バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

1月26日

湾内の天候はたいへん穏やかである。たぶん外洋も穏やかに違いない。いま,大砲の射撃のために出航する。諸艦はみな8時までに抜錨した。数隻のフランスの駆逐艦が我が艦隊の後を追って航進してきたが,これはマユンゴからの電報を伝達するためであった。
通常の朝食は11時であるが,今日は射撃演習のために30分早くはじめた。
ナヒモフから水兵が一人海に落ちたが,無事救い上げることができた。
フランスの駆逐艦はノシベに来て,この湾に停泊している我が駆逐艦ボードルイに電報を伝達した。ボードルイは直ちに旗艦スワロフを追って来て,スワロフから出した紐に結んで電報を提督に渡した。この電報は我々に何を伝えるものなのだろう。

いま射撃が開始された。艦内の物品調度類やガラスの器具などはひとつひとつ整理された。
夜6時,艦隊は射撃演習を終えて錨地に戻った。ロイター電によればペテルブルグとモスクワで戒厳令が敷かれ,軍隊が配置された。セバストーポリでは海軍兵の騒乱が止まらず,兵営や司令部が焼かれ,軍隊は謀反兵を射撃することを拒み,全ロシアにわたって軍隊の騒乱が起こっているとのことである。私の推測では,たぶんこの電報は事実だと思う。

今日の艦隊の演習中にボロジノアレキサンドルが2回も衝突しそうになって,やっと危難を免れたという。衝突しなかったのは幸いであったが,もし衝突でもすれば,その損害は計り知れないものとなったであろう。
昨日はスワロフに珍事が起きた。数日前のことであるが同艦で作業がなされた際に弁の一つを開いた。作業を終えた後にその弁を閉め忘れ,昨日になってそのことを知らずに他の弁を開いた。夜になって艦内のあちこちに海水が浸水し,水は機関室をも襲うばかりであったが,ようやくこれを止め事なきを得た。
私は艦隊に乗り込んだことを後悔している。艦隊の中では,あたかも鎖で縛られたように何事も自分から行う権能を与えられず,他人の過失をただ座視するだけである。ときには自分自身,精神に異常を来たすのではないかと思うことさえある。この艦隊に乗り込んだ一生の過ちを弁解する言葉もない。

2006/01/26 in  | posted by gen

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