バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

2月21日

アナズイリカムチャツカ,および陸上に行くための準備をした。カッターはまもなく本艦を離れ,艦隊も抜錨した。
正午に郵便局で必要な用事を終えたのでオレーグ乗組みの一人の水先案内と市街を散歩した。彼はあまり好ましい同行者とはいえなかった。すぐに疲れてしまったのである。喫茶店に立ち寄ってコーヒーとレモナーデなどを飲み,卵やバナナなどを食べ,それから墓地に行った。その墓の番人は近頃埋葬されたドイツ人の墓を示して,これは日本人の墓ですと言った。番人にボポフ君の墓を掃除するよう命じた。ひどく荒らされていたからである。掃除の代金を払う約束をした。

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それからヨーロッパの輸入品を売っているインド人の商店に立ち寄った。そこの店頭の看板はロシア語で「ご来店の上,士官用の物品並びに食料品のお買い上げを請う」と書かれていた。主人のインド人は多くのロシア語を知っていた。店に座っている間,一人の男が扇で我々を扇いでくれた。いつもは店々の品物はだいたい売り切れていたが,汽船が着いたので,今日は店先に物品が溢れていた。3時にカッターを送ってくれるように命じた。
アナズイリに行って,そこで艦隊が沖での演習から帰るのを静かに待とう。我々の多くが始終散歩に行く村はゲラウィルと言う名前の村であることを最近知った。
このごろ艦隊ではノシベをノシベスキー郡ノシベスク市(ロシアの地名の読み方)と洒落る者もでてきた。ここは実際,そのうちロシア化されるだろう。まだ停泊し続けたなら,人々はみなロシア語で話しをするようになるだろう。ここでの水兵の影響はかなり大きいのである。

2006/02/21 in  | posted by gen

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