バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

2月27日

今朝は6時に起きた。終日,ジェムチューグスワロフアリョールボロジノアレキサンドルカムチャツカの諸艦に出張勤務した。カムチャツカで朝食を摂りはじめたところでスワロフに帰るように要請を受けた。スワロフでは定例の仕事があるためで,けっきょく朝食も食べられなかった。スワロフでの仕事は未だに終わらない。いまも続けている。
昨日,あなたに電報を出した。

続きを読む "2月27日"

手紙を書き始めた。郵券を貼った封書は私のテーブルの上にある。上陸するときにいっぺんに投函するつもりである。郵便船は来月6日または7日に出航の予定だ。
水兵は上陸を許されていない。クロンスタットを出てから一度も上陸していない水兵がたくさんいる。レーウェルでは出航前に多くの人たちが上陸した。
近頃のことだが,カムチャツカのひとりの水兵が2個の救助袋を身に着けて舷側から海に飛び込み,陸に向かって泳ぎだした。しかし偶然,探照灯に照らし出されてカムチャツカに引き揚げられたのだが,その水兵は脱艦の理由を述べて,「海上の退屈に耐えられず,陸地に行きたくて忍耐できずに飛び込んだ」と言った。この水兵の境遇は実に耐え難いものなのである。
とくに私が奇異に思うのは,レーウェリを出航以来,上陸しようと思えばできるにもかかわらず一回も上陸しない士官がいることである。
ジプーチのこと(第3艦隊に合流する前にそこに行くという噂)はいまなお聞かれる。
私はいまの倦怠に耐えられず,家のことを想い,精神が何となく圧迫されるように感じている。この漂白がいつ終わるのか少しもわからない。私はこの艦隊から抜け出すために何とかしたいという欲求をまったく持たないわけではない。艦隊は戦争が終わるまで極東に行かないかもしれない。私はこの艦隊に乗り込んだことを後悔している。
明日も早朝に起きて,ジェムチューグと同じ型で建造されたイズムルードにも,ジェムチューグに生じたような舵の破損をあらかじめ防ぐための潜水工事をしなければならない。

あなたは,このノシベに軍艦旗・商船旗を掲げて碇泊している艦船が何隻ぐらいあるかを知る由もないはずだが,実に42隻もの多数である。その他にもここにいる艦隊の運送船は,その数もわからないほどである。
また,士官と水兵は果たして何人になるのか。たぶん1万2千人をはるかに超える人数であろう。
昼食が終わったら,郵便を投函するために是非上陸したい。再びなくしてしまわれないように他人に託すのは止めたい。私は郵便の差し出しをたくさん頼まれた。その中には公信書もある。まだジェムチューグには出張していないが,たぶん行かねばならないだろう。途中カムチャツカに寄ろうと思う。
天気はよくない。よくないどころか大雨で全身ずぶ濡れになった。オレーグに出張して,そこで朝食を摂った。この巡洋艦には30分も過ごした。オレーグの艦長は病気で,肺病とのことである。上席士官その他の者も,この艦では裸足で歩いている。エンクイスト提督は,その幕僚とともにオレーグに転乗するらしいが,この艦は彼らにとっては非常に狭いと思う。
従卒は手紙の投函を託しておきながらなぜか持ってこない。いまのところ上陸を妨げる用事もない。偶発事故もない。
運送船コルチャコフは,最初ロシアに帰還させられるものと想像していたが,帰還させないとのことである。今日,この艦ならびに運送船ヤコスラウリはジェゴスアレツに赴く。

今日の2時に上陸した。6通の公信書をみな投函した。
陸上の商店は雨後の竹の子のように続々と開店し,多くの新しいロシア語の看板が現れている。今日は「この商店にお立ち寄りください」とだけ書いてある看板を見た。今度新しく開業した「露仏喫茶店」の前を通った。物価はますます高くなっている。普通の店で,冷水に少しの酒石酸を混ぜた一杯が氷を入れないで50サンチームもした。
この土地の人の結婚式を見た。まず黒人が行列をつくり,市役所に行ってそこで帳簿に記名し,それから一同で会堂に行ってそこで牧師が結婚式を執り行った。二人の若い夫婦は靴を履き,ヨーロッパ風の衣装を着けていた。会堂では結婚式の最中に犬が会堂内を駆け回っていたが,誰もそれを制止する者はいなかった。たぶんここでは犬を不浄な動物とは思っていないのであろう。
牧師が式を行なうとき,一人の少年が従っていた。牧師は黒い立派な髭のある人である(もちろんヨーロッパ人の宣教師である)。会堂は黒人の参拝者でいっぱいであった。見物人の中には我々士官も多数いた。結婚式が終わって新夫婦は相携えて会堂にいる参拝者の間を回り,献金を集めた。私も1フランを与えた。黒人で満席の会堂でキリスト教の式典が行なわれるのを見るのは,慣れない者には異様な雰囲気であった。
水兵たちはどれだけ酒を飲むのだろう。今日もすでに感覚を失った水兵が担架で運ばれるのを見た。動き回って滑り落ちたのだ。見るに堪えない光景である。
オレーグ艦長の病気は思わしくないとのことだ。もし艦長の病気が肺病だとしたら,非常に悲しむべきことである。軽い肺病であっても,この地方の気候がすぐに影響して急激に悪化するとのことだからである。
士官室には,またもひとつの獲物が増えた。どこからか小さなワニを持ってきた者がいたのである。スワロフは,まさに巡回動物園のようになった。
来る3月中旬には出航して極東に向かうと思われる。果たしてこれが事実だとすれば,なぜ第3艦隊を増遣するのか。実に方針も熟慮も順序も何も存在しない。みな思うままに妄想を逞しくしているに過ぎない。

2006/02/27 in  | Comment (0)

2月25日

フランスの新聞の影響で和議締結の噂が盛んである。如何にしても平和を締結し,莫大な償金を払ってでもこれをすべきであるという説もある。我がロシアはついに賠償金を払わざるを得ない状況に立ち至ったのか。戦争は完全に敗軍となるのだろうか。私はこれを信じたくはない。我々が招いた恥辱はいままでで十分なほどだ。その終局までもが恥辱に満ちたものになるのか。
如何なる代償を払ってでも平和を締結せざるを得ないという言葉は,第二者の側(ロシア人)からも聞かれるようになった。はたしてどんな精神なのか。このような恥辱極まりないことを公言し,かつこれを弁護しているのだ。このような考えを持つ人たちに善事を期待できるだろうか。実に困難な時期だ。戦争もロシア内地も,万事悪運が満ちている。この結果ははたしてどうなるのだろう。善美な終局はとても期待できない。

続きを読む "2月25日"

(続き)
今朝,手紙を書くのを妨げられた。石炭運送船ゲルマンの破損修繕のために出張しなければならなくなったのだ。ゲルマンからさらにオスラービアに行った。
不愉快な事件が起こった。スワロフの舵の鉄板が少し剥落したというのだ。これは偶然の発見である。もしこれが本当ならば非常な大仕事になる潜水工事をしなければならない。しかも日数を要するものである。この破損を発見した士官にはまだ会っていない。彼を呼んで2時間も待ち,そのために上陸もできなかった。それで電報と手紙の投函を他人に依頼した。
私は舵の破損について思えば思うほどはなはだ疑わしい。鉄板が剥落したかもしれないが,ほんとうに舵のものかどうかはわからない。私がいま考えている程度であれば,これは卵の殻ぐらいに過ぎない。私自身が潜水服を着て実際に調べるべきかとさえ思う。しかしアブラクシンのときに潜水したときのことを思うと,よほどの必要に迫られなければ水中には入らないつもりである。
3時,私の想像は当たった。スワロフの舵は少しも破損していなかったのだ。鉄板は窓の僅かの部分が剥落しただけだった。この修理はとくに手間がかかるというほどのものではない。潜水技術専門の士官を潜水させた。
今日はひどく運の悪い日であった。まず病院船アリョールで死亡した水兵の葬式があった。つぎにオスラービアのひとりの水兵が,その足をカッターと本艦との舷側に挟んでしまって足を折り,とうとう死んでしまった。夕刻にはドンスコイの水兵が溺死した。このような事件はいままで経験したことがない。
ボロジノで指をもぎ取られた水兵を病院船アリョールに移乗させたことを最近知った。重症ではあるが命に別状はないとのことだ。30分ほど前に一人の士官がスワロフの舷側から墜落したが本艦に救助された。シャンペンに酔ったのが原因という。
今夜,幕僚上席主理に面会した。ダムボフにおいて巻煙草千本を15ルーブリで販売するという。非常に高価だが致し方ない。この価格でも買えれば良しとしなければならない。選ぶこともせずに買い求めた。
いまから寝ることにする。明日の朝はジェムチューグに出張せざるを得ないので6時に起こすように命じた。
今日,シャンペンを入れた箱数個がスワロフに運ばれたが,数人の水兵はその箱一個を掠め取って暖炉の中に隠した。しかし彼らは逮捕された。もしこれが公開されて軍法会議にかけられれば厳罰に処せられるだろう。
陸上に喫茶倶楽部が設けられたという。
またも我が艦隊は第三艦隊と合流する前にジプーチに行くことになる,という噂が立った(もちろん信じるべきものではないが)。

2006/02/25 in  | Comment (0)

2月24日

アウローラから海上信号機で出張を要請してきた。朝食を終えたら行くことにする。
あるところから得た情報によれば,日本の軍艦がマダガスカル付近にいるとのことであるが,日本人は自ら進んでこの海軍を殲滅しようなどというような愚を冒す者ではないだろう。
我々の艦隊は,来る28日にロシアに帰還することが決定したという噂がもっぱらである。私はこれをナヒモフで最新の確実な情報として伝え聞いた。よくもこのような馬鹿げたことを考えるものである。ナヒモフの士官室でひとりの技師と数時間雑談した。この人は学校時代からの知り合いである。
駆逐艦グローズヌイの水兵4人が上陸した際に土地の住人の小屋を破壊し,略奪を行ったとして訴えられた。この者たちは裁判の上,厳罰に処せられるだろう。住人が申し出た被害は約60フランに過ぎず,人命には別状はなかった。

続きを読む "2月24日"

今日も非常に暑い。この地のことわざの,いわゆる「自分の汗を浴びる」ような状況である。飲み物だけを際限なく飲んでいる。スワロフの冷却機の修繕が終わったようなので,氷も手に入るだろう。これはたいへん都合がよい。もうすでに私のテーブルには水と氷を入れたコップが置いてある。すべての人がこれを手に入れられるわけではない。冷却機を運転しないときは,提督には他艦から氷を持ってきて差し上げる。幕僚がこれを手にできるのは当然である。
この暑さを経験しない者は,冷たい飲み物をどうやって楽しむのかを想像することはできないだろう。艦隊では,この氷をさまざまに用いる。これを陸でも販売する。
タンボフの艦内に巻きタバコがあるとのことなので,そこに行って買おうと思う。
手持ちぶさたには堪えられない。はやく方針を決定してほしい。すべての者がロシアと全世界から断絶され,虫のような生活をしている。こうした一様で何ら変わることがない生活は時間を持て余し,逆に何も手につかない。その一例を示せば,今日人々は士官室で猿にシャンパンを飲ませ,犬と喧嘩させるなどして遊んだ。
もし第三艦隊が到着するまでここに碇泊しなければならないとしたら,実に嘆息に堪えない。第三艦隊は来る途中にあり,第二艦隊はノシベに碇泊している。それならば第一艦隊なるものはどこにいるのかと思うと滑稽でさえある。第一艦隊はどのような艦船から編成されているのか,ウラジオの3隻の巡洋艦隊からなっているというのか,その中の2隻(ボカチールグロムボイ)は暗礁に乗り上げて半ば破壊されてしまったのではないのか。実に滑稽であると同時にきわめて残念至極でもある。

2006/02/24 in  | Comment (0)

2月23日

委員裁判はひとりの士官に対して身分権を剥奪した上,免官を宣告した。宣告は提督の確定を得て執行される。刑は簡単に決まった。ウラルでの多くの醜事が暴露されて,この事件もようやく終わった。噂によればこの士官は正直な人物だという。彼はペテルスブルグに送られる。
いま,艦内に騒動があった。すなわち艦内の一室から煙が出たため人々が駆けつけポンプまでも用意して,まさに火災警報のラッパを吹こうとした。その後,この煙は行李に入れてあった麻の夏服に火がついて焼けたためとわかった。この服を引き出して消し止め,艦内一同は安心した。
今日の昼食に腐敗肉が出された。私は最初それを知らずに食べてしまった。
上陸して亀甲を買おうと思う。もしあったらそれを買って櫛またはビンの頭を作るつもりだ。

2006/02/23 in  | Comment (0)

2月22日

汽船が来着したがヨーロッパからではなく,艦隊への郵便物も搭載していなかった。
今日の早朝に手紙と麻布の包みを受け取った。開封したところ,あなたからの手紙であることを知って非常に嬉しかった。包みの方はアリョールの技師が手紙を添えて防水の試験に関する雑誌を送ってくれたものであった。
夜中にスワロフで一つの悲劇が起こった。艦内で飼っている小猿を食べた者がいて,その尾と毛皮の一部が残っていただけであった。鼠か犬の仕業かもしれない。そのほかにも艦内には多くの猿が残っている。
今日,運送船キタイおよび駆逐艦に行かなければならない。運送船イルツイシが近々来着するという噂もある。この艦は遅れてロシアを出航したのである。
8時ごろから甲板のシェルターデッキにいた。風はあるというほどではないが,微風に吹かれて座っていれば少しは熱さも和らぐ。ここに多くの者が集まって雑談した。

続きを読む "2月22日"

今日,私は某駆逐艦に出張した。艦長と士官は甲板でお茶を飲んでいた。彼らは網の襦袢一枚に白のズボンを履いたのみではだしで歩いていた。私はこのような風習には慣れることができない。私は艦長の足を見て驚いた。足の指は小指一本を残すのみで,あとの指はずいぶん前に失われていた。意外の感に打たれた。
今日はひとりの士官に対して特別委員による軍法会議が開かれた。この士官は他のひとりの士官を弁護するために艦長に対してはなはだ不敬な言葉で上申書を提出したのである。 この士官は提督の命令によりすでに1月中にウラルから転任してきた者であるが,今回は参謀部から免職を命じられる。裁判の結果はどうなるかはわからない。この士官はたいへん温厚な人物であるとのことなのだが。しかし彼が訴えられた犯罪は厳重に処罰されるだろう。水兵に降格されるか,あるいは禁固刑に処せられるものと思う。
某氏は今日,手紙を認めて直接汽船に送る好機会を得たが,私にはそういう機会を持てず,残念である。
ロシアで,ある人は艦隊から2月22日投函の手紙を受け取ったという者がいるが,あなたには2月21日投函の手紙が到着するだけだ。しかし他の家族の中に,あなたのように多くの手紙を受け取る者はないはずなので,それで我慢してほしい。
非常に面白いので郵便局の書付をあなたに送ろう。郵便局の官吏は自慢してロシア語で「ロシア・ペテルブルグ書留」などと書いている。その官吏は私の手紙から写し取ったのである。
手紙を書く時間がない。あなたのために書きたいのは山々だが,公用の手紙に対して返事を出さざるを得ない。その返事も簡略にして終わらせるつもりだ。
某氏はロシアに電報を打って5日間でその返事を得た。たいへん速かったと言えるだろう。これは天候にも左右される。
ロシアへの送金が簡単になる回章が発せられた。為替はベリンクで取り組まれるはずである。その為替券を手に入れ,金額表示の郵書を発送することができる。その為替券を入手した者が銀行で換金できるのである。

2006/02/22 in  | Comment (0)

2月21日

アナズイリカムチャツカ,および陸上に行くための準備をした。カッターはまもなく本艦を離れ,艦隊も抜錨した。
正午に郵便局で必要な用事を終えたのでオレーグ乗組みの一人の水先案内と市街を散歩した。彼はあまり好ましい同行者とはいえなかった。すぐに疲れてしまったのである。喫茶店に立ち寄ってコーヒーとレモナーデなどを飲み,卵やバナナなどを食べ,それから墓地に行った。その墓の番人は近頃埋葬されたドイツ人の墓を示して,これは日本人の墓ですと言った。番人にボポフ君の墓を掃除するよう命じた。ひどく荒らされていたからである。掃除の代金を払う約束をした。

続きを読む "2月21日"

それからヨーロッパの輸入品を売っているインド人の商店に立ち寄った。そこの店頭の看板はロシア語で「ご来店の上,士官用の物品並びに食料品のお買い上げを請う」と書かれていた。主人のインド人は多くのロシア語を知っていた。店に座っている間,一人の男が扇で我々を扇いでくれた。いつもは店々の品物はだいたい売り切れていたが,汽船が着いたので,今日は店先に物品が溢れていた。3時にカッターを送ってくれるように命じた。
アナズイリに行って,そこで艦隊が沖での演習から帰るのを静かに待とう。我々の多くが始終散歩に行く村はゲラウィルと言う名前の村であることを最近知った。
このごろ艦隊ではノシベをノシベスキー郡ノシベスク市(ロシアの地名の読み方)と洒落る者もでてきた。ここは実際,そのうちロシア化されるだろう。まだ停泊し続けたなら,人々はみなロシア語で話しをするようになるだろう。ここでの水兵の影響はかなり大きいのである。

2006/02/21 in  | Comment (0)

2月20日

戦闘艦アリョールで朝食を摂った。虫まで入ったスープを飲んだが,よく食べられたものだ。アリョールの士官たちの話では,近頃は毎晩のように地平線上に軽気球が飛んでいるのをみるという。その軽気球は灯火信号を出しているとのことだ。
士官の一人は衣服の材料がないので白ズボンを綿布でつくることを考え,これを注文していた。
明日,艦隊は沖に出る。私はカムチャツカアナズイリに出張することを口実にして湾内に留まり,上陸して郵便局に行くつもりだ。これで一日でもスワロフおよびその他の艦隊の船から逃れられる。私は明日,公信郵便物を投函するが,これは大きな包みだ。郵便局で時間を費やすことになろう。

続きを読む "2月20日"

チェザレウィッチ損害の記事を読んだ。たいへん面白い記事だ。この艦には12インチ砲弾が15発命中した(これはたいへんな多さである。12インチ砲弾は恐るべきものだ)。にもかかわらず,一つも装甲を貫通しなかったという。我が戦闘艦スワロフボロジノアレキサンドルアリョールの諸艦はチェザレウィッチに比較すればさらに完全な装甲を持っている。もし12インチ砲弾でさえ貫通しないなら,他の小口径砲弾はもとより意に介することはない。もちろんこれは防御装甲部に命中したときの話である。
グロムボイロシア等の目撃者の話では,一見したところではことごとく破壊粉砕されて慄然とする感がないわけではないが,防御装甲部には一つも貫通したものはなく,艦の重要部には何らの重大な損害を受けていなかったという。
これらのことは結構なことだが,このノシベに際限もなく碇泊し続ければまったく士気を喪失することは免れない。

2006/02/20 in  | Comment (0)

2月19日

今日は提督が病気のために朝のお茶にも出てこられないのを幸いに9時まで寝ていた。それからまた寝て,今度はさらに5時まで寝た。日中は暑さで安眠できないのが普通であるが,今日はそんなに暑いというほどではなかった。
今日は奉神礼の祈祷があった。
この土地に新たに商店を開いた一人のフランス人が艦に来訪し,日本間諜のことを話したが,これは信ずるに足るものではなかった。たぶん気を引こうとしてのものだったと思われる。概してフランス人にはこのような心醜い人物が少なくない。
提督の病気はよくなって,午餐に臨席された。

続きを読む "2月19日"

今日は陸上で艦隊の楽隊が演奏した。天気はよくなかったが多くの士官が上陸した。
昨夜はずっと雨が降り,きょうもまた雨である。夜中に明り窓から雨が吹き込み,私の足をひどくぬらした。そのために安眠を妨げられ,すぐに窓を閉めて一睡した。
この地の郵便局の官吏には必要なロシア語を勉強する者もいて,たまに郵便物にロシア語の文字でペテルブルグと記してくるものもある。私たちがさらにこの地に停泊を続ければ,ノシベは完全にロシア化されてしまうだろう。
マユンゴからフランスの駆逐艦が齎した電報によって,モスクワの軍務知事が暗殺されたことと2月15日(ロシア暦の2月2日)に第三艦隊がリバウを出航したことを知った。私たちはここで碇泊を続け,第三艦隊の来着を待つことになるのではないか。第三艦隊がこのノシベまで来るにはどれだけの日時を要するのか。もし私たちがこの有名な第三艦隊の到着を待つとしたら実に意外といわざるを得ない。ノシベの錨地は我が第二艦隊のために,諸艦にとってははなはだ有害な錨地となっている。艦船の底と舷側には貝殻と海草が付着し,そのために艦船の航走力が減って石炭の消費量を増大させている。貝殻と海草の除去作業はドックでなければできないが,私たちには艦船を入れるべきドックがあるはずもなく,潜水夫に艦艇を掃除させるには非常に長い日時を要し,かつ十分な成果は期待できない。
しかし艦底に海草類を付着させるのはきわめて有害であり,艦船はこれによってその性能の大部分を失ってしまうのである。船舶にとって貝殻や海草の付着が有害なのは,南洋や極東を往復する商船が6ヶ月に一度は莫大な費用を要することを意とせずドックに入り,外側の掃除を行うのをみても明らかである。
私たちはどんな結果を迎えるのだろう。貝殻や海草を付着させた艦船を率いて極東に向かおうとしているのだ。日本人は掃除修理の行き届いた艦船で我々を迎え撃とうとしているのではないか。我が艦船は大航海をしてようやくそこに着くというのに,日本艦隊はその港湾から出動してくるのではないか。
さらに日本にとって有利なのは,旅順港内に沈没した我が艦船を引き揚げて,これに十分な修理を加え旧艦名をつけたまま我々に対戦することである。彼らはこれによってその海軍を優勢に導くのに較べて,我がロシアの恥辱はどんなものになるのか。あなたも試しにボルターワレトウィサンなどの艦がスワロフに向けて砲撃するところを想像してほしい。こういうことを言うこと自体耐えられないことであるが,我が海軍を滅ぼすのはいったい誰なのか。この日本人――我が勇敢なる海軍軍人(侮辱的な意味で)がいつも侮って「猿」と名付けた人民であるが,猿と言って軽蔑し,傲慢に振舞っていたためにロシアは非常に大きな打撃を蒙った。
ああ私はまたも古い繰言を言ってしまった。むしろ言わない方がよい。言っても何の益もない。ただ自分の気を悪くするだけだ。
明後日の火曜日には演習で外洋に出る予定だ。

2006/02/19 in  | Comment (0)

2月18日

近ごろの提督はいつも病気がちであるが,今度は神経痛に罹ったという。昨日は苦しくて夜も眠られず,いまも臥せっている。提督は医師の助言にも耳を貸さない。しかし長らく病気になってしまって何の良いことがあるのだろう。
提督は寝ていて朝のお茶も飲まれず朝食のために食堂にも出てこられない。今日もずっと室外には出ずに食堂にも姿をみせなかった。医師によればリウマチだろうとのことで,昨日などは痛みのために声を出して苦痛を訴え,氷で冷やしたほどであった。スワロフには氷の用意がなかったため,士官が他の艦に出向いて持ってきたのである。

2006/02/18 in  | Comment (0)

2月17日

ひどい雷雨だ。電光が閃き,雷鳴が轟いて耳を聾せんばかりで,しかもそれが長く続いた。
ノシベにはロシア語の看板がたくさんできたのだが,その中には「来て買って下さい。大いに勉強します」などと書かれたものもあった。
郵便局の郵便切手には大いに閉口した。35サンチームの郵券はだいぶ前から品切れで,その他の郵券も少なくなっている。21日か22日にならないと入ってこないという。私がずいぶん前に買い置いたものも少ししか残っていない。

2006/02/17 in  | Comment (0)

2月13日

9時に上陸した。この土地の子どもたちのわがままには呆れるばかりである。私たちはいつも彼らを追いやるのだが,それでも付きまとってくる。彼らは一緒に歩いたお茶代をも求める始末であった。

2006/02/13 in  | Comment (0)

2月12日

今日は祝祭日なので多数の士官が6時まで上陸を許され,みな上陸した。多くの人々は懐中時計の機械を壊したり針を折ったりガラスを割ったりしていたので,ここやユマンゴなどの店で時計を買った。しかしまったく無用の買い物であった。買うとすぐに壊した人が多かったのだ。どこも修理ができるところはなかった。
ドイツ人は当地の土地を買い,これを破産したフランス人に貸し,その条件として土地で収穫できる華尼刺(薬草)を安く買い取る約束をした。またこの地で毛皮・椰子油,コーヒーなどを買い取ってこれを粗製のままヨーロッパに輸出し,高価に売りさばいている。ここではヨーロッパから鉄類の手工品その他農具などを輸入している。彼らドイツ人はこの地に石鹸の工場をつくってマダガスカルその他の島々に供給している。

続きを読む "2月12日"

今日,陸で音楽を演奏したときに,この土地の女王が来たらしい。もちろんこの女王は何らの権力も持っておらず,形式的に遣わされただけである。リベルウイリの女王と同じだ。しかしここの女王は幾分かは威厳を保っていて,金銭を請うようなことはしなかった。
オスラービアの一水兵は祭壇に献金を入れた盆を盗んだ。もしその罪状を挙げて捕縛されれば委員の裁判に付せられるだろう。
オレーグはいつまで待ってもまだ到着しない。もう待つのも嫌になった。
ノシベに入港する船舶を監視するために外洋に出ている駆逐艦ブレスチャーシチーから無線電信で7隻の艦船が来航し,この駆逐艦がこれを目撃したと言ってきた。これらは,あるいはオレーグイズムルードドネブルリオンイルツイシその他2隻の駆逐艦ではないかとも思うが,まだわからない。電信班のところに行って聞いてみたい。
イルツイシ1隻だけが他の諸艦に先立って来航したという。あなたはこの艦がレーウェリにいたときに破損したことを覚えているだろう。この艦は石炭を積み込んで湾口に停泊している。この艦は運送船の中でももっとも大きな船である。
オレーグの情報はまったくの誤報だったようである。

2006/02/12 in  | Comment (0)

2月11日

近頃葬儀が執り行なわれたドンスコイの水兵は,病死ではなく負傷によるものだったらしい。この水兵は偶然に拳銃で負傷したという。
陸上で知事の夫人とひとりの商人の妻との間に大きな衝突を起こした。その事情は次のようであったという。
知事の夫人が,陸上で泥酔したロシア士官のことを知事が提督に訴えたというのは,その商人の妻の偽りの告げ口であると詰問し,さらに商人の妻に向かって「私の夫は提督を訪問していない。むしろあなたの夫が訪問して士官の不始末を訴えた。またあなたの夫がこのことを訴えたのは士官が泥酔したからではなく,その士官があなたとふざけたからあなたの夫が怒ってそれを訴えたのだ。あなたのために士官たちは上陸することができなくなった。云々」と言った。
一言で言えば,この商人の妻は知事の妻に悪口を言われたわけだ。この商人は旗艦の艦長に宛てて手紙を送り,彼がそのようなことを訴えたことはないという証明を与えてほしいと願った。
私はあなたに,士官たちが上陸を禁じられた理由を書いて,それがトランプの賭け事のためだと言ったが,艦長は商人に手紙で,もし提督が認めるなら証明を与えると言ってやった。それでますます喧嘩に花が咲き,二人の夫人の衝突はさらにひどくなったのである。

続きを読む "2月11日"

封書に封蝋をしようとしても,当地では封蝋した書簡を受け取らない。炎熱のために封蝋が溶けてしまうからである。
当地の商人が暴利を貪るのは驚くほどで,多くの店を開いてみな競って物価を上げ,かつ奸計が巧みである。
エスペランスはマユンゴから買えるだけの食料品を買ってきた。この船は材料を求めるために出航したのである。
当地でロシアの貨幣をどれだけ消費したかはわからないが,軍艦や輸送船がこのように多く,また軍人がこのように多数いて金銭を消費するのは,ロシアがノシベ,マユンゴ,ジェゴツアレツなどを富ませているだけである。フランスからさえ物品や食料品を輸入している。

2006/02/11 in  | Comment (0)

2月9日

今日もまた葬儀があった。ドンスコイの水兵が病死したのである。
ナヒモフ(長村注:装甲巡洋艦)はどこかを破損したので,この艦に出張しなければならない。スウェトラーナ(長村注:巡洋艦)はマユンゴ経由のロシアの郵便物を6時に受け取った。
またも艦隊に対する不平不満を記述したアレキサンドル三世の掌電具兵に宛てた手紙を入手した。

2006/02/09 in  | Comment (0)

2月8日

今日は日本との開戦からちょうど1周年に当たる。この戦争は今日に至るまで,恥辱・不幸・頽壊のほかに我が国には何も与えなかった。
ジエゴスアレツからフランスの駆逐艦が来航した。
オレーグは郵便を搭載してこなかったという噂が出ている。もし私たちがすでに手にした郵便物がオレーグに搭載したものの一部だとしたら,そのほかの郵便物はいったいどこに行ってしまったのだろう。配達されるべき郵便物をいまだに受け取っていないのは私だけではない。ほとんどの者が,まだ受け取っていない郵便物があるという。

2006/02/08 in  | Comment (0)

2月7日

2時ごろにカムチャツカに行き,そこで朝食を摂った。その後,義勇艦隊のキエフに行った。この艦から7時に他の艦とともに沖から帰艦したスワロフに戻ったところである。
今日の艦隊は大砲の射撃を行わず,ただ艦隊運動の演習だけを行ったとのことである。この演習の際にドンスコイは機関の一部を破損した。アウローラがこれを曳いて1時間も航行したが,その後ドンスコイは自力で航走できるようになった。機関の損傷は非常に軽微で,カムチャツカでこれを修繕した。
私がカムチャツカの士官室にいたとき,突然私の頭上で大砲の音がした。これはカムチャツカで病院船オレーグ(長村注:オレーグという病院船はないはずである。オレーグが正しければ巡洋艦。あるいは病院船アリョールの間違いか。)で病死した機関兵曹の葬儀に対する弔砲であった。

2006/02/07 in  | Comment (0)

2月6日

8時半に寝床に入った。天気はよく風もなく,海は凪いで非常に穏やかである。
演習が終わったのでノシベ湾に帰航する。あなたが送ってくれた新聞の切抜きを読んだ。諸艦が演習に出たとき,この湾内には演習のために駆逐艦の端艇が数隻残っていたのだが,これらも外洋に出た。しかし遠くまでは行かなかった。彼らは丸木舟に乗って転覆した三人の少年を救助したという。
我が艦隊はここで停泊して空しく送った日時ははたしてどのぐらいになるだろう。もしこの錨地がなければ,いまごろはウラジオに着いていたかもしれないのだ。口で言うだけなら,42日間マダガスカルに停泊するということは簡単なことだ。
私はかつてマダガスカル付近の錨地のことを予想して,書き送ったことがあったが,この碇泊も予想以上に長くなった。
オレーグはまだ到着しない。今月中旬には着くだろう。ペテルブルグではオレーグが到着するまでは艦隊の進退を決定せず,さらに第三艦隊を待たせるのではないかと想像して心配している。いつ出航するのかの見込みもまったくない。たぶん簡単には出航しないだろう。

2006/02/06 in  | Comment (0)

2月5日

昨日の出来事のために陸上との交通は午前中だけしか許されないことになった。もし遅れて汽艇を出さねばならないときにはいちいち提督の許可をもらわなければならない。後で聞くと,昨日陸上ではさらに二,三の事件があったようで,それらはみな下士官が関係したものであった。
明日は射撃演習のために外洋に出る。
今日,外洋で駆逐艦プレスチャーシチーが何かの用件で端艇を出したが,これが転覆して三人が溺れ死んだ。艦隊には毎日死者が出ている。

2006/02/05 in  | Comment (0)

2月4日

ときどきフランスのある新聞に,スワロフは喜望岬付近を回航中に行方不明になったというような記事をみることがある。この虚報は真面目な新聞が掲げたものである。ロシアの騒動を伝えるさまざまな電報の中でも,このような虚報が少なくない。たしかに騒擾があることには違いないが,新聞紙上で書かれているほどにはひどくはない。ロシアには国内の騒擾がなくとも非常に困難なときである。ペテルスブルグの秩序は回復したとの報もあるが,喜ぶべきことである。
フランス人の言によれば,オレーグはこの2日にチブーサを出航したという。ここに到着するまでには1週間は掛かる。

続きを読む "2月4日"

いま士官室でメニシコフがピリレフに宛てた答弁書を読んだ。人々はメニシコフを憤慨して,「彼はなぜこのように我が海軍を誹謗するのか,誰からこのようなことを言う権能を与えられたというのか,彼は海軍に奉職していながら少しも海軍のことを知らない。何でこのようなことを言うことができるのか」,と絶叫する様子が想像できる。しかしそれは愚も甚だしいというべきだ。彼ら海軍軍人は日本の海軍に対していささかの損害も与え得ず,日本海軍に較べて二倍も優秀な我が海軍を不名誉と侮辱と無益に滅ぼしてしまったにもかかわらず,まだ議論しようというのか。我が海軍より以上に恥ずかしい行動をとるものが他にいるのだろうか。
世界開闢以来,このような例を他に聞かない。この慙愧に耐えない恥辱は言語道断だ。彼らは破廉恥厚顔にも,なぜ他人の非難に対してそれを非難する権利があるというのか。我々海軍軍人のほかに誰も何も理解せずなどとどうして広言することができるのだろう。
私は今日また奇怪なことを言う者がいるということを聞いた。ある海軍軍人は「何とばかばかしいことか。陸軍にはすでに行賞があるのに旅順の海軍軍人に何の賞も与えないのは憤慨に堪えない」と言っているそうだ。
私はあえて誹謗しようとする者ではなく,話のままを伝えようとしているだけなのだが,私はこの言葉を聞いて驚いた。これは言語に絶する話である。その分限も心得ない愚鈍さは何なのか。自負放漫,その厚顔ははなはだしい。ロシアは彼ら海軍軍人を見れば問いを発して「ロシア人民の汗と血をもって建造した我が海軍はどこにあるのか」と問うべきだ。彼ら海軍軍人は果たして何事を為したのか。彼らは敵に損害を与えたのか,我が祖国に利益を与えたのか,ロシアの名誉を高く発動したか。
ああ,我が海軍軍人にはすでにこの問いを発することもできない。かれらは技術のことを技術者以上に知っており,法律上のことを法学者よりもよく知っている。彼らが海軍省を設けたのは,まさに自分のためであった。
彼らは半神のようであって,その他の者は下等の賤民だ。彼らは名誉勲章尊栄富貴,その他あらゆるものを専有しながら,海軍のことに関してはまったく無知無能だ。彼らは海軍にひとつも準備することをしていない。彼らが職を奉じているのは軍事のためではない。海軍は生活上の幸福を得るひとつの方法でしかない。またこれによって他人を誹議し,自慢して「我らは海軍軍人である」と高言する方法であるにすぎない。これは実に悲しむべきことに違いないが,この事実をいかにすべきだろう。
私は以前にもあなたにこのことを言った記憶がある。今回,この航海でますます前の見解が正しかったのを確かめた。しかし国は不幸にも彼ら海軍軍人に望みを託している。
メニシコフは個人的には好まない評論家であるが,その海軍に関する論評についてはメニシコフにもクラド大佐にもむしろ感謝しなければならない。これによってロシアは多少なりとも尊貴な海軍の腐敗した現状を知ることができるからだ。
祈祷所に行こうとして支度しているところにあなたからの電報を受け取った。非常に嬉しい。十数日間返事を貰えなかったので,その喜びは一層大きい。
今日,音楽を演奏するために楽隊を上陸させた。士官などはテニスをして遊び,県知事やその令夫人なども交わって遊んだ。
陸上で悲しむべきことがあった。一人の水兵が準士官を殴ったのだ。

2006/02/04 in  | Comment (0)

2月3日

昨日貿易商人を装った一人の日本間諜がスワロフに乗り込んだ。この間諜を捕まえようとする様子もない。郵便局ではロシア人がみななぜ書留郵便を出すのかを不思議がっていた。私は一人の士官と一緒に郵便局から売店に行った。一軒の店で非常に綺麗な絵ハガキを見て,これを買ったが大いに失敗した。みな同じ絵のハガキだったのである。
一匹の犬を連れて行って村の間を散歩した。その犬は軽症の日射病に罹ってしまったのだが,犬の頭を氷で冷やし身体を洗うなどをしたのですっかりよくなった。
私たちには例によって子どもたちが物珍しげについて来て,私が買った物を二人に持たせた。一人は洋傘を持った土地の子どもであった。5時に埠頭に着いた。私たちのためにカッターを遣わすことを忘れたのか,だいぶ待ったが,とうとう来なかったのでドンスコイの汽艇が私たちをスワロフに送ってくれた。午餐には遅刻した。絵ハガキにみな宛名を付して郵券を貼った。従卒はその様子を見て「まるで郵便局のようだ」と言った。

2006/02/03 in  | Comment (0)

2月2日

今日はフランスの郵便が到着するはずである。多くの人たちが郵便を待っている。陸上との交通を許されたが,私は上陸する気にならない。上陸する者にゴザを3枚と帽子と郵券を買うことを頼んだ。人々が上陸してから日が暮れるまで戻ってこないのはなぜなのかはわからなかった。

いま郵便物を持ってきて,それを分け始めた。また面白くもないものばかりではないか。その中に私宛のものはあるだろうか。どこかの一地方から発送されただけの郵便ではないか。
私はいまのところ上陸を考えていない。
私たちがオレーグが持ってくると思っていた郵便がフランスの郵便船で25箱も届いた。これを開けてみると,なんとすべては人々の注文したタバコや靴などだけであった。しかもフェリケルザムがジプーチで時間がないために受け取れなかった品物であった。これを受け取った人たちの満足はどんなものであろう。

続きを読む "2月2日"

(つづき)
郵便はもちろん,みなスワロフに送られた。私は一生懸命この郵便物の処理をした。包みの袋を割き,それを分類し,いちいちその書面がどの艦宛てなのかを大きく声に出して叫んだ。私の周りには他の士官たちが集まって,これらを分配した。各艦からはその郵便物を受け取るために主計官が出張してきて分類している人のそばで押し合って立っている。ようやく多くの郵便物を分類している間に,偶然,私に宛てた郵便物が自分の手に触ったので,すぐにそれを自分のポケットの中に入れた。またときには私を呼んで書面を渡す者もいた。
それらの分類を終えるとすぐに自分の部屋に駆け込んだが,その机の上にもすでに書面となにやら大きな包みの公信郵便物が置いてあった。その郵便物は委員会の艦船建造に関する書類であった。その他の書面はみなあなたからの手紙であった。その書面を手にしてそれを読み,胸が躍ってほとんどなすすべを知らなかった。私室を出て客室に行き,椅子に座って恍惚として湾内を眺めた。
いま従卒が来てボロジノの下士官が私に面会をもとめてきたと告げた。それに驚かされて出ていくと,その下士官は紐で束ねた郵便を私にくれて,それを艦長が自分に配送した郵便物の中から見つけたという。下士官にその労を感謝し,艦長にもよろしく伝えてほしいと頼んだ。郵便が来なかった人はいない。しかしその郵便物の中には,いまリバウまたはクロンスタットで安閑として碇泊している艦船や,旅順ですでに破壊された艦船に宛てたものもあった。しかも,いま建造中の戦艦に宛てたものさえあった。ウラルで砲弾のために死んだポボフに宛てた手紙もあった。その他,発狂してマライヤに収容されたテトフへの手紙もあった。
いまはみな手紙を読み新聞を握りしめてもっぱら心をそれのみに注ぎ,熱心に談笑した。今日の午餐は非常ににぎやかであった。幕僚の多くの者は賞与をもらった。すべての人は故郷からの手紙と贈り物を受け取り,多くの人たちが防寒の物品を得たのは驚くほどであった。それで人々は互いに祝杯を挙げ,祝いの歌などを歌った。嬉しさのあまり泣き出す者さえ二人ほどいた。みななんとなく元気を取り戻したようであった。みな久しく家族からの音信を得なかったから,突然一度にその音信を得たので,その喜びは非常に大きなものであった。もし駆逐艦があなたの電報を私に送ってくれたなら,私の満足はこの上もないのだが。

2006/02/02 in  | Comment (0)

2月1日

上陸した。現在は陸上との交通を禁じられているので郵便発送の機会を利用して上陸する以外にないのである。ここからすぐにスンダ湾に向けて出航するかもしれず,郵便が出せなくなるかもしれない。
今日はまもなく射撃演習に出ることになっており,巡洋艦は錨を上げ始めた。帰航は夜になるであろう。
あなたは私の書面の判読に苦労しているのではないか。これらの書面はみな寸暇を利用して断続の如何にかかわらず書いている。きちっと読もうとするとわからないかもしれない。とくに数枚にわたる日誌を一度に手にすることもあると思うが,これを読むのは一層難しいと思う。できるだけ順を追って読んでほしい。

続きを読む "2月1日"

夜8時ごろに抜錨して外洋に出た。昨日の演習で一弾がドンスコイに飛んできてブリッジに落ちたが,砲弾は僅かに触れただけで遠く飛んでいったという。一人の死傷者も出すことがなかったのは幸いであった。
5時ごろにノシベに帰航した。今日はどの艦も同士討ちになるような失策はなかった。
間諜と疑われた者から提督は書面を入手した。彼は間諜に疑われたありもしない謗りについて弁明した。彼は一二の事件を記して彼がウラルに赴いた際,この艦のある士官が彼を毒殺しようとしたのだと言う。
また当地の検事が彼にノシベからの退去を勧めたとのことを記して,結局金銭を要求した。この者のことを訴えたのは彼とともに某船に赴いた郵便配達夫であった。郵便配達夫の言によれば,この間諜と疑われた男は,どこに行ったのか船内で見失うことがあり,あるときは乗員などに混じって同じテーブルを囲み,食事をしていることさえあったという。また彼はロシア語ができることを士官などには秘密にしていたという。間諜が自由に艦内に入り込んだとは実に驚くべきことだ。実に奇跡である。
日本の艦隊ではこのようなことはまったくないだろう。我が艦隊にこのようなことがあるのはみな我々が公言できないある事情を反映している。
あなたは我が艦隊に如何なる人物がいるかを想像することはできないかもしれない。我々がまだロシアを出航する前,我が艦隊に乗り込むことを願い出たものがいた。彼はもし艦隊乗組みが許されなければ撃つと脅した。その許諾の返事の聞く日まで申し込み,結局許可されて下士官に採用された。その後彼は未成年者であることがわかったが,すでに如何ともし難く,いまも艦隊にとどまっている。

ある事情にてらして考えると,我が艦隊は簡単には当地を出航しないように思われる。陸上からの通信によればクロパトキン将軍は進撃に移ったとのことである。ただし進撃した云々は何回も聞いている。今回の報も信ずるに足るものではない。

2006/02/01 in  | Comment (0)