駆逐艦レズウィが破損のためにジプチでその艦隊を離れたということを報告する電報を得た。大方,この艦は極東に行くことはできないだろう。
昨日,ここの県知事が提督を訪問し,艦隊の士官が喫茶店で莫大な金を賭けて大賭博をしていることを訴えてきた。この賭博は禁止されるか,または陸上との交通を絶たれることになろう。
二,三日前に当地のドイツ人はドイツ皇帝の誕生日の祝祭を行い,国旗を立てて祝典を挙げて,今日もまだ酔っている者がいた。
艦隊が前進するにしたがって艦隊に伴っている駆逐艦は次第に減っている。また艦隊に残っている駆逐艦も汽缶が故障して,十分な蒸気を出せないでいる。
2006/01/30 in | Comment (0)
今日も上陸した。ここで義勇艦隊の汽船ウラジミールが浸水したということを知った。明日はこの検分に行かなければならない。市中には新しくロシア語で書かれた看板が現れた。士官たちはみな,まったく無用なゴミ同然のものを買い集めて艦に持ち帰り,すべてこれらを捨てて,そのことにも注意を払っていない。
今日は郵便を出した。また喫茶店に入ってトランプをし250フラン勝った。喫茶店を出て市内を散歩したが,何も面白いことには会わず,また喫茶店に戻って,そこから埠頭に行った。
エスペランスはいま外洋から到着した。この船は毎日腐敗肉を舷側から捨てるのであるが,そのために湾内から外洋に出るのである。この船から,はるか遠くに三隻の大軍艦と一隻の小軍艦を見たと報告してきた。もしかすると日本の軍艦かもしれない。今日,私は陸で一人の日本人を見た。多くの者も見たという。前にはこの日本人を見た者はなかった。
また暗号電報を受けた。いまだに翻訳作業が終わっていない。
暗号電報は論功行賞について奇怪なことを伝えてきた。また通信員の電報によればロシアの擾乱はますます恐るべき形勢だという。この電報は,とくにペテルブルグの擾乱のすさまじさを伝え,この事態は市中に障害物を設けるに至ったという。また二千人の殺害と七千余の負傷者を出したとのことである(長村注:この月の22日にペテルブルグで「血の日曜日事件」が起きている。あるいはこのことか。)。
通信員の電報は虚報とは思うが,火のないところに煙は立たない。
明日は病院船アリョールに行かなければならない。この船には負傷者収容のために汽艇を付けなければならない。設計者はどういう考えだったのか,この汽船を病院船にするために莫大な費用を要したが,あらかじめ一隻の汽艇も建造していなかった。
ロシアではどこもみな,このような愚昧な不注意が横行している。とにかく病室をつくるのを忘れなかっただけが救いである。
2006/01/28 in | Comment (0)
これから戦艦アリョールに行こうと思う。明後日には陸に上がる予定である。天気はよいとはいっても,雨が降らないという程度のことだ。オレーグが一隻の汽船を拿捕したという通信があった。その汽船は日本に向けて野砲260門を輸送しようとするとのことだが信じがたい話だ。私の知るところでは,この汽船はアフリカを回航する汽船で,ここで我が補助巡洋艦を待っているのである。
上陸して喫茶店に入り,トランプをした。170フランすなわち64ルーブリほど勝った。夜8時に帰艦し,食事に遅れたので私室で食べた。陸上では間諜ではないかと疑われた人物を目撃した。その男はロシア人に酷似した風貌で,芸術家のように頭髪を伸ばしていた。
夜11時。ドイツ人は実に驚くべき現実家である。自国の士官を石炭船に乗り込ませ,その汽船の副艦長を務めさせている。これらの士官たちは我が艦隊の航海の状況を観察し,自国海軍の利益に資するために遣わされているのである。ロシア人には到底企画することができないことだ。こうしてロシアは大きな損失を被っているのである。我が国には,まだ良質の海軍も陸軍も存在しない。これはけっして兵卒の如何によるものではなく,乗員の編成,恒久の軍備,先見の明などの問題である。
喫茶店ではフランス,英国,ロシア,イタリア,オーストリアなどの人々がいて,大きな金を掛けて遊んでいた。一人の大尉は5000フラン勝ち,またこれを負けた。
続きを読む "1月27日"
(つづき)
日々,オレーグ,イズムード,その他の駆逐艦の来着を待っている。これらの諸艦はノシベ付近にいるとのことであるが,通信員の電報であって公電はひとつも入ってこない。ロシアでは万事この調子である。
来月2日にヨーロッパから郵便が到着する。当地からの郵便船は8日に出航予定である。ここで諸艦の到着を待っているが,マダガスカルに長く停泊するだろうという説は確実なようである。我々がここに到着して,明日でちょうど1ヶ月になる。実に光陰矢のごとしだ。この1ヶ月の時間は無為に過ぎ,戻ることはない。この先,ここに長く碇泊するかどうかもわからない。いつかはこの錨地の碇泊を終えなければならないが,ペテルブルグの当局は,いったい何を考えているのであろう。
この地の噂によれば,かのクラド中佐の論文が出た後,ロシアの一般社会では我が艦隊をロシアに召還することを要求しているとのことである。我が艦隊が航進すべきか否か,また前に進むべきか否か,この二つに一つを今日までこのように決することがなぜできないのか。この艦隊に要した費用も莫大である。我が艦隊は数週間ノシベに投錨しているが,これによって艦隊は少しも良くならず,また優勢にもなっていない。かえって百害あって一利なしである。
結局は,我々がここに空しく時間を浪費している間に日本は十分にその汽船と汽艇を修理する余裕ができた。日本は我が艦隊を迎撃する準備ができる。我々には根拠地があるわけではない。ただ,望外の幸運を頼みにしているだけではないか。我が艦隊を派遣した当初にどのような計算考慮をしたのだろう。
我が艦隊はロシアにとって最後の力である。もしこの艦隊が殲滅されたなら,我が国の海軍はこれで全滅するのである。
このように思っているのは私だけではない。みながそう思っている。これらのことがすべて艦隊の士気を鼓舞することにつながるとは思えない。陸軍でも大方このような状況である。ロシアでは万事不都合だけだ。さらにこれに加えて内乱騒擾もある。いったいこれからどうなっていくのだろう。
2006/01/27 in | Comment (0)
湾内の天候はたいへん穏やかである。たぶん外洋も穏やかに違いない。いま,大砲の射撃のために出航する。諸艦はみな8時までに抜錨した。数隻のフランスの駆逐艦が我が艦隊の後を追って航進してきたが,これはマユンゴからの電報を伝達するためであった。
通常の朝食は11時であるが,今日は射撃演習のために30分早くはじめた。
ナヒモフから水兵が一人海に落ちたが,無事救い上げることができた。
フランスの駆逐艦はノシベに来て,この湾に停泊している我が駆逐艦ボードルイに電報を伝達した。ボードルイは直ちに旗艦スワロフを追って来て,スワロフから出した紐に結んで電報を提督に渡した。この電報は我々に何を伝えるものなのだろう。
いま射撃が開始された。艦内の物品調度類やガラスの器具などはひとつひとつ整理された。
夜6時,艦隊は射撃演習を終えて錨地に戻った。ロイター電によればペテルブルグとモスクワで戒厳令が敷かれ,軍隊が配置された。セバストーポリでは海軍兵の騒乱が止まらず,兵営や司令部が焼かれ,軍隊は謀反兵を射撃することを拒み,全ロシアにわたって軍隊の騒乱が起こっているとのことである。私の推測では,たぶんこの電報は事実だと思う。
今日の艦隊の演習中にボロジノとアレキサンドルが2回も衝突しそうになって,やっと危難を免れたという。衝突しなかったのは幸いであったが,もし衝突でもすれば,その損害は計り知れないものとなったであろう。
昨日はスワロフに珍事が起きた。数日前のことであるが同艦で作業がなされた際に弁の一つを開いた。作業を終えた後にその弁を閉め忘れ,昨日になってそのことを知らずに他の弁を開いた。夜になって艦内のあちこちに海水が浸水し,水は機関室をも襲うばかりであったが,ようやくこれを止め事なきを得た。
私は艦隊に乗り込んだことを後悔している。艦隊の中では,あたかも鎖で縛られたように何事も自分から行う権能を与えられず,他人の過失をただ座視するだけである。ときには自分自身,精神に異常を来たすのではないかと思うことさえある。この艦隊に乗り込んだ一生の過ちを弁解する言葉もない。
2006/01/26 in | Comment (0)
来る29日にペテルブルグから我が艦隊の進退に関する命令が発せられるという話は本当のようだ。極東に進攻するのか,あるいはロシアに帰航するのか,あるいはまた特別の命令があるまでは碇泊し続けるのか,いずれかに決定されるであろう。なるべく速やかに万事を公表してもらいたい。不明不貞は何よりも悪い。
今のような降雨の時期にこの地に停泊しているのは非常によくない。艦隊にはいろいろな熱病が続発している。ヨーロッパ人にはこの地の気候はまったく適していないのである。さらにいまの錨地は艦隊乗組員の精神上も非常に悪い。今の状況は,艦隊はまったく解放され,乗員も分散されたような状態になっている。ナヒモフの事件などは,まさにその一例といえる。
明日の朝6時半までに蒸気を満たすようにとの信号が掲げられた。外洋に出て大砲の発射演習を行うのである。艦隊が本国を出てから初めての演習である。レーウェリで出航前に最後の発射演習を行ったことがある。
今日は上陸しなかった。面倒だったからである。天気はよくないが雨はずっと降っていたわけではない。
陸上から,海馬,サザエその他の軟体動物が入れられた檻を持ってきた者がいた。香水を振りかけたり,タバコの煙を吹きかけたり,あるいはマッチの火などをつけて動物たちを怒らせるなどの他愛もない遊びをした。しかしこのような遊びを非難することもできない。他に遊ぶこともないからである。
2006/01/25 in | Comment (0)
気温は高く息苦しく,また湿気も多いためにどこも不潔でどうしようもない。退屈の度合いは,すでに耐えられないほどである。明日の運命もわからず戦地からの情報もないので,みな抑圧された状態で苦悶している。艦内では何も明るい話もなく,何もする気を起こさずに怠惰な毎日を過ごすのみである。このような生活がどうして人々に快感を与えようか。ここには実に意外なことばかりが起こっている。
ハンブルグと米国間の航路を往復している元ドイツ汽船のベンガリアが暗礁に衝突し,マダガスカル付近で沈没したという情報があった。この船は我が艦隊に石炭を供給するために来た1万8千トンの大型船である。この船は暗礁に触れた後,さらに進航して沈没したのだが,乗員は全員救助されたという,
昨日,ナヒモフに非常に悲しむべき事件が起きた。艦隊の諸艦中にパンを焼く釜を持っていない艦は,停泊中に他の艦または陸上からパンの供給を受ける。ナヒモフにはパン焼きができないにもかかわらず,その艦に供給しなかったために乗組員はみな乾パンだけを食べている。昨日,同艦の乗員が新鮮なパンを要求した。彼らはたちまち扇動されて朝の祈りの後もその場から離れず,反抗の態度を示して散会の命令に背いた。その結果,一部の乗員を他艦に移し,一部は銃殺するしかないという状況になった。これによって,この騒動を鎮圧することができたと思われたが,しかしそのためにその他の者の迷惑はどのぐらいだっただろう。
マライヤで捕縛されアレキサンドルの檻倉に拘留されていた水兵は病院船アリョールに移された。檻倉の炎熱のために発病したからである。
2006/01/24 in | Comment (0)
スワロフの士官室には大きなピアノがあるが,機械で自動演奏する。艦内には手で演奏できる者は一人もいないのである。今日,スワロフに他艦から一人の水先案内人が移乗して来たのだが,この水先案内はなかなかの音楽家で,彼のピアノ演奏を聴いた後,ダンスなどを始めた。士官の中にはケクヨクやカリマンスカヤ(舞踏の名前)などをする者もいたが,おかしなものであった。というのも,これらのダンスをするのに,別々にいろいろな衣装を着替えたのである。これらはみな退屈を紛らわせるための遊びであった。
このマダガスカルに停泊してからすでに1ヶ月近くになった。その間,平凡な毎日を過ごし,他になすべきこともなく,みな退屈して次第に馬鹿になっていくのも当然である。たまには慰みに闘犬を行い,みな熱心に犬が怒って噛み合うのを,口笛を鳴らして励ますなどのことをして遊んだ。
マダガスカル島には怪しい人物がたくさんいる。ノシベにはロシア語に通じた怪しい人物が,ロシア語に通じていることを挙げて,スワロフその他の艦船に食料の請負を行ない艦船のために尽力するとの申し込みをしてきた。この人物はタマタフ市を徘徊していたらしいが,別にこれという当てもなく当地に来たとのことである。彼は粗末な服を纏い,頭髪を長くして一見スラブ人のようである。
今夜,一隻の郵便船がヨーロッパに向けて出航するとのことだ。
ユマンゴから1通の暗号通信を得た。しかし例によって何らの快報も得られなかった。艦隊の進退はまったく未定だ。ロシアに帰艦すべきか,どこか他の地に寄泊すべきか,あるいは極東に航進すべきか,誰も何も知る者はいない。この曖昧さは私だけでなく,すべての者を苦悶させている。
2006/01/23 in | Comment (0)
マライヤの件は,たぶん明日になる。昨夜マライヤに武装した水兵を差し向けて4人の謀反兵を捕縛した。彼らはマライヤの乗組員で,みな義勇兵である。彼らを艦倉に入れるために4人を各戦闘艦に分置した。その中のもっとも凶暴な一人がスワロフに置かれることになった。マライヤには夜間,武装した水平を差し向けたため大きな影響を与え,他の乗組員をすぐに鎮定することができた。彼らは,この事件がこんなに自分たちにとって不利益になるとは夢想だにしなかっただろう。
マライヤで捕縛された犯人は数日間艦倉に入れたのちに上陸させて放逐するとのことである。ボロジノの艦倉は入っていられないほどではないが,スワロフの艦倉は,ほとんど1分間でさえ留まることができないほどである。なぜなら室内は非常に高温で,しかも扇風機もない。このようなところに人間を長く入れておくとは思えない。
4人の捕縛者の中の一人は首謀者とのことだが,彼らはほとんど人間のいない荒野に放棄されるという。彼らはどうなるのであろう。彼らを雇う者もなく,他に逃げることも難しい。外国の傭兵になるとしても,ここには軍隊組織もない。彼らの境遇は実に哀れむべきといえよう。
私はあえて外国の軍隊のことを言っているのではない。フランス政府は義勇兵だけを募って,外国人のみで軍隊を編成している。この軍隊は植民地の危険な地方にだけ駐屯させる。この軍隊に加わる者はすべてのことに絶望した者や,犯罪者,逃亡者,犯人,もしくは冒険者の類だけである。彼らを軍隊に雇うに際しては,いっさい過去の経歴を問わない。これらの軍隊には多くの民族と異なる社会境遇の者がいる。この軍隊は兵卒と貴族士官ならびに各種階級から成り立っている。この群集軍隊を制御する規律は非常に厳格である。この軍隊の中には多くのロシア人もいるということだ。マダガスカルにはこの軍隊が長い間駐留していたが,フランス人は一時これをどこか他の地に移した。しかしフランス人はそのことを後悔し,殖民を服従させるためには軍隊を駐屯させる必要性を感じて,これを帰還させたらしい。これら外国軍隊ははなはだ残忍で土地の人を殺戮し,罪を犯せばもちろん,罪のない人たちの村落をも略奪し,これを焼き払うようなことさえあった。このために土地の人々は静かにし,フランス人を恐れて反抗することはないのである。
2006/01/22 in | Comment (0)
朝4時から大雨が降った。この雨が降るさまは,これを見ない者は想像もできないような大雨であった。多くの者がこの雨を利用して身体を洗おうとして甲板の上に出て石鹸と雨の淡水で洗浴したことをみても,雨のすごさを察することができよう。この大雨にもかかわらず私はマライヤの甲板の上に立っていたが,一人の男が帽子も被らずに髭だらけの顔で甲板を歩き回っていた。私はほとんどその男に注意を払っていなかったが,その男は突然私のそばに来て,手を伸ばして握手しようとした。たぶん酒に酔った水兵の悪戯だと思ったが,その男は叫んで言った。「僕は君をよく知っている。実にようやく会えた。僕はテトフだ」。これは発狂した戦闘艦アリョールの准士官だと想像した。私も手を伸ばして彼に言った。「君はあまり髭が長くなっていたのでちょっと見ただけでは誰だかわからなかったよ」。本当はそう言うほど髭が長かったわけではない。彼はたちまち声に出して笑いはじめ,君は死を恐れるか,また死を見たことがあるか,と私に聞いてきた。そうして周りを指差して言った。これはみなロシアだ,云々。私は彼としばらく話しをし,彼の状態を見て不快感に打たれた。彼は不潔な甲板を歩き回った。誰も彼を注意せず,彼が思うことを為すにまかせていた。もしかしたら倉口に落ち,あるいはハシゴから墜落するかもしれない。実に気の毒だ。
続きを読む "1月21日"
(つづき)
12時にマライヤからスワロフに帰艦した。ひどい暑さである。マライヤで働き通しだったため,非常に疲れた。太陽が真上から照りつける状態で働いた。舷側で頭を水で冷やし,ハンカチを頭に巻いた。靴の皮も焼けて足に熱さを感じた。
スワロフに戻ると,ジェムチューグの艦長からの書面を持ってきた者が私を待ち受けていて,同艦に行かざるを得なかった。ドンスコイにも行かなければならない。ドンスコイには実に閉口している。ほとんど毎日行かなければならないからだ。
私室で朝食をとった。給仕をしている従卒が「台を上げます」と言った。私は何のことを言っているのかがわからなかったが,彼は木頭を一個持ってきたのである。それは足を乗せるためであった。書面を書き,仕事をするときに甲板が焼けるので非常に不快な思いをするからである。
夜の6時,コルチャコフ,ボロジノ,ドンスコイ,ジェムチューグ等の諸艦に赴いた。ジェムチューグでもスワロフと同様,缶詰の空き缶をコップの代用にしていた。実に困難な航海だ。士官など,とくに水兵らはあらゆる欠乏と不便を忍んでいる。水兵などは身の置き所もない。
病人,犯罪者,罷免者,発狂者,泥酔者などのロシアに帰艦させる人々全員をマライヤに集合させた。艦長には,艦内で艦長の命令に従わなかったり規則に違反した者は,直ちに殺してもよいという大きな特権が与えられた。もし艦長の護衛兵が付いていないときには艦長みずから拳銃を携帯し,命令に背いた者はすぐに銃殺することができる。しかし艦長はたいへん小柄な人である。そういう人が役に立つのだろうか。この船を無事にロシアに帰還させようとするのならば,身体が頑健で決断力に優れた者でなければならない。
艦隊では,この航海中に犯罪者を審理する裁判組織の委員会をつくったが,今日,この委員会による裁判が開かれ,スワロフの水兵を審問した。この水兵は士官に対して不敬侮辱を与えた者で,審理の結果,懲役6ヶ月に処せられた。たぶんマライヤでロシアに送還されるだろう。
2006/01/21 in | Comment (0)
昨夜ドンスコイの汽艇が座礁してので,今日これを曳き出した。
艦隊の汽艇が一隻の艀船を沈めた。この艀船にはシャンペン,ラム,レモンなどが入っている数箱を積んでいたために苦情があったのである。たぶん,これは賠償しなければならないだろう。
あなた宛の書面を認めようとして座ったとたん,ジェムチューグに出張を頼まれ,そこに行っていま帰った。この艦の破損については私も閉口した。私は雨の中をカッターに乗ってジェムチューグに行ったが,この風雨のためにマストの上部を折ったのであった。私はまた,今日アウローラ,ウラジミール,ウォロネジなどにも出張した。ウラジミール,ウォロネジの2艦は義勇艦隊の汽船である。
貴婦人の傷病兵慰問会から我が提督にゲオルギーの聖像と十字架(いずれも首にかけるもの)を士官ならびに兵卒に分け与えるために送ってきた。私も十字架1つを分けてもらったので,自分の十字架と同じ鎖にこれをつけた。きれいな真珠入りの十字架である。
またも,我が艦隊が1月24日に当地を出航するという噂話がでてきた。これは例の想像話に過ぎない。
22日に当地からフランスの郵便船一隻がヨーロッパに向けて出航する。この書面は今度出航のこの船に間に合う最後の書面になる。今後しばらくは書信を送ることができないだろう。
2006/01/20 in | Comment (0)
昨夜は疲れていたにもかかわらず12時まで起きていた。夜通し雨が降った。甲板は夜も冷えることはなかったが,昨夜の雨で,熱せられていた甲板はようやく冷えて元に戻ったようである。いまも風に雨が混じって吹いている。
フランスの駆逐艦がまた一通の公信を齎した。もちろん暗号文である。何か面白い知らせかも知れない。
2006/01/19 in | Comment (0)
今日は陸に上がった。郵便局の前は多くの人たちが集まっている。もちろんロシア人である。多くの者は郵便を出したり郵券を買っていた。コーヒー店では艦隊の士官などがテーブルを囲み,随分大金を賭けながらトランプで遊んでいた。
フランス駆逐艦隊の士官たちはこの状況を見て大いに驚いていた。私は遊ぶこともせず,終日散歩した。
2006/01/18 in | Comment (0)
私はクバニに行った。この船はかつてドイツの客船として大西洋を航海していた。船内は広く装飾も豪華を極め,船内はすべて整頓されている。しかしクバニもまた他の購入艦船と同様,軍艦としてははなはだ不便である。船体の周囲は木造で何等の装甲の防御もなく,ただ大きいばかりで備砲も少ない。
私は上陸して書面とハガキを投函した。郵便局の窓の前には人々が集まり,出帆の船に間に合うように投函しようとして押し合っている。ハガキを買おうと思ってしばらく待っていた。郵券はしまっておく間にみなゴム糊が粘りついてしまい用をなさなくなっていたので,ゴム糊が付かないハガキの方がはるかに便利である。ゴム糊がどこにでもあるというものではないので不便なのである。
ある商店でアラビアゴムを買った。街の中の少年には,非常にきれいにロシア語の単語を発音する者がいた。街での物価は非常に高い。艦隊が来航したのを利用して利益を得ようとするからである。商業が活発なのは,いまだかつてなかったほどである。ここに「パリ・コーヒー店」と仰々しい看板を掲げている店があったが,この店の店主の話では,艦隊が出航したら店を閉じてパリに帰るのだという。近頃のような利益を出したのは,いまだないことだという。
私は郵便局からこのコーヒー店に来てトランプゲームに興じた。多くの士官が来てトランプ遊びをしていた。大金を賭けての遊びである。ノシベ停泊中に一度に400フント,すなわち4000ルーブリを賭けたようなこともある。ここで遊んだ後に埠頭に行くと,すでに出帆の時刻になっていた。陸上で4時間ほど遊んで8時ごろに帰艦した。
士官室で多くの新しいことを知った。7時に出航すること,ギンスブルグを経て送られてきた郵便が到着したこと,そしてペテルブルグには数々の事件が起きていたことなどである。
我々はマダガスカルを出航してスンダ海峡に行くのか,あるいは単に艦隊の錨地を他に移すだけなのか,いまなおまったくわからない。今の状態ではどちらに決まってもおかしくない。
2006/01/17 in | Comment (0)
天気はよい。私は朝食を終えるとすぐにドンスコイに行き,そこからボロジノに行き,さらにウラルから,ようやくいまスワロフに戻ったところである。どこでも何も食べず,スワロフに返ってから,ようやくパンとバターにありついた。チョコレートももらえたのは嬉しかった。
ウラルの前身はマリア・テレサという船名で,ハンブルグと米国の間を航海していたドイツの船である。
2006/01/16 in | Comment (0)
クバニが来着した。明日は同艦に行かねばならない。
今日はほとんど外に出た。朝食後にアウローラ,ナヒモフ,ジェムチューグ,シソイ,およびウォロネジなどの艦船を巡航した。ウォロネジは義勇艦隊の汽船である。同艦で10ルーブリを使って巻きタバコを1,000本買った。これで大満足である。
私やその他にも多くの者が熱帯地方特有の発疹を起こし,みな大いに閉口した。リバウ以来はじめて訪問したジェムチューグでは,私が髭だらけになっていたために誰も私がわかる者はいなかった。
オレーグ,イズムールド(長村注:どちらも巡洋艦)は駆逐艦とともにここに来るはずである。私たちはここに碇泊しているが,いつどこに行くのかは誰も知らない。我々の艦隊はロシアに帰艦するだろうという噂である。
セバスポートリからはなはだ奇怪な通信の書面が届いた。その通信によれば水兵が謀反を起こして多くの災害を生じたというのである。またペテルブルグで大騒乱があったことも伝えた。
今日の早朝には他に行くところがあったが,敵地上陸の訓練があったために汽艇もカッターも一隻も利用できなかったため,ついにどこにも行くことができなかった。ボロジノ型軍艦に関する記録の草案を書き終え,印刷するために事務員に渡した。もし19日または20日の出航が確実であれば,ようやくのことでこれをペテルブルグに発送するのに間に合う。
私たちはオレーグと,この艦と一緒に来る他の艦を待たずに出航するとすれば愚かなことである。いま私たちはどこに急いで行く必要があるのか。また,何も我々を追うものもいないのではないか。安全に碇泊しているのであるから,他艦が来航して艦隊をさらに優勢にするのであれば,何も巡洋艦や戦闘艦がこれを邪魔者扱いする必要はまったくない。
2006/01/15 in | Comment (0)
(ロシア暦の元旦)
私は4時に士官室を出た。あとには多くの士官たちがまだ酒盃を傾けつつ残っていた。
きのうはボロジノのカッターで陸からスワロフに戻った。
ノシベの住人はさまざまな人種の混合である。黒人,雑種,マレー人,インド人のほか,多少のヨーロッパ人もいる。当地には馬は非常に少ない。人が肩に担ぐ輿に乗って行く。猿,オウム,トカゲ,鰐の種類は非常に多い。鞍と大きな角の牛など,家畜もかなりいる。
今日は元日なので各艦の将校たちは互いに祝賀に往復した。皆,時刻に遅れて帰艦し,かつ威儀も何も頓着ない様子であった。各艦では互いにむやみにご馳走を強いて,もし飲酒量が少ないと,かえって恥ずかしい目にあうほどであった。
2006/01/14 in | Comment (0)
私たちは皆,こちらからロシアに送金する方法について話し合ったが,どうやっても送金の方法はなかった。今日は大晦日である(長村注:ロシア暦の大晦日。ロシア暦に13日を足すと新暦になる。)。日々同じことを繰り返していて,誰一人として新年のことを言い出す者もなかった。
日射病に罹った水兵はすでに死んだ。死後,体温はまだ43度もあったという。
書面を認め終えるとすぐ,ウラルに行くためにカッターに乗り込まなければならなかった。ウラルはドイツから購入した汽船のうちの1隻であるが,なかなか立派な船である。室内は美術的な装飾が施され,金色燦然として非常に見事である。船体もかなり大きい。船内に入った。
葬儀が始まった。船内の式場は華美と神聖とが調和し,善美と乱雑を合わせたような感じである。祈祷式が終わって,大尉の遺骸は本艦からカッターに移された。汽艇がこのカッターを曳航して陸を目指して進み,会葬者を満載した何隻かの汽艇とカッターがその後に続いた。
棺を本船から降ろしたとき弔砲が放たれ,各艦はいずれも半旗を掲揚した。乗員は甲板に整列し,楽隊は「名誉とあらば」を演奏した。陸上では二組の楽隊と会葬者がこれを迎えた。
他にも一組の埋葬式があった。これは同じウラルの日射病で亡くなった水兵である。墓地で「パニヒダ」(死者冥福の祈り)を行い,棺を地中に埋葬した。
儀仗兵は3回,一斉発射の弔銃を放った。新しい磨き石の上に墓標の十字架を立てて列席者は解散した。
こうして,2人のロシア人の遺骸は万里の異域に止められ,ふたつの白木の墓標は弔う者もない異郷の地に残された。彼らはその遺骸をロシアを離れた,かくも遠方の地――この他国に葬られるとは夢想だにしなかっただろう。また,彼らは同じ災難に枕を並べて死し,また同じところに葬られるとは思いもしなかっただろう。そう,これも人生なのだ。
また一人,アリョールで発狂した。こんなことはもうたくさんだ。
2006/01/13 in | Comment (0)
今日はウラルにとって不幸な日となった。朝にはひとりの水兵が日射病で倒れ,夜には二人の士官が椿事によって変死した。一人は准士官,もう一人は大尉である。この変事のために准士官は胸部を挫き,また脊髄を折った。
大尉は頭部を打って人事不省に陥ったのだが,彼は実に気の毒であった。なぜなら彼は黒海艦隊の(マダガスカルに来航した)士官であったが,30分ほど前に黒海艦隊からこの巡洋艦に転乗したばかりであった。艦隊には多くの士官がいるが,彼は黒海艦隊の海軍帽(すべてが白色)を被っていたのでとくに目に付いた。彼はスワロフに来たが,変事の1時間前にその巡洋艦に赴いたのである。スワロフに留まるように勧めたが,それを辞してウラルに乗り込み,この変事に遭遇したのである。まことに気の毒な話である。
この大尉はスワロフに来るとすぐ,艦内に多くの友人がいたので,黒海艦隊に関していろいろな話をし,この艦隊と編成人員とのことについて大いに憤慨して非難した。たまたま私も客室にいてこれを聞き,大いに興味を抱いた。彼は黒海艦隊の人員を非難して,こんなことを言った。自分と一緒に奉職している士官が4人いて,その中の3人が殺された。4人のうちの3人が殺されたとなれば,自分の運命もどうなるかわからない,云々。
彼がこの話をしたのは変事の1時間前である。彼がスワロフを辞す前に,少しの時間,私は彼にウラルに乗り込むに至る話を聞いた。
いま,士官室ではスワロフが陸上との交通を禁じられたことの話で持ちきりであった。これは一人の水兵が逃亡したための措置である(上陸した後,時間になっても帰ってこなかったのである)。とくに捜索もされなかった。
2006/01/12 in | Comment (0)
今日12時半に釣り糸を買いながら艦長と上陸した。エスペランスは食料品を携えて来着した。
陸地に上がって,象皮病という疾患に罹ったニグロ人を見た。その足は大きく腫れて杭のようになっている。この病気に罹るのはニグロ人とマレー人だけとのことである。
提督は何かの電報を入手した。フランスの一駆逐艦が私信と一緒にこの公信をマユンゴから持ってきたのである。もちろん公信は暗号電報であるから,いまこれを解読している最中である。
ペテルブルグからの我が艦隊の進退に対する決定については何も届いていない。何事も公表されていない。たぶん評議中なのであろう。
艦隊から3名の士官が職を罷免された。発狂した少尉と病に倒れた大尉,そのほかにアウローラの将校1名である。
運送船マライヤとコルチアコフの2隻をロシアに帰還させることになったが,この証明のための委員会が組織され,私もその一員に加えられた。明日上陸するつもりだが,この委員会のために,それが実現できるかどうか。
艦隊の進退決定の通知がペテルブルグから来るのを,ここに碇泊して待つだけというのは実に情けないことである。
2006/01/11 in | Comment (0)
艦隊は徐々に,ノシベからあまり離れないように方向を転じて航行している。
午後2時,ローランドが「乗員が反乱を起こした」という信号を掲げ,ベドウイが反乱の沈静を命じられ,もし必要であれば彼らを撃ってもよいとされた。ベドウイはこのように全権を担ってローランドに行き,直ちに鎮定した。反乱の原因は火夫が1名の病兵に交代することを拒んだためであったという。
昨夜はほとんど眠られず,4時に寝たが7時には起きた。
私たちは果たしてどのような事件に遭遇するのであろうか。極東における我が艦隊の殲滅と旅順陥落の後,万事が根本的に一変した。いまや我々は極東に急ぐ必要などはない。我が艦隊の進退を決すべき道はつぎの一つを選ぶのみである。すなわち,ひとつは艦隊が極東に向けて航行を続けること,もうひとつは艦隊が日本沿岸に行く必要が生じるまでどこかで無期限に碇泊するか,またはロシアに帰還させるかのいずれかである。
もし我々がどこかに碇泊して時期を待つとすれば,我が提督はそのまま艦隊にとどまるであろう。しかし提督が辞任すれば,彼の幕僚たちは果たしてどういう運命に遭遇することになるのだろうか。
私はいま座って職務を執っている。懐かしい小ロシア行進曲が流れている。明かり窓から見るとノシベに着いた。甲板に駆け上がって珍しい風景を眺めた。湾内は波静かで周囲は山である。とくにその中の二つは大きな山で,全山森林に覆われ,湾に対して関門のように聳えている。太陽の灼熱は焼けるようだ。
不幸な祖国の残艦はことごとく湾内に集合している。楽隊が行進曲を演奏した。我々が1ヶ月も前にタンジールで別れた諸艦と,ここで合流したのである。ロシアが持っている諸艦はみなここに集まったことになる。これらは何の名誉もなく,恥ずべき滅亡を遂げるのではないだろうか。艦隊はまだ大きいが,それがどれほどの利益を齎すのか。これらも結局は破壊されるか,あるいは海底に沈没するのではないか。あゝ,我が諸艦は大海軍滅亡の大悲劇の一幕を演じようとしているのではないだろうか。
ロジェストウェンスキー提督とフェリケルザム提督とは熱い友情で再会し,お互いに接吻して迎えた。フェリケルザム艦隊の水兵はいずれの水兵かを区別することはできない。彼らはみな海軍帽の代わりに熱帯地方に適した帽子を被っているからである。しかし我が水兵はみな日覆いの付いた海軍帽を被っている。フェリケルザムとエンクイストの両提督はロジェストウェンスキー提督の朝餐に招待された。
新しい情報に接したが,みな不愉快なものばかりであった。この地には電信も郵便もない。駆逐艦は郵便や電報を発するためにマユンゴに遣わされた。この街はここから200露里である。ここにはヨーロッパ人の居住者がいたって少ない。
新聞はいろいろな噂を掲げ,どれとっても真実とは信じられない情報を伝え,旅順は4万余の守備軍が降伏し,その中には約1千の士官がいたという。実に信じられない話である。
日本人の獲物はもう十分である。旅順に沈没した我が軍艦を引き揚げ,その旧艦名をつけたままの軍艦で我々と戦おうとしている。
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フェルケルザム提督はロシアから書面も郵便も来ないという。提督は本国の海軍参謀部に書信を貰いたいと二度も電報を出して求めたにもかかわらず,参謀部はその返信さえもしないとのことである。すでに2ヶ月もの間,家族の消息も知らされない,この850余名の士官に対して彼らペテルブルグに留まっている者たちは,いったいどのような考えを持っているのであろう。彼らは実に冷淡である。彼らは他人のことはどうでもよいのである。
運送船コルチャコフとマライヤは,この先艦隊に随伴せず,ロシアに帰すとのことである。我が艦隊は従来どおりの艦隊序列で1月中旬にマダガスカルを出航するようだ。
ブイヌイの艦長が来訪。この駆逐艦には破損した箇所が非常に多いという。明日の朝,同艦に行って修繕の処理を命じなければならない。
我々の前途には一大航海が待っている。どこにも寄港せずにインド洋を横断しなければならない。海上が安全ならば20日でスンダ海峡に到達する。そこから日本まではそう遠くはない。はたしてどうなることか。我が艦隊も旅順艦隊と,その運命を共にするのではないか。ノシベ湾は長崎の港に酷似しているとのことである。
私室に閉じこもっていることはできない。甲板さえ靴の底からその暑さを感じるほど熱せられている。
マダガスカルに向かう途中,我々が遭遇した定期風は,この島に大きな損害を与えた。我々がその難を逃れ得たのは実に天佑であった。感謝しないわけには行かない。スエズを通ってきた艦隊の航海は我々よりもだいぶ容易であった。彼らはたびたび安全な港に入った。その航路も短く,士官や水兵は何回も上陸を許された。それに対して我が艦隊は荒野のような湾に入りながら大旅行をした。水兵は一回も上陸を許されず,士官でさえ上陸を許されたことは非常に稀であった。明日は上陸を許されるとのことであるが,私はあえてこれを望んでいない。陸地は開けざる荒野である。
今夜は明かり窓を開けたまま寝よう。夜はすでに更けた。早く寝なければならない。明日はまた早く起きて湾内を回航し,諸艦を巡視しなければならない。いまのところ破損は少ないようではあるが,ただ発見されないだけかもしれない。明日は自分で巡視することにする。
2006/01/09 in | Comment (0)
ボードルイが石炭がなくなったことを報告してきた。全艦隊は停止し,ボードルイはアナズイリの舷側に寄って,同船から石炭を積み込んだ。海上は穏やかで,何の問題もなく積み込みを終えられたのはたいへん幸運であった。
今日は奉神礼と感謝の祈りがあった。キリストの降誕祭のためである。祈りが終わってから,提督は乗員に向かって簡潔な話をした。各艦は規則にしたがってみな31発の祝砲を放った。
同夜,ボロジノは海上信号機によってつぎの連絡をしてきた。すなわち,日没前に同艦のブリッジから我が艦隊と同一航路を採って追尾してくる4隻の大軍艦を見つけたが,その中の3隻は引き返して艦影を没し,残る1隻は灯火を点じた。しかし少しして灯火を消し,航路を転じてついに見えなくなった,というのである。
また,マダガスカルには日本の軍艦が碇泊しているとの通信に接した。
夜に入って非常を戒めた。我が航路と反対の方向に灯火を認めたのである。みな敵の襲撃を危惧した。運送船ならびに各戦闘艦に対して敵の艦隊から襲撃を受けた場合にどのように行動すべきかの命令も出された。
巡洋艦スウェトラーナはノシベ碇泊の艦隊に遣わされた。士官私室は息苦しくて寝ることができず,朝6時まで衣服を纏ったまま士官室の長椅子に横になった。6時に私室に戻って明かり窓を開けた。海水がテーブルを濡らし,寝室にまで注いできたが,しかし少しも邪魔にならず,睡眠の妨げにもならなかった。
いまなお前方にあるスウェトラーナと今朝無線電信で通信した。同艦はノシベに停泊中の艦隊とも通信した。巡洋艦アウローラ,ドンスコイ,ナヒモフなど,いずれも同地に投錨していることがわかった。昨日,我が艦隊の同一航路後方で見たのはディエゴ・スアレツにいるクバニとともにしているこれらの諸艦だと思ったが,いまにして思えばこの想像はまったくの間違いであった。
私たちはまだ測量もしていない未知の場所に行こうとしている。海図にはそこまで重きを置いていないかのように,水深でさえ掲げられていない。ただ広く開けている場所なのに,私たちの航行にとっては狭く感じられ,もしかすると浅瀬に乗り入れるのではないかという懸念もある。
メテオルはもっぱら淡水を積み込んで運送船に供給し,ときには軍艦にも給水している。ローランドは曳船をし,かつ通報任務を帯びていて,艦隊から少し離れて航行している。この船は吃水が浅い船である。
タングタングからノシベに行く途中,スウェトラーナ,ビエードウィ,ボードルイの諸艦が我々に合流した。またアウローラ,ドンスコイ,ナヒモフの3艦は我が艦隊から分離した。これらの諸艦は3日前にノシベに着いたものである。
今日は,以前から着手していた,戦闘艦ボロジノ,アリョール,インペラトール,アレキサンドル三世,ならびにクニャージ・スワロフなどに関する記録の草稿をまとめ終えた。この草稿は,多少の校訂を加えた後,これをペテルブルグに送ろうと思う。多くの者は,この記録に不満である。私はこれによってさらに多くの敵を作ることになるかもしれないが,あまり意に介していない。一度決心したなら最後までやり抜くべきである。しかも,この記録はたいへん重要なものなのである。
7時にノシベを出航した駆逐艦ブイヌイが到着した。ノシベにいる他の艦はみな無事であるとのことであった。この駆逐艦は病院船アリョールを錨地に誘導することを命じられた。いま我が艦隊は錨地から30マイルの地点にあって,入港が危険なため夜の間は外洋に留まり,明日の早朝に入港する。夜通し危険を冒して運送船とともに外洋に漂っている。
2006/01/07 in | Comment (0)
旅順はついに陥落した。何をか云わんやである。
我々はタングタングからノシベに行く途中であるが,旅順陥落の悲報は今日到着したローランドからもたらされたものである。また巡洋艦スウェトラーナ,駆逐艦ビエードルイ,およびボードルイの2艦が我々の艦隊に合流したが,ボールドイは機関を故障したのでローランドが直接曳航してきた。この2艦はノシベに行くことを命じられた。
このほか今日は2隻の石炭船が到着している。
2006/01/06 in | Comment (0)
艦隊の前日の錨地に停泊していたマライヤは,まだ艦隊に合流していない。巡洋艦は出航した。ローランドは帰ってきていない。クバニも来ない。同じくスエズ経由の艦隊も来ていない。
今夜,フランス国旗を掲げフランス人の乗組員がいるエスペランスにひとつの事件があった。エスペランスの乗員は灯火を消して碇泊することを望まず,彼らはストライキを起こして艦長を脅したのだ。これはフランス人たちが襲撃を恐れたからである。
いまエスペランスはどこかに派遣されるようだ。石炭船は来着して何かの情報をもたらした。これによって我々は明日にはどこかに出航することになったのだが,行き先はわからない。
同夜,クバニはジェゴ・スアレツにいた。スエズ経由の艦隊はノシベにいるとのことである。我々は明日,そこに行くことになる。
2006/01/05 in | Comment (0)
今日は巡洋艦クバニの来着を待っている。明日はスエズ通過の艦隊が到着予定である。
英字新聞は,ロシアはイタリアおよびドイツに各種艦船30隻の建造を注文したと報じた。
無線電信班が得た不明な暗符について,今日,ナヒモフの乗組員の一人が解読したという。この電報は日本からの発信で,この電信は「ロシア艦隊は灯火を消してセントマリー付近に停泊している」と報じているとのことである。
今日,当地の某軍隊司令官であるフランス人の将校がスワロフに来訪し,艦内に一泊した。今日も防御網を下して水兵を大砲のそばに配備し,汽艇ならびに各艦搭載の水雷艇がいずれも海上で自艦を警戒している。当番外の三分の一の士官は,多くは好奇心から甲板上にいる。
夜はかなり暗く,空は半分ほどは密雲に閉ざされている。どこかで時々光が閃くのが見えた。また小声で話をしている者もいた。光は海岸から放たれ,海上からもこれに答える信号の光を見ることができた。アウローラは,その艦尾から6個の光を認めたと報告してきたが,私も海上に一度に4個の灯火を見た。
今夜ははたして何が起きるのだろうか。襲撃を受けるかもしれない。全艦隊は何となく異様な雰囲気である。艦内の灯火はすべて覆い隠された。夜明けには巡洋艦が秘密命令によってどこかに投錨するようだ。たぶん石炭に関することらしい。
2006/01/04 in | Comment (0)
タングタング湾にいる。今日の早朝に抜錨してセントマリー島を出航し,マダガスカル付近のここに来たのである。この湾は前の碇泊地に較べればかなり安全である。
今夜はじめて外部から見える全艦隊の灯火を消した。至るところの隅々に哨兵が立ち,注意深く地平線上を望見している。話をするのもみな小声だ。
近くに停泊している諸艦の影は黒く朦朧と見える。大砲はいつでも発射できるように準備した。舷側には波に動く水雷防御網を見ることができ,また探照灯はすぐに付近を探照することができるようにしてある。四辺寂として音もないが,士気が揚がるのを感じつつ,ひっそりと警戒している。
2006/01/03 in | Comment (0)
エスペランスに行かなければならないため今日は早朝に起床した。またも海水に濡れて靴も上着も着替えざるを得なかったが,昨日濡れてしまった衣服が乾いたのは幸いであった。
艦ではフランス人数名が帰るときに,彼らに電報や書面の発送を依頼した。しかし私はエスペランスに行っていたため書面を委託することができなかった。
我が艦隊はそう遠くない時期に錨地を他に移すようだ。ノシベに行くかどうかはわからないが,そこには投錨しないだろう。なぜなら戦闘艦や運送船のためには湾内がかなり狭く,不便だからである。
エスペランスで肉類の貯蔵所を冷却する冷却器が故障した。これは悲劇だ。肉類がみな腐敗してしまったため塩肉を使わなければならなくなったのである。
4時,汽船ベルノスブッコが着いた。この船はペテルスブルグからの連絡を何も持ってこなかった。この船は6時にはすでにジェゴ・スアレツに向けて出航した。
我が艦隊は明日抜錨してどこかの湾に向けてか,北方に行く。
オスラービアの火夫が死亡し,今日の5時に葬式があった。オスラービアは列外に出て半旗を掲げ,弔砲を放ち遺骸を海中に葬った。この儀式の際,諸艦の乗員士官の一同は正面に整列して楽隊は「名誉となれば」を演奏した。
今日,無線電信班が一通の電報を受け取った。非常に遠隔地から発信したもののようだ。どの艦でもこれを訳読できる者はいなかった。どこの国の言葉かもわからない。もしかしたら先にマダガスカルに着いた我が艦隊の一部から発したものではないか。
2006/01/02 in | Comment (0)
(ロシア暦では12月19日)
今日,セントマリー島に上陸した。私たちの散歩は,ようやく海岸に到着することから始まった。海は風波が甚だしく,カッターは激浪のためにかなり揺れて,全身濡れ鼠のようになった。私たちは出発したことを後悔した。
この地方の景色はガブンダガール地方と大差ない。どこを見ても熱帯植物が生い茂っている。住民の風俗はまったく別である。この地の住民はガブンダガールなどの人と較べると衣服を纏っている者が多い。フランス人はこの地の住民を信頼せず,ここの兵卒は皆他の地方から募集した者だけである。
マダガスカルでは,最近土地の者が2人のヨーロッパ人士官を殺害した。我が艦隊がここに来たとき,この地の人たちの中には殺害事件を罰するために来たものと想像して逃げていった者さえいた。
セントマリー島はマダガスカルにとってはあたかもサガレン島のようなものである。セントマリー島には2箇所の監獄があり,ひとつは国事犯者の監獄で,もうひとつは刑事犯のための収容所である。
ここの黒人でもっとも奇妙なのは,その歩行態度である。彼らは歩行するのにいずれも姿勢を正しくし,堂々と構えて歩いている。
私は海岸を散歩しながらひとつの村落に行き,旧教の会堂に入った。今日は新暦の元旦である。住民は皆礼服を着ている。村で綺麗な貝殻6個を1フランで買った。海岸を散歩して貝殻50個を集めた。その中の一つは直径6,7インチあった。散歩中も,遠くに碇泊している本船まで風波を冒して(風はまだ強い)カッターに乗って帰らなければならないのかと思うと少し不愉快になった。
本艦に帰還すると,意外にもいま着いたばかりのエスペランスに行かねばならない用事ができた。風波はますます高くなり,スワロフに来訪した2名のフランス人は陸に戻ることができず,艦内に一泊することになった。彼らの乗ってきたカッターの水兵である黒人らは我々乗員と同室に泊まることを許可された。この偶然の来客は,我々の水兵を大いに愉快にさせた。
朝,ローランドが帰ってきて,次のような報告をもたらした。マダガスカル付近で不審な一隻の汽船と日本の駆逐艦を目撃した。日本艦隊の一部はシンガポールに来ている。またフェリケルザムの艦隊がノシベに着いたのを目撃した,というものである。
ペテルブルグからタマタブにはまだ返電はない。明日,フランスからの汽船がその返事を持ってくるだろう。
タマタブでは,我が将校たちは非常に歓迎された。この地ではロシア艦隊の来泊を祝するために,料理店の魚にさえも双頭の鷲と我が国の国旗をかたどっている。
2006/01/01 in | Comment (0)