バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

1月2日

エスペランスに行かなければならないため今日は早朝に起床した。またも海水に濡れて靴も上着も着替えざるを得なかったが,昨日濡れてしまった衣服が乾いたのは幸いであった。
艦ではフランス人数名が帰るときに,彼らに電報や書面の発送を依頼した。しかし私はエスペランスに行っていたため書面を委託することができなかった。

我が艦隊はそう遠くない時期に錨地を他に移すようだ。ノシベに行くかどうかはわからないが,そこには投錨しないだろう。なぜなら戦闘艦や運送船のためには湾内がかなり狭く,不便だからである。
エスペランスで肉類の貯蔵所を冷却する冷却器が故障した。これは悲劇だ。肉類がみな腐敗してしまったため塩肉を使わなければならなくなったのである。
4時,汽船ベルノスブッコが着いた。この船はペテルスブルグからの連絡を何も持ってこなかった。この船は6時にはすでにジェゴ・スアレツに向けて出航した。
我が艦隊は明日抜錨してどこかの湾に向けてか,北方に行く。

オスラービアの火夫が死亡し,今日の5時に葬式があった。オスラービアは列外に出て半旗を掲げ,弔砲を放ち遺骸を海中に葬った。この儀式の際,諸艦の乗員士官の一同は正面に整列して楽隊は「名誉となれば」を演奏した。
今日,無線電信班が一通の電報を受け取った。非常に遠隔地から発信したもののようだ。どの艦でもこれを訳読できる者はいなかった。どこの国の言葉かもわからない。もしかしたら先にマダガスカルに着いた我が艦隊の一部から発したものではないか。

2006/01/02 in  | posted by gen

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