督と参謀将校数名がセントマリー島に上陸した。私はこの機会を利用して上陸したくはなかったので同行していない。
我が艦隊のために食料・軍需品を運送してくるはずの汽船エスペランスは今日になってもまだ着かない。この船はアングルペクウェンからケープタウンに行き,そこからここに来ることになっている。
このマダガスカルの近辺に長期間滞在するかもしれない。停泊期間は我が艦隊からペテルブルグに発した電報に対する返電の如何によって決定される。
明日,ここにフランスの一汽船が来て郵便物を集め,来月3日に出航する。
ローランドはまだ帰ってこない。他の諸艦はどこにいるか分らない。
マライヤをロシアに帰すことは決定した。この船は紅海を通って帰還することになる。この船の積載物はすべて他の船に積み替えた。艦隊から患者ならびに疲弱兵を収容してスエズを通って帰還する。これで艦隊はひとつの重荷を下ろした感じがする。

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12月29日

セントマリー島付近にいる。陸上からの通信を受け取ったが,それは公言することが憚られるような内容であった。旅順艦隊がことごとく殲滅されたのである。グロムボイは破壊された。
クロパトキンは依然として奉天にとどまって兵を閲している。第三艦隊はリバウを出航したか,あるいは出航の準備をしているというのだが,果たして本当だろうか。
こうしたことはあなたが想像する以上に侮辱以外の何物でもない。どこをみても失敗と醜怪と,あるいは妄愚と不平不和のみではないか。もちろんあなたはペテルブルグにいるので,すべてを耳にしているだろう。しかしここでは何も知らずにいて,一度にすべてを知ることになり,そのためにすべての事柄を一緒に並べて考え,自ら戦慄せざるを得ないのである。周囲はみな暗黒でただひとつの光明の影さえもないのである。我々の事業は不利不良である。非常に不良である。
ローランドは我々の錨地から100露里離れたところのタマタブ市に赴いた。ケープタウンからは病院船アリョールが新聞を持ってきた。アリョールの士官などの話では,ケープタウンには市中でかなりロシア語に通じている者がおり,これらの人々はロシアから逃れてきたユダヤ人であるとのことである。この街にはユダヤ人が13,000余りも住んでいる。彼らの多くは兵役の義務を免れるためにロシアから逃れてくるのである。ユダヤ人たちはアリョールを見ようと集まってきたので,警官に頼んで追い払った。
タマタブ市に赴いたローランドは電報でマライヤが着いたことを知らせてきた。ここにスイスの国旗を掲げたスクーナ船が来たが,海のない国の船を見るというのは,いかにも奇怪なことではないか。
マライヤは来た。艦隊からの通信にはしばしば信じられない情報もある。たとえば,今日タマタブから我々の艦隊がドルバン付近で石炭を積み込んだという電報が来た。これはまったくの虚報である。このような電報を発信するのは,英国人を騒がせ,かれらに調べさせようとする目的から出たものである。一言で言えば,英国人が中立を犯していることを自ら弁護するためである。
アリョールはケープタウンからノーオエ・ウレミア新聞およびビルゼーウィア・ウェドモスチ新聞を持ってきた。私たちはむさぼるようにこれを読んだ。

我々の艦隊はマダガスカル島とセントマリー島の間に停泊している。今日,セントマリーの陸上からこの島の一方の海岸にいずれかの汽船二隻が停泊していることを信号によって知った。我々の艦隊に電報を発したのはこの汽船ではないか。これは日本の巡洋艦であろうと思われる。
ローランドが心配である。ローランドは帰ってきていないのである。もしここに日本の巡洋艦が碇泊していたとすれば,彼らはローランドを拿捕し,これを撃沈することはたやすい。
スエズを通ってきた艦隊はマダガスカルのモザンビーク海峡(西岸)に碇泊すると思われるが,まだこの艦隊については何らの情報も持っていない。

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12月27日

昨日は定期風(時風)のために風波が激しかった。1時まで甲板にいた。
朝になって風はようやく凪いだ。
いまマダガスカルの東岸に沿って30マイルの沖を航行している。陸地ははっきり望見できる。陸地は岩石が積み重なり,懸崖となっている。
11時過ぎにスワロフの汽罐室で蒸気管が破裂し,蒸気が漏れだして汽罐の火の中に入った。機関兵の一部は石炭庫に逃れて汽罐室の戸口をふさいだ。また室内に残った火夫は他の方法で難を逃れた。

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12月26日

今日は一日雨が降った。運送船メテオルはなぜか停船した。この船は淡水運搬の任務を帯びている。戦闘艦,巡洋艦はいずれも自艦で淡水をつくるのだが,それでもたびたびこの給水船のお世話になることがある。給水船はいつも運送船に給水しているのだが,メテオルもまた他の諸艦と同様,十分に汽罐に蒸気を満たすことができないような粗悪な石炭のために困っている。
風波はますます荒れ,ある者はこれをその地方特有の暴風と言い,またある者はこれを季節的な暴風とみた。もし船舶がこの季節風の中心にいたなら,たいへんなことであろう。昔の帆船は,この風に遭遇すれば難破を免れるのは稀であったという。汽船では帆船のように恐れることはないのはもちろんであるが,しかし多くの困難があることは確かである。
今夜はまったくの暗闇である。満天が黒雲に閉ざされ,雷雨が近くに襲ってきては,また遠くに去っていく。

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12月25日

今夜,意外なことがあった。カムチャツカと信号で通話したのであるが,そのときカムチャツカはその速力のことを意味する信号を掲げた。しかし我が艦の信号兵はこれを「そちらは水雷艇を見たか」という意味に解釈した。そこで当直将校は全艦の士官を起こして急を告げ,まもなく水雷艇による襲撃が始まる,と告げた。そこで全艦に警戒を与えるラッパや太鼓が打ち鳴らされ,たちまち警戒騒動になったのである。

強風が吹き荒れ,またも恐ろしい暴風が襲ってきそうである。すでに我々は海岸近くに来ているので風のことはあまり気にすることはなかったが,風力と風向きだけには注意を払った。
マダガスカルの碇泊地までは,順調に行けば4日間の行程を残すだけである。いままでは予定より早くマダガスカルに向かって航行しているが,これは最近の追い風が功を奏したものである。巡洋艦クバニもマダガスカルで合流することになろう。クバニは我々に遅れてロシアを出発した艦で,我々を追って進んでいるはずであるが,今日に至るまでまだその艦影を見ることができない。たぶんマダガスカルでスエズを通ってくる艦隊とも合流するはずである。
天候は荒れ模様である。波はまたも高くなってきた。大西洋はいつも静穏であったが,インド洋はいつも風波ばかりである。しかしマダガスカルの東ではインド洋も静かとのことである。
室内の空気をきれいにしようとしても,1分間といえども明り窓を開けることができない。扇風機の効果は非常に弱い。

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12月24日

夜,スワロフの石炭庫から出火したが船倉内に蒸気を送り込んですぐに消し止めた。万事がうまくいった。
今日は風は凪いでいるが波はまだ巨大であって,明かり窓を開けることはできない。
アリョールは舵の機関が故障して列外に出たが,すぐに修理を終えて艦列に復帰した。

今日,艦旗を降ろす前に地平線上に煤煙に似た雲のようなものを見つけた。マライヤが艦隊に追いつこうとしているものと思う。心配は無用であろう。

カムチャツカは粗悪な石炭のために十分な蒸気を出すことができず,艦隊から遅れた。この艦の艦長は粗悪な石炭150トンほどを投棄したいとの許可を求めたが,提督は蒸気の低下は謀反兵の仕業として投棄を認めず,かえって悪者を舷外に投棄すべきことを命じた。
カムチャツカの出来事が終わるとすぐに,他艦とともに動かずに止まっているスワロフの舵機が破損した。しかしとにかくにも修理して航行することができるようになった。

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12月23日

スワロフは静かになおゆれているが,風はまったく凪いだ。8時半ごろにボロジノは舵に損傷を生じたため艦列を離れた。しかし完全に修理ができたようだ。いまは艦隊から遅れることなく並行して航行している。

今度の錨地になるセントマリー島まではまだ1,400マイルほどある。安全を見込めば6,7日で同地に到着するだろう。
夜間にはずっとマライヤに知らせる信号を送り続けたが,この船の消息はまったくわからない。もし難破したとすれば,かなり遠方になってしまっているだろう。この船の速度が遅いからである。マダガスカルに到着すれば,この船の消息もわかると思う。

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12月22日

風波は次第に凪いできた。本艦は静かにゆれている。
スワロフにはフランス人の料理人と,同じくフランス人のスチュアードが乗っているが,この料理人はビゴで船から上陸して逃げ去った。それで賄い方を料理人にしたのだが,この新しい料理人に対して皆が苦言を呈した上,ついにこの料理人を追い出すことにした。一人の士官が賄い室を監督することになり,マダガスカルで料理人を上陸させることにした。
追い風とそれに伴う波のために,艦隊はマダガスカル付近に到着する予定よりもかなり早く着きそうだ。

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12月21日

昨日の天候は実にひどく荒れた。二度とこのような天候に会わないことを願うばかりである。今日は明け方には凪いでいたが,のちに再び烈風となり,風力は11点に達した。甲板上に立っていることはできない。船の周囲は右も左も怒濤の山で囲まれているようである。波は実に40フィートに達した。12時ごろには波はますます高くなり,3,4時ごろになって猛り狂う波はその極度に達した。私はその光景を表現する言葉を知らない。
スワロフはゆれが激しく,船体はギーギーと唸るような音を出した。いたるところに防水の準備をしたのであるが,それでも海水は侵入してくる。甲板に流れ込む水は依然滝のような有様であり,室内は息苦しく居るに堪えない。空気は不潔ではないにしても蒸し風呂の中にいるようである。
海水は砲塔にまでも入り込み,機関室から全甲板上は一個所として海水が侵入しないところはない。甲板上を歩くことなどできず,波のために船の外に洗い流される虞さえある。波は砲塔からブリッジまでも入り込んでいる。風はますます激しくなり,船は大きくゆれる。波は海岸を洗うように船に侵入する。
前方を眺めれば,目前に横たわるのは荒れ狂う怒濤の巨大な壁である。船桁に吊したカッターは激浪のために粉砕され,海中に捨てられた。波がいかにすごいものであるかは,この事実を以て察することができるであろう。
スワロフの後続艦はアレキサンドルである。アレキサンドルが激浪のために高く上げられたとき,スワロフからたびたびアレキサンドルの衝角を見ることができた。また時にはアレキサンドルの艦首が波底を離れて空中に出て,その艦尾だけが波の上にあることもあった。そのときにはこちらからアレキサンドルの甲板全部を見ることもあった。
私は,最初にこれをみたときには信じられなかった。夢でも見ているように思ったものである。
ボロジノはもっともよく激浪に堪えた。烈風はますますその威力を増し,もし戦艦でも巡洋艦でも,その一隻が機関を損傷し,または舵でも壊したら,それですべてが終わりになってしまう。他の艦から補助を与えるなどは思いもよらないからである。このような場合になってしまうと,各艦それぞれ自分のことだけを考えるだけである。
ローランドはついにほとんど激浪に堪えられない状態になった。波はますます猛烈を極め,ローランドに注いでいる。波の侵入を免れようとしてローランドは全速力で猛進し,ついに我々の視界から消えてしまった。暴風も追い風で,波は艦尾から襲うので,これはうまくいった。もしこれが艦首または横舷から来た場合には果たしてどのような運命が待っていたか。
5時ごろにマライヤは機関の一部に損傷を生じた。この艦は停止したが波の上に横になって反転してしまった。この哀れむべき状態を,もしあなたが見たとしたらどうだっただろう。マライヤが海底に沈没するところを全艦隊が見ていながら何の助けも与えることができなかったのである。
波は相重なり,相追って船の上を越していった。艦隊は少しでも効果がないかと小さい帆を掲げたが何の足しにもならなかった。全艦隊は速力を落とさずにマライヤのそばを進航し,機関修繕を勧め,また険悪な天候の回復を待つことを勧めたが,そのときからマライヤを見失った。その存亡はいまは知ることができない。マダガスカルに到着するまでは何もわからない。前途ははたしてどうなるのであろうか。
インド洋も艦隊にとっては難関である。
今日も再び天候の悪化を気遣ったが,いまのところはそんなに激しくはない。昨日のような烈風はこの地方には1週間も続くことがあるという。今夜,暴風が少し凪いだときに雨が降り出し,また暴風雨になった。しかし少しの間であった。この雨がなくとも我々はかなり濡れた。
昨日,提督の食堂で朝飯の際に面白いことがあった。人々はみな順番に席に着いた。このとき波が上甲板を越え,食堂のドアがまだ閉じられていなかったために海水が滝のように食堂に侵入してきた。席に着いた者は一斉に足を縮め,水兵が水をはき出すまでその状態を続けた。
私は先にあなたに送った書面で,ペテルブルグと同じ経度を通過したと書いたが,それは間違いで,私たちは今朝の8時に同経度を通過した。

2005/12/21 in  | Comment (0)

12月20日

書面を認めようとして机に向かったが,すぐに妨げられて書くことができなかった。機関に異常な音が出たとき,すなわちスクリューが急に一度に回転を始めた時に異様な感に打たれた。これは波によってスクリューの上の水高が減ったときにその回転に対する水の抵抗力が減ったことに起因する。スクリューが全部空中に出てしまうことさえある。
波は依然として巨大である。ずっと我が艦隊を追尾している汽船は,いまその影もみえなくなった。その汽船は,夜になればまたどこかに出没するに違いない。
風は吹き荒れ,巨大な波はさらに高くなった。しかし波は順風のために船尾から襲ってくる。山のような波濤が天空をかすめるように起き,上甲板の上に襲ってくる。船体はかなりゆれ始めた。夜に入ってもし風力がこれ以上強くなれば,烈風になるかもしれない。しかし順風であることは幾分かは助かる。スワロフは快速に航行している。ゆれは大きくないわけではないが,逆風に向かって進むときのような甚だしさはない。
私の私室も,他の多くの士官の私室も甲板は水浸しである。私たちはみな足を折り曲げて座っている。海水が士官私室に入るのは明り窓の密閉が悪いのと,水線上の舷の粗悪な接合部からの浸水である。
舷側を打つ怒濤の音響はあたかも大砲を発射したときのような音である。この天候は日本艦隊も我々を襲撃できないであろうと思うほどの光景である。もちろん日本人はその汽船から水雷を発射することができないわけではないであろうが,このような海の荒れ方ではその水雷が命中するかどうかは疑わしい。汽船から射撃するなどは,もとより思いもよらないことである。
スワロフアレキサンドルボロジノアリョールなどの諸艦には多くの不完全なところを発見した。スラワの建造に際してはこれらの欠点を直すべきである。

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12月19日

とうとう12月19日(ロシア皇帝の命名日)になった。まったく思いもよらない意外の地でこの日を迎えたことになる。
私はクロンスタットでもペテルブルグでも,またツァルスコエ,セロ,タシケントあるいはボルターワに乗り込んだときのゴフランドにおいてもその祭日を迎えたことがあるが,いまは喜望峰でこれを迎えることになった。アフリカ南岸でこの日を祝うことになろうとは夢にも思わなかった。
今日は奉神礼および感謝の祈祷を行い,各艦からは祝砲が放たれた。もしこのことを知らない者が大砲の音を聞いたら,新聞には必ず戦争があったという記事がのるだろう。
まだ喜望峰にまでは来ていない。

いまケープタウンに向かって大洋の中を航行している。いわゆるアフリカ南岸の机山を望見できるが,この山はもっとも高い山の一つである。大西洋の波は実に巨大である。艦船の動揺は甚だしく,ナヒーモフドンスコイはとくに激しく揺れるさまは恐ろしいほどである。
これによって私は大洋の波濤に関するひとつの思想を得た。この波濤は普通の波浪に過ぎないが,風のない波で,その原因は数日前に吹いた風によって起こされた,いわゆる余波である。風は凪いでも海は数日間は荒れる。波は高く,かつ長い。波が寄せてくるときは海水の山脈を見ているようだ。この水の山は甲板よりも高く上がる。波の高さがときに70フィートに達することがあるというのだが,これは自ら体験した旗艦の航海長の話である。しかし書物によれば,波の最高の高さを43フィートと記している。
もし船体がこの波の上に乗り上げることが遅ければ,この巨濤の水は甲板を洗い去ってしまうだろう。
天候がよいときには,我が艦隊が喜望峰およびアガラス-一言で言えばアフリカを回るときに波はそんなに大きくはならないという。願わくはそうあってほしい。人々はみな喜望峰付近の天候を恐れている。喜望峰付近の航海の危険と,いつも海が荒れるということは,私が小さいときに読んだ本で覚えている。
日中,スワロフの甲板で水桶の遊びをした。この遊びの仕方は次のようである。まず水を入れた桶を高くつるし,その桶に穴を開けた短い板を取り付ける。遊ぶ人はこの板の下に行って長い棒で桶の下に付けた板の穴を突く。この穴に突き当たることは稀である。多くは棒が穴に当たらず桶を突いてしまうので,その場合には桶の水をかぶってしまうのである。

艦隊は海岸近くを航行している。海岸の向こうには山が連なり,暗澹たる光景を呈している。しかも樹木がなく机山は高く,しかも険しいところは他の山と大きく異なる。その険しさは,あたかも山を切り割ったようである。それが机山という名の由来である。
喜望岬は不定形な断崖で,ここに灯台がある。この岬とケープタウンを通過した。夜,アガラスの岬に達する。ここがアフリカの最南端で,ここにも灯台がある。ここを過ぎれば大西洋からインド洋に入る。ここで我が艦隊はひとつの大洋を過ぎたが,まだインド洋と太平洋が残っている。距離からすれば,私たちはいまペテルブルグからもっとも遠い位置にあって,いままでは日本からずっと離れたままであったが,これからは次第に日本に近づくことになる。
ケープタウン付近で米国旗を掲げた4本マストの巨大な帆船に出会った。この船は我が艦隊に向かって進んできた。
海上はいまだに静かにならない。巨濤は依然として我が艦を揺らしている。もしナヒモフドンスコイなどに乗っていたら,非常に心地悪い思いをすることだろう。

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19日の続き
三隻の怪しいスクナー型船が我々の艦隊に向かって進んでくるのに出会った。天気は荒れ出した。1時間もすれば我々はペテルブルグと同経度に到達する。ペテルブルグとは時刻も同じである。すなわち12時である。
海は非常に荒れてきた。アフリカを暴風に遭わずに回ることはできないとみえる。このような風波では怪しいスクナー型船に対して行動を起こすことも難しい。また,我々の艦隊と同一航路をとって追尾してくる汽船がいる。この船は最初灯火を掲げていたが,いまは灯火もみえない。いままでは月が照らしていたが,まもなく月は落ちてまったくの暗闇となった。ここでどのような危難が襲ってくるかもしれない。我が提督はレーズウィのような小駆逐艦を艦隊に加えて一緒に進めることを欲していない。小駆逐艦の一部の士官は他の艦船に移乗させられることになる。運送船マライヤ,およびクニャーズゴルチアコフも同様にマダガスカルからロシアに帰還させられる。これら運送船の機関はいずれも不完全でいつも厄介者である。
マダガスカルにおいて,全艦隊は補助巡洋艦の諸艦とともに集合する。
我々の艦隊に追尾してくる汽船がある。この船は灯火を消した。これは決して物好きにする行為ではない。最初,このような情報を聞くたびに私は胸騒ぎを覚えた。しかしいまはそのようなことはない。もちろん,これは大いに恐怖感を起こさせるものではあるが,以前のようなことはなくなった。これはどうしてだろうか。神経が麻痺してしまったのか。
ここはいま夏である。しかしそれにも関わらず,ここには南極から昨冬の氷塊を運んでくる。それで夏だというのにこの海岸にはその氷塊がやってきて,巨大な氷山をつくり,それは水面上に100フィートぐらいの高さに達することもあるらしい。

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12月17日

アングルペクウェンからマダガスカルに向かう途上にある。夜中の4時にようやく床につき,朝7時に起きた。
昨日の明け方に出航するはずであったが,濃霧のため朝10時まで出発することができなかった。霧が晴れるとすぐに艦隊は抜錨に着手した。夜,一隻の船が来航して艦隊の近くに投錨したが,この船は英国旗を掲揚していた。鳥糞積載のためにここに入港したとのことである。
我が艦隊の次の錨地はマダガスカルの一小島であるセントマリーの付近と予定されている。この島はマダガスカルの北東岸付近にある。
今度のこの大航海の航程で,わが艦隊はどのようなことに遭遇するのであろうか。

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12月16日

カムチァツカは石炭船から英字新聞を手に入れた。この新聞の伝えるところによれば,地中海航行の我が艦隊がスエズ海峡を通過する際に,紅海あるいはスエズ付近で日本艦隊に襲撃され,我が艦隊が損害を被ったという。これはもちろん新聞の誤報であろう。
ローランドは昨日外洋に出たが,これはコレラで死亡した一水兵の葬送のためであった。
いま艦隊は一切の灯火を消し,真っ暗にして航行するよう命令が出された。前にも灯火を消したことがあるがまったくすべてを消したのではなかった。艦船通行にもっとも必要とする明りも止められたが,いまはこの明りも必要とはしていない。
明朝にここから出航することが決定された。
我々はこれからマダガスカルに到着するまでの航海途上にどのような偶然に遭遇するのか,その偶然のできごとがどんなものなのかは想像することもできない。
今日は終日車を動かす栗ネズミのようにグルグル奔走した。ボロジノアリョールアレキサンドルなどの諸艦に行ったのである。ボロジノには例のように他の艦より長く留まった。ボロジノの士官の一人は石炭庫の穴に落ちて足を負傷し,ベッドに寝ている。ボロジノに行くと,いつも私に対する乗組員の親切を感じないことはない。幾度かこのことを記したが,ボロジノに行くときは喜び勇んで出かけている。
各艦の汽艇が総がかりでアリョールに錨と錨鎖の捜索に取り掛かった。今日の3時に聞いてみると再三,潜水夫を潜らせたという。

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12月15日

今日は7時に起きた。石炭船ダルトムンドに行かなければならない。同船はオスラービアに近づいた際に水線下に穴が開いてしまったのである。
海は静かになった。オスラービアも浸水したとのことなので,同艦にも行かねばならない。今日はじめて海で泳いでいるロジ(鵜の仲間)を見た。ドイツ遠征軍司令官と駐屯軍司令官が提督に会見するために来艦した。提督自らは答礼に行かれず,旗艦の艦長を遣わせた。アリョールは錨一個と40サーゼン(1サーゼンは7尺強)を落としてしまった。いま四爪錨を使って捜索中であるが,鮫が怖いので潜水夫を海中に入れられないのである。
カムチャツカの旗艦にも異常が起きたらしい。

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12月14日

昨夜の10時から午前1時までの間に汽艇に乗って諸艦を巡視した。これはまったくひとつの旅行である。
天候ははなはだ不良で波は高く,風は強く,波の飛沫を浴びるほどである。風が波を飛ばして,海一面が霧の幕で覆われてしまったようだ。汽艇は激しく各艦の間を行き交い,その艦首に波を浴び,海水は滝のように汽艇に入る。海水の飛沫は我々の眼にも入って観視も困難であった。汽艇の動揺は激しく,そのスクリューが水上に露出して空中で回転することさえたびたびあった。加えて,この夜は真っ暗であった。
私は某船に乗り移った後,カムチャツカに行かざるを得ないことになった。夜は真っ暗で,カムチャツカはどこにいるのかもわからないため,同艦を尋ねまわった。同艦は他の艦よりもいっそう陸から離れたところに碇泊していた。
同艦周囲の海上のできごとは筆舌に尽くしがたい。カムチャツカに乗り移ることはもちろんのこと,同艦の舷から種々の物品を入れて吊り下げた袋を受け取ることさえできなかった。私は雨具外套を着ていたが,それでも全身濡れ鼠のようになった。
端艇から艦に乗り移るのは実にたいへんな苦痛を伴うものであった。汽艇は激浪のために動揺し,あたかも舞い狂うような状態であったから,舷側に艇を近づけることも難しく,もちろんハシゴもその用をなさない。ただ艦から引き降ろした縄梯子が艇の上に来た瞬間にこれに引っ掛けるだけである。そのとたんに手または足を外せば,たちまち海に落ちてしまう。しかもその海中といっても艦の舷と艇との間であり,スクリューに巻き込まれたり叩かれたり,あるいは鮫の餌食になるかもしれない。昨日,一人の士官がこうした状況の中で海に落ちたが,幸いにも海水を浴びただけで無事であった。これは幸運と言える。
私もカムチャツカに乗り移るために,この冒険をし,本船から下げた縄に取り付くとすぐに艇は私の足元を離れてしまった。私は水の上に吊り降りた。昨日のことは忘れようとしても忘れることはできないであろう。今日は少し静かである。
海はまだ荒れている。私は汽船ラツエンタレルに行かなければならない。同船に故障が生じたからである。幸いにも同船に乗り移ることができ,その故障箇所を見ると,修理には少なくとも1時間はかかりそうであった。
また,ようやく汽船に乗ることができた。汽船の動揺は激しく,波に玉のように翻弄され,海水が滝のように流れ込んだ。幸いに本船の舷側から離れたが,本船から投下した綱の端は汽艇のスクリューに絡まってしまった。一時はどうなることかと思われたが,綱をスクリューから離すことができ,十分な注意を払って速度を落とし徐行しながらスワロフに帰艦した。
私が汽船から本船に一筋の縄に吊り下がって移る際に,小言を言いながらこの危険な曲芸を演じていたとき,誰かが「もし君の奥さんが見ていたら,どうだろう」などと言った者がいた。実に危険なことなのであった。

今日,この土地の知事が我が提督と朝食をともにした。知事は小汽船アレルトスワロフに来た。知事の話によると,この地でのこの程度の暴風は普通のことだという。
私は周囲の境遇にまったく飽き,非常に嫌な感じがしてきた。人々はみな,我々の航海はまったく特別の航海であり,極めて困難を伴うものだといったが,まさしくその通りである。特別の航海だが,私は海の「美観」にもまったく飽きてしまった。一日も早くこんな航海は終わってほしいと思う。私は今後一生涯船に乗りたくない。海上の生活は吐きたくなるぐらいに嫌悪感を催す。
故郷を離れての生活は,すべてが不規則である。右を見ても左を見ても破損や修繕などのできごとがないときはなく,四辺ただ破壊を見るだけである。
私が時に一種の感情に打たれて筆をとることさえもあるのは,すでにあなたが読んでいる通りである。このような状況の航海をするのは智恵あるものの仕事ではない。いまこのことは万事において歴々と認められるものである。

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12月13日

依然としてここに碇泊中である。強く警戒しながらここにいる。探海灯は周囲の海を隈なく探照している。
ここには我が艦隊と艦首を並べ2隻の島嶼巡航船が停泊しているが,これは英国船である。地図を開いてどこをみても,たとえ小さくとも英国の領地が見えないところはないということには驚かざるを得ない。このアングルベクウェンも前に英国領であったものを,後年ドイツにゆずったのだが,それでも英国はまだ2つの島嶼を領有している。

いままでに各港の地方官で(ある地方では表面だけではあったが)我が艦隊に妨害を与えなかった者はいなかった。アングルベクウェンは我が艦隊が入港したはじめてのドイツ港である。ここの地方官ははなはだ親切である。この港の衛守司令官は,自分は外交官ではないので,おおやけにはロシア艦隊の来航を知らないことになっており,そっと碇泊しているのであれば自分の目には触れない,と言った。
そう言えば私も忘れていたのだが,デンマークでも妨害はされなかった。しかしデンマークにいた者の話では,デンマークの人々はどちらかといえばロシアに対してよりも日本に対して同情しているということであった。同国の政府は致し方ないであろう。ロシアに扶助を与える方であったからである。しかしドイツ人はまったく違う。政府も人民も,ともに我が国に同情をもっている。今後のことはわからないが,いままでは別にドイツ人を非難する理由は何もない。
私たちはまだ投錨している。いつまでここにいるのかはわからない。

陸上から英字新聞が届いた(ケープタウン刊行)。新しい情報はみな悲しむべきことだけである。クロパトキンは依然としてその位置にある。新聞の報道によれば,クロパトキンは遼陽の戦闘後に3万7千の補充を得たとのことであったが,ほんとうにこんなに少ないのだろうか。第二軍の司令長官はハルビンに着いたばかりという。これはひとつの軍がまだ機能していないことを意味する。また,カウルバールス将軍が第三軍司令長官に任命されたことを知った。カウルバールス将軍ははなはだ無能な将軍との噂がある。旅順では,日本軍が全港湾の死活の運命を制するほどの,どれかの山地を奪取した。湾内で砲撃することは無益なため,至急出航の準備をするとのことであった(長村注:12月5日に二〇三高地を墜としたことを言っているのであろう。ただこの後,児玉参謀長が二〇三高地越えで榴弾砲による旅順艦隊攻撃を命じ,数日のうちにロシア戦艦,巡洋艦などを撃沈させた情報は入っていなかったものと推測される)。これらは英字新聞の報道である。これらすべてが悲痛なことだけである。ロシア軍はついにここまで来てしまったのか。

郵便物をもって上陸した士官などの話によれば,居住民は10数名のドイツ人と他のヨーロッパ人に過ぎないという。我が士官たちは,ドイツが内乱を鎮めるためにヨーロッパから輸送されてきた軍隊を見た。この軍隊は1,200人である。ドイツの将校の中にロシア語を話せる者が2人おり,ひとりは非常にうまく話す。
ここでは一般に英国人に対しては悪感情を持っていると聞いた。英国人は,いまここにドイツ人が鎮定に来た反乱民に武器を供給しているという。かれらは至るところにすべてのことに対して破壊を行おうとしているのである。
風は依然として激しい。いまマライヤおよびメテオルから,両艦はかなり機関を破損して他艦の助けがなければ自分では操縦ができないという連絡が無線電信によってもたらされた。
カムチャツカも補助を必要としているのであるが,未だこれに着手することができない。

2005/12/13 in  | Comment (0)

12月12日

夜に入って天気は少しよくなった。汽船を(石炭積み込みのために)本艦の舷側に接近させたが,激しい風のために大きな波が汽船を揺らし船舷を破壊された。しかも我が艦の75ミリ砲一門を折ってしまい,その他にも擬門蓋を破損した。これは別の物に変えるか,または修理しなければならない。大砲は運送船から予備の砲を持ってきて取り替えることになる。仕事はますます多くなりそうだ。
郵便船はここに3日間留まった。天候が悪いためケープタウンに行けないからである。英国からの通信によれば,奉天で戦闘があったという。日露両軍の損害は5万に達するという。また同通信によれば,日本軍は強襲して旅順の一砲台を占領し,ロシア軍はこの砲台を爆破して日本軍に3万の損害を与えたとのことである。すべてが噂の域を出ない(長村注:もちろん,奉天会戦は翌年3月のことであるから,そのことを指しているのではない。日本軍は前月の26日から第三回目の旅順総攻撃を開始し,白襷隊の銃剣突撃が失敗に終わって大損害を蒙った。そこで乃木司令官は正面攻撃を諦め,二〇三高地の攻撃を命じ,ここでも多くの損害を出しながら12月5日に占領した。おそらくは,この戦闘の情報がこのような形で伝わったのではないかと思う)
陸上から通信があり,我々の航路に毎夜一隻の汽船が外洋に出て探照灯でその航路を照らし,来航船を追跡するという。もちろんこれは日本の雇船で我々を追跡し,あるいは何らかの損害を与えようとしている者であろう。
我が艦隊には先にも発狂者が出たが,戦艦アリョールの一士官も発狂した。運送船コレヤの水兵もまた発狂した。
英国の汽船がここに入港したが,いま出航した。ドイツの運送船は領地の人民の反乱を沈静するために軍隊を乗せてきた。
浪はまだ高く,風はなお激しく吹いている。郵便を発送することができないでいるうちに郵便船は出航してしまうらしい。この郵便物は軍隊を輸送してきた汽船に依頼すべきか。この汽船はまもなくヨーロッパに帰っていくだろう。もちろんすべてが想像に過ぎない。
私たちは何の意義もなくここに碇泊している。風はまだ強烈である。依然として交通は途絶している。私はマライヤに行かねばならない。
昨夜は荒れたが,少し静かになったようだ。ちょっと静まってはまた荒れる。

2005/12/12 in  | Comment (0)

12月11日

アングルペクウェンに向かって進んでいるが,まだ入港錨地に達していない。艦はきわめて徐々に進航している。座礁を恐れているからである。風はますます強くなって波は後甲板を洗っている。私たちの喜望峰回航は,風波がなくともあまり快適な航海とはならないだろう。

1時ごろにやっとアングルペクウェンに着いた。各戦闘艦はみな投錨した。しかし巡洋艦だけは外洋にいる。湾内が狭いために投錨する場所がないからである。
甲板上で風を避けるもののないところでは立っていられない。風力は強く吹き飛ばされそうになり,また,どこにも波が押し寄せてくる。いまだに汽艇を出すことはできず,陸上との交通もないので郵便物も発送できない。このときの風力は10点(風力を1点から12点までで表わす)だと聞けば,あなたはどのぐらい風が激しいかが想像できるだろう。

ここに郵便船がやってくるのは1年にわずか5回に過ぎないという。もしかしたらそうかもしれない。
我が石炭船の一隻がここで各艦に石炭を積み込んでヨーロッパに帰るときには,その船に郵便物を頼むことになるだろう。

2005/12/11 in  | Comment (0)

12月10日

昨日,南回帰線を通過し,こうして私たちはアングルペクウェンに近づいた。明日の朝にはその港に到着するが,そのために殊更に速度を緩めてゆっくりと航行している。
旗艦の航海長の話によれば,私たちがマダガスカルの南端に到着すると(ウラジオまでの)航程の半ばを過ぎたことになるという。
アングルペクウェンに到着すれば極東からの新しい情報が入るだろう。同港はもともとドイツに属している。彼らは,その植民地に住んでいるフランス人よりも戦争に関して興味を深くもっていると思う。
コレヤに乗り組んでいる一水兵はマラリアに罹った。その病気が他の艦船に伝染しないようにしたいものである。我が艦隊の衛生状態はあまり芳しくない。多くの者は,一度は病気に罹っている。
天候はよくない。風は強く,波は高い。この緯度ではたびたび暴風雨があるという。
アングルペクウェン港に入るに先立って,ガボン入港のときと同様に汽艇を下ろして前を行かせ,水の深さを測量した。この湾内はまだ十分に測量されていないのである。艦船が座礁しないとも限らない。
郵便物はすでに集められた。この書面は明日の早朝に投函できるように急いで書くことにする。

2005/12/10 in  | Comment (0)

12月7日

グレートフィッシュベイからアングルペクウェンに向かう。
今日は,終日あなたのために書面を書いていて,ついに食卓にも就かなかった。しかしそれでも十分に書くことはできなかった。
テーブルにつくと,すぐに妨げられた。今日はひとつとしてできたことはなく,一日を無為に過ごしてしまった。
今日,ボロジノに赴いてベリアで写した写真を見た。かなり小さいので顔ははっきりわからない。4時,我が艦隊はみな錨を上げはじめた。2時間ほどたってマライヤが信号を掲げ,操舵機に異常があることを連絡してきた。そこでローランドマライヤを曳航することが命ぜられた。
病院船アリョールも我々と一緒に進んでいる。
海上に多くの鯨を見た。また陸地から遠く離れて飛ぶアルバトロスを見た。その羽の大きさは16~17フィートぐらいである。
船中の生活は毎日同じである。昨日も今日も同じことで,私はただ古い記憶を思い出して日々を送っている。

2005/12/07 in  | Comment (0)

12月6日

グレートフィッシュベイの錨地にいる。あなたに送る書面は1時間前にヨーロッパに帰航する汽船でパリに差し立てるために投函した。
石炭船の乗員は陸上にいる。彼らの話では,海岸はすべてがみなきれいな貝殻で覆われ,またきれいな小鳥が非常に多いという。
ポルトガル砲艦の艦長は石炭船の船長などに石炭積み込みは許可されないので,石炭を艦隊に積み込むことができるかどうかは疑わしいと告げたという。ひどく馬鹿正直なことだ。その実を言えば破廉恥きわまりない行為である。
明日の朝は6時に起こしてほしいと頼んだ。各艦の多くを巡視すべき業務があるからである。12時に陸上との交通は途絶えた。

2005/12/06 in  | Comment (0)

12月5日

気温はさらに低くなった。いま室外でわずか14度である。12時には錨地に停泊する予定である。
いま我々はますます旅順から遠ざかっているが,喜望峰を回れば次第に旅順に近づく。タンジールからスエズを通って旅順に行く距離と,喜望峰から旅順までの距離は,ほとんど同じである。我々はアフリカを回るおかげでどれほど無用の労を費やしたかわからない。
午後1時50分,我々はついにグレートフィッシュベイに着いた。あまりきれいではない湾である。一方の陸地は断崖絶壁で,もう一方は傾斜している。傾斜している方の陸地に少しの家屋がある。船中から望遠鏡で見てもあまりよくは見えない。
海岸は全部が砂地である。もちろん,ここには電信局も郵便局もなく,ただただ砂地を見るだけである。
いまスワロフの横をポルトガルの砲艦が通り過ぎた(その艦名はリンボボという)。砲艦は,小形の汚れた船である。同艦はいま湾内深く入って投錨した。たぶん我が艦隊が来航してグレートフィッシュベイに投錨したことを地方官憲に通知するために来たのであろう。これはたぶんポルトガルの人たちには意外のことに違いない。しかし私たちは長くは碇泊せず,明晩には抜錨するとのことである。
午後4時,ポルトガルの砲艦リンボボは我が艦隊を一周してスワロフのそばに投錨した。同艦の艦長は,通告することがあるといって我が提督を訪問した。私は未だこの通知が何であったのかを知らない。しかし私たちにとって喜ぶべきことかどうかは疑わしい。
昨日,我が艦隊が到着する前に同砲艦は威嚇のために発砲して湾内に停泊していた石炭船を外洋に追い出した。もちろん,この石炭船は我が艦隊が到着するとすぐ,湾内に入ってきて提督が指定する場所に投錨した。
提督は,ポルトガル砲艦の艦長に,我が艦隊は陸岸から4マイルの地点,すなわち中立海上に投錨したように装って,これを欺き信じ込ませた。しかしポルトガルから,わが艦隊がグレートフィッシュベイに到着したことの通信に接したとの報を得た。このことがどこからリスボンに伝わったのかは非常に不思議である。同地からの命令で,ここに軍隊が派遣されたのである。おそらくは,始終我々を付けねらっている英国人の仕業であろう。
病院船アリョールは艦隊に別れてケープタウンに向かった。
ここから我々はアングルペクウェン,あるいはリベーツに向かうことになる。アングルペクウェンはここから1,000露里のところにあり,明日,ここから3時に出航する。

2005/12/05 in  | Comment (0)

12月4日

灼熱の気温は少し低くなり始めた。もっとも暑さが激しかったのはダカールである。いまはかなりしのぎやすくなっている。もし喜望峰の近くに行けば,上着または外套を必要とするだろう。インド洋は非常に暑くて息苦しく湿度も高いとのことである。
全艦体の乗員は提督の命令によって斎戒を始めた。斎戒といっても,船中のことなので,食物などもいつものものを食べ,ただ祈りを行うだけである。
もし予想したとおりに万事故障がなければ,我が艦隊は1月の初めに日本沿岸に到着するはずである。つまり我々はみな,ここで過ごすような退屈極まりない変化のない生活が,まだ2ヶ月以上も続くのである。
地中海回りの艦隊に出会うのもそんなに遠いことではない。万事は旅順艦隊およびウラジオ艦隊の状態如何と,旅順とウラジオの形勢――我が艦隊が極東に到着する機会にクロパトキンはどのような行動を示すかに関わっている。
グレートフィッシュベイは書籍が記すところによれば,そんなに望ましいところではないようである。村落はわずかに7戸あるだけで,その中の2戸は空き家である。四辺は広野で,水もなく住民は水を運んでくるという。しかし魚類は豊富で良好な碇泊場らしい。
たぶん我々は明日の明け方に,そこに到着するだろう。次第に冷気になった。室内は24度である。

2005/12/04 in  | Comment (0)

12月3日

夜7時,我が戦艦で晩課の祈りがあった。私はこの祈りに深く興味を持った。とくに船の中の祈りは一種言い難い趣がある。周囲に立って祈る者はみな白い服を着た士官と水兵だけで,また祈りの堂役および世話役その他歌い手などはみな裸足で勤めている。この祈りの中味と賛美歌など,ひとつとして遠い故郷のロシアを偲ばせないものはない。

2005/12/03 in  | Comment (0)

12月2日

今朝9時にスワロフの艦内で赤道通過祭をはじめた。この祭は,まず裸の真っ黒な人が陸戦隊用の砲車を曳き,その砲車の上にはネプチューンおよびヴィーナスに扮した異様な者と,航海長,水先案内,ロシアの賎女,その他トリトン(神話に出てくる海神)などが乗って百鬼夜行的な行列ではじまる。行列にはラッパや笛などを吹く者も一列になって船首で演奏する楽隊の行進曲に合わせて艦尾の方から艦首の方に練り歩くのである。
艦首の高いところで演劇がはじまった。乗員一同の見物人は艦首に集まり,艦橋も檣楼も帆架も,みな見物人でいっぱいになった。将校,艦長,提督は艦橋で見物した。
演劇者はみな半裸で,体を黒,赤,青,黄,緑など色とりどりに彩色した。ネプチューン神は麻屑でつくった長い髭をつけ,三又槍を持っている。航海長は時針儀,望遠鏡,六分儀などを持った。賎女は子どもを抱いている。子ども(痩せ犬を使った)が歌劇の音楽に伴って泣く段になると,その犬の尾をきつく捩り,犬は苦し紛れにほえ叫ぶ。これを子どもの泣き声に見立てるのである。役者はなかなかうまく演じた。
甲板の上に帆布で水溜を作り,その中は水でいっぱいに満たされた。演劇が終わると,消防ホースを使って提督はじめ,水兵に至るまで水を掛けあった。
ついで役者一同はその水溜に飛び込み,それから見物人も飛び込んだ。水溜に入った者に,今度は大きな刷毛に白粉をいっぱい含めてこれを身体に塗りつけ,木でうまく作った大きなカミソリでそれらの人たちを剃りはじめた。水溜の貯水は,はじめはきれいであったが,身体を彩色した役者の人たちが入った後は不思議な色に変わった。各将校,艦長その他下士官に到るまで,ほとんどみな水溜に入った。みな彼らは例のカミソリで剃られた。
私や二,三の者は水溜に入るのを免れたものの,四方から水を浴びせられて全身濡れ鼠のようになった。逃げて隠れる者がいると,それを探し出して水溜に引き入れた。まかない頭は水浴を逃れようとして自分の部屋に逃げ込んだが,ついに逃げ切ることはできなかった。ハッチの蓋を開いて水を掛けられようとしたので,まかない頭は室内の中のものまで水浸しにされてはたまらないと,自分から出てきて水溜に入った。牧師先生も,この難を逃れることはできなかった。
最初のうちは足の方から入ることができたが,最後の方では足をつかまえて倒し,頭から入れられた。犬も入れられた。一匹の犬は周囲を人が取り囲んだので,びっくりして大声を上げた。
乗員はみな,この祝祭に大満足であった。とくに近頃までレーウェルの陸上にいた乗員にとっては,たいへんな楽しみであった。

4時ごろにマライヤにまたも何事かが生じた。同艦に艦長に代わって士官を遣わせた。スワロフからマライヤに士官を移乗させるために艦隊はみな動きを止めた。
艦長は,いまグレートフィッシュベイに向かって艦を走らせている。そこはポルトガル領である。何らかの故障でそこに向かうのでなければ,艦隊はドイツ保護のもとにあるアングルペクウェンに行くはずである。

2005/12/02 in  | Comment (0)

12月1日

今朝は早く起こされた。個人所有の運送船に赴かなければならない。

夜5時,いまガボンを出帆した。1時間前に抜錨したのである。どこに向かうのかはわからない。
今日,スワロフの後続艦アレキサンドルで赤道祭を行った。はるかに同艦で踊ったり水を注ぎかけられる光景を見た。
アリョールはまたも舵の電気系統に異常を起こした。しかし同艦は艦隊の進行を妨げるようなこともなく航行している。

2005/12/01 in  | Comment (0)