バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

3月18日

昨日もまた食事に遅れた。食後にあなたのために筆を取ろうと思ったのだが,まず少し休息しようとして士官室に行くことにした。非常な暑さだった。私はこのごろいつも網襦袢を着ずに夏服を直に着ている。自分の部屋にいるときにはこれも脱ぎ捨てている。士官室で転寝をして,ついに眠ってしまった。目が覚めたのは6時であった。
自室に戻るととんでもないことが起きていた。明かり窓から海水が侵入してベッドから机まで海水で水浸しになってしまったのである。仕方なく濡れた吊り床に寝た。
朝,机の引き出しを開けようとしたが開かず,大工を呼んで開けてもらった。海水は引き下しの中まで入って中のものはみな濡れて,いま書いているこの紙まで濡らされた。しかしインキを流されなかったのは幸いであった。紙が乾くのを待って机の上を掃除した。
棚の上に隔てる板を打ち付けなければならない。正服外套フロックコートなどはリバウ港を出航以来手もつけず,見たこともない。大方悪くなっているものと思う。正服の刺繍などはひどく傷んでいる。多くの人々はみな,品物の損じたことをぶつぶつ言っている。
昨日,運送船ウラジミールの機関に何か破損を生じた。他の艦はウラジミールの修理が終わるのを待った。みなゆっくりと航行した。今朝は偵察任務艦の他はすべての駆逐艦を曳船とした。それは駆逐艦の石炭を消費させるためであった。洋上で駆逐艦に石炭を積み込むのは海が静穏なときであってもたいへんなのである。風浪でもあったときには石炭積み込みなどは到底できない。

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ジェゴスアレツから出航したドイツの汽船が,昨夜我が艦隊を追尾してきたが,その後,我々よりも先に進んだ。はなはだ奇怪なことである。この汽船はなぜ我々と同一航路をとって,どこに行こうとしているのか。我々の艦隊の航路は故意にまだだれも通ったことがないところを選んで進んでいるのである。
昨日,ナワリンで新たに備え付けた大砲の発射試験を行った。その砲声はスワロフにも届いた。我が艦隊が日本艦隊に出会う際にも,砲撃はこのように聞こえるのだろうと想像した。砲声はそんなに大きなものではなかった。自艦の砲声は愉快に感じられるに違いない。
私はあなたに我がスワロフに小さい鰐を飼っていることを話したことがあるが,ノシベ出航前に誰かがその鰐を海中に捨ててしまった。しかしその小さい鰐はアウローラに泳ぎ着き,それをこの巡洋艦が引き揚げて,いまはその艦内で飼っているとのことだ。
郵便物に関しては次のように処置すべきとのことである。すなわち給炭船が郵便物を受け取って,その船が我々と遭うときに我々にそれを渡すというのである。もしその郵便物が給炭船から日本人の手にわたるようなことがなければ幸いである。そのときはあなたの手紙なども残念ながら日本人の手に帰すことになる。あなたが手紙を書くときには,その手紙がこのような悲しい運命に遭遇するかもしれないとは思いもしないだろう。
艦隊はゆっくりと非常に静かに航進している。全艦隊が止まる事もあれば,あるいは5~8ノットで進むこともある。このところ艦隊にさまざまな出来事が続発している。シソイと駆逐艦クローズヌイケロームスキー等に破損が生じ,軽微な破損も全艦隊の進航を止めてしまう。我が艦隊は若干の短縦陣を敷き,その長さはほとんど10露里(およそ日本の2里半)に達する。もし今後いつまでもこんな程度の速度で進んだとすれば,どこかの港に到着するまでに非常に多くの日時を要すだろう。
前進している硝艦がはるかに灯火を認めたとのことである。日本は最良の巡洋艦によって,我々から見つからないように我が艦隊の挙動を偵察することができる。我々は灯火を出して航進している。快速巡洋艦で灯火を消して我が艦隊に近づき,艦隊の位置を確認して隠れるのは容易だろう。このような偵察があり得ることは誰も疑わない。もし日本がいまこれをしようとすれば,我が艦隊がスンダ海峡に接近するのを待って偵察を行うに違いない。これは我が艦隊を襲撃するのではなくとも運送船を襲うには好都合な場所を選定するためである。この運送船の防御はとくに困難である。
ネボガトフ艦隊はどうしているのだろう。この艦隊は極東へ向かっているのだろうか。これは実にもっともはなはだしい冒険である。

2006/03/18 in  | posted by gen

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