バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

1月13日

私たちは皆,こちらからロシアに送金する方法について話し合ったが,どうやっても送金の方法はなかった。今日は大晦日である(長村注:ロシア暦の大晦日。ロシア暦に13日を足すと新暦になる。)。日々同じことを繰り返していて,誰一人として新年のことを言い出す者もなかった。
日射病に罹った水兵はすでに死んだ。死後,体温はまだ43度もあったという。
書面を認め終えるとすぐ,ウラルに行くためにカッターに乗り込まなければならなかった。ウラルはドイツから購入した汽船のうちの1隻であるが,なかなか立派な船である。室内は美術的な装飾が施され,金色燦然として非常に見事である。船体もかなり大きい。船内に入った。
葬儀が始まった。船内の式場は華美と神聖とが調和し,善美と乱雑を合わせたような感じである。祈祷式が終わって,大尉の遺骸は本艦からカッターに移された。汽艇がこのカッターを曳航して陸を目指して進み,会葬者を満載した何隻かの汽艇とカッターがその後に続いた。
棺を本船から降ろしたとき弔砲が放たれ,各艦はいずれも半旗を掲揚した。乗員は甲板に整列し,楽隊は「名誉とあらば」を演奏した。陸上では二組の楽隊と会葬者がこれを迎えた。
他にも一組の埋葬式があった。これは同じウラルの日射病で亡くなった水兵である。墓地で「パニヒダ」(死者冥福の祈り)を行い,棺を地中に埋葬した。
儀仗兵は3回,一斉発射の弔銃を放った。新しい磨き石の上に墓標の十字架を立てて列席者は解散した。
こうして,2人のロシア人の遺骸は万里の異域に止められ,ふたつの白木の墓標は弔う者もない異郷の地に残された。彼らはその遺骸をロシアを離れた,かくも遠方の地――この他国に葬られるとは夢想だにしなかっただろう。また,彼らは同じ災難に枕を並べて死し,また同じところに葬られるとは思いもしなかっただろう。そう,これも人生なのだ。
また一人,アリョールで発狂した。こんなことはもうたくさんだ。

2006/01/13 in  | posted by gen

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