バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

1月7日

ボードルイが石炭がなくなったことを報告してきた。全艦隊は停止し,ボードルイアナズイリの舷側に寄って,同船から石炭を積み込んだ。海上は穏やかで,何の問題もなく積み込みを終えられたのはたいへん幸運であった。
今日は奉神礼と感謝の祈りがあった。キリストの降誕祭のためである。祈りが終わってから,提督は乗員に向かって簡潔な話をした。各艦は規則にしたがってみな31発の祝砲を放った。
同夜,ボロジノは海上信号機によってつぎの連絡をしてきた。すなわち,日没前に同艦のブリッジから我が艦隊と同一航路を採って追尾してくる4隻の大軍艦を見つけたが,その中の3隻は引き返して艦影を没し,残る1隻は灯火を点じた。しかし少しして灯火を消し,航路を転じてついに見えなくなった,というのである。
また,マダガスカルには日本の軍艦が碇泊しているとの通信に接した。
夜に入って非常を戒めた。我が航路と反対の方向に灯火を認めたのである。みな敵の襲撃を危惧した。運送船ならびに各戦闘艦に対して敵の艦隊から襲撃を受けた場合にどのように行動すべきかの命令も出された。
巡洋艦スウェトラーナはノシベ碇泊の艦隊に遣わされた。士官私室は息苦しくて寝ることができず,朝6時まで衣服を纏ったまま士官室の長椅子に横になった。6時に私室に戻って明かり窓を開けた。海水がテーブルを濡らし,寝室にまで注いできたが,しかし少しも邪魔にならず,睡眠の妨げにもならなかった。
いまなお前方にあるスウェトラーナと今朝無線電信で通信した。同艦はノシベに停泊中の艦隊とも通信した。巡洋艦アウローラドンスコイナヒモフなど,いずれも同地に投錨していることがわかった。昨日,我が艦隊の同一航路後方で見たのはディエゴ・スアレツにいるクバニとともにしているこれらの諸艦だと思ったが,いまにして思えばこの想像はまったくの間違いであった。
私たちはまだ測量もしていない未知の場所に行こうとしている。海図にはそこまで重きを置いていないかのように,水深でさえ掲げられていない。ただ広く開けている場所なのに,私たちの航行にとっては狭く感じられ,もしかすると浅瀬に乗り入れるのではないかという懸念もある。
メテオルはもっぱら淡水を積み込んで運送船に供給し,ときには軍艦にも給水している。ローランドは曳船をし,かつ通報任務を帯びていて,艦隊から少し離れて航行している。この船は吃水が浅い船である。
タングタングからノシベに行く途中,スウェトラーナビエードウィボードルイの諸艦が我々に合流した。またアウローラドンスコイナヒモフの3艦は我が艦隊から分離した。これらの諸艦は3日前にノシベに着いたものである。
今日は,以前から着手していた,戦闘艦ボロジノアリョールインペラトールアレキサンドル三世,ならびにクニャージ・スワロフなどに関する記録の草稿をまとめ終えた。この草稿は,多少の校訂を加えた後,これをペテルブルグに送ろうと思う。多くの者は,この記録に不満である。私はこれによってさらに多くの敵を作ることになるかもしれないが,あまり意に介していない。一度決心したなら最後までやり抜くべきである。しかも,この記録はたいへん重要なものなのである。
7時にノシベを出航した駆逐艦ブイヌイが到着した。ノシベにいる他の艦はみな無事であるとのことであった。この駆逐艦は病院船アリョールを錨地に誘導することを命じられた。いま我が艦隊は錨地から30マイルの地点にあって,入港が危険なため夜の間は外洋に留まり,明日の早朝に入港する。夜通し危険を冒して運送船とともに外洋に漂っている。

2006/01/07 in  | posted by gen

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