バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

3月27日

ああ夜は明けた。昨夜寝た際に寝床の敷布と枕だけでなく敷布団までも濡らされた。私は秋用の外套を持っているに過ぎないが,夏外套と引っ掛け(単に肩に引っ掛ける外套)とを持ってくれば便利だった。ウラジオに到着するころには秋用の外套を着なければならないだろう。しかし何とかして間に合わせよう。いまシベリア鉄道はいたるところ騒擾だけであり,品物は到着しない。輜重隊によって送られてくる品物さえも受け取ることができない。
日々我々は停船のために多くの時間を空費した。悪いことばかりが続出した。駆逐艦の修理が終わって航行を始めるとすぐ,シソイが信号を掲げて故障が生じたことを伝えてきた。またも停船して待たざるを得ない。なぜこの艦をどこかの港に止め遣わさないのか。この艦はいつも進行を妨害しているだけではないか。
マダガスカルとスンダ島の間の約半航路まで来た。スンダ海峡に近づいたか。敵の水雷艇襲来と沈設水雷の危険があるだけでなく,艦隊戦さえないとは言えない。
我々の行程はウラジオまではもっとも危険である。狭隘な海峡や広くない海を通過しなければならない。幾多のことに遭遇するだろうから,不意のできごとを考えなければならない。しかもこれは外洋においてのできごとではない。敵は交戦と水雷艇襲撃に便利なように,艦隊の一挙一動を偵察しているのである。

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天気は穏やかになった。明日は石炭積み込みがあるだろう。私は終日グロムスキーに出張しなければならない。艦隊が外洋で機関の運転を止め,石炭積み込みのために停止している状態のことを誰かが洒落て,これは大洋の中に2万の人民を有するロシアの一市街を形成していると言った。私がもしウラジオに着いたら,私とあなたとの間の隔たりは14,15日で行くことができる距離である。いままでの距離と較べればどんなに近いことか。非常に近い。私はこう思う。
マダガスカルの停泊日数が2ヵ月半ではなく,私が予想したように1ヶ月だったとしたらウラジオ到着の日にちは私の予想通りであった。もし今後どこにも停留することがなければ艦隊は4月下旬にウラジオに到着する。もちろんこれは予想に過ぎない。千百の偶然のできごとはなお前途に横たわっているのだ。
スンダ群島は狭く長い海峡がたいへん多く,我々にとってはおもしろくない。その海峡の中には終日通ってもまだ通過できないような海峡さえある。夜間にも通らないわけにはいかないこともあろう。これらの海峡に水雷の沈設がないことは保証できない。海峡の出入りの際に,艦隊の隊列は長くなる。このときに水雷艇の襲撃をうける虞もないわけではない。また潜水艇その他,陸岸からもいかなる不意打ちを受けるかもしれない。いま我々はこのような思いに満たされている。
たぶん我々はサイゴンに行くだろう。サイゴンまでの間にかならず敵艦との衝突は免れないと思う。この衝突は全艦隊のためにも,またその人々のためにも,あるいは悲しむべき結果を来たすことになるかもしれない。手紙も送れないかもしれない。
我々はサイゴンまでは到着するものと仮定する。この地にはジアナがいる。この艦は公然と武装解除した。この艦は我が艦隊に合流することができるだろうか。ジアナの代りにアルマーズでもよい。もし我々にツェザレウィッチアスコリド,その他の駆逐艦が合流することができればなおよいのだが。これは予想できない。これらの諸艦はみな中立港にあって武装を解かれて碇泊している。
月のない暗夜に海峡を通過しなければならないとすれば非常に悲しむべきことである。イズムールドは我が艦隊と同一航路を取っている汽船を認めたという報告を送ってきた。誰かが,我々は2日後に石炭運送船に遭遇し,この船から郵便物を受け取ることができるといううわさを流した。

2006/03/27 in  | posted by gen

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