バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

3月31日

天気は荒れ始めた。晴雨計の針は下がっている。暴風雨にならなければよいが。昨夜1時ごろに強風が吹き,そのころから波浪はますます激しくなった。
風は次第に強くなって強い雨も加わってきた。波はますます高くなった。みなこれほどまで激しくなるとは思わなかったので明かり窓はどこも開けておいたため,いたるところで海水が浸入した。2時ごろには怒涛は山のように高くなって暴風雨になった。遮るものがないところでは立っていることができず,吹き倒されるだろう。風は激浪の飛沫を吹き,海は一面が白くなった。その雨の激しさのために海はあたかも霧で覆われたようになって近くにいる艦船も確認することができない状態である。

続きを読む "3月31日"

スワロフは風のために3度の傾度に傾いて,その状態で止まった。
暴風はやんだ。しかし風はまだ強く雨も降っている。浪も高いが,これからさらに高くなるかもしれない。強風は幸いに追風である。今日の烈風は喜望峰を回るときの風よりは弱く,波浪もそのときよりも巨大ではない。これ以上には強くならないだろう。我々はこれから無風帯と称される緯度を通過することになるが,無風はありがたい。いまの季節にここに風がないことは確かである。風位の方向線や風位の図なども確かにこのことを示している。
駆逐艦のことを想像して,思わず慄然たらざるを得ない。駆逐艦はみな曳船で航行している。彼らはどうしているだろう。私は非常に心配している。彼らは大丈夫だろうか。風を止ませたいものだ。まもなく日暮れであり,まったくの暗闇になる。いま駆逐艦はいかに操縦しているだろう。スワロフからは駆逐艦を見ることはできない。
降雨はまだ止まない。地平線上は濛々としている。海の光景はどうであろう。上甲板にでて見てみよう。明かり窓から見ても意味がないからだ。玻璃は波のために曇っている。風は静かになったが波浪はまだ高い。駆逐艦ボードルイは第二桅を折られた。グロムスキーは曳船の綱を切断されて自らの蒸気で操縦している。

過日,石炭積み込みの際にシソイは一隻の汽艇を沈没させた。しかし乗員はすべて救助された。汽艇は不注意にも浪に揺らされている戦闘艦に近づき,それに触れて沈没したとのことである。昨夜はテレックで一人の水兵が船倉に落ちて死んだという。
室内の暑さはひどい。明かり窓を開けることもできない。手拭を用意した。汗が流れて水を浴びせられたような状態である。今夜はどこに寝るべきだろう。士官室の温度もやはり高い。明日の朝,海が静かになり次第,すぐに石炭積み込みを行う。
グロムスキーの舵ははなはだ心配である。この艦の舵はまだ十分に固定されていない。もしかしたらはずれるかもしれない。そうなれば駆逐艦は操縦不能になるだろう。いま,この艦は自分の力で航行している。このような天候では曳船に頼ることはできない。この艦は,しかしいまのところは舵を保っている。

またも強風が雨を交えて吹き出した。海は荒れ始め,戦闘艦は緩やかに揺れている。しかし駆逐艦,巡洋艦はかなり揺れている。オレーグスワロフから見ることができないので,どのぐらいゆれているのかはわからない。艦隊はいままったく水中にある。どこをながめてもみな水だけである。水の上を航し,波浪は飛沫を打ち上げ,雨は篠つくように降り注ぎ,体は濡鼠のようになった。

2006/03/31 in  | Comment (0)

3月29日(朝)

昨夜は服を着たまま客室の長椅子で寝たが,よく眠れた。
今日は石炭積み込みが見合わされ,1日まで延期になった。昨夜から赤道付近を通過して少し北方に進んだ。一見したところ実に奇観である。
昨日は南半球にいて,そこは秋であった。今日は北半球に進んで,すでに秋ではなくここは春である。冬を通り過ぎてしまったのだ。
長いこと駆逐艦ペズーブレーチヌイはその舵のことについて電信を送ってきた。おそらく重大なことが起きているようだ。昨日の報告と今日の上申とを対照したが,その損傷の如何を明らかにすることはできなかった。艦隊は今朝からずっと止まらずにゆっくりと進行している。たぶんその停船中にみな機関の不完全な点を修理したのだろう。

続きを読む "3月29日(朝)"

我々はいかなることに遭遇するのであろうか。ボカチールは修繕をほぼ終えたが,それに11ヶ月を要したとのことだ。この船はドックにあり,しかもロシアにとっては極東唯一のドックに入っている。我が艦隊が戦争してウラジオに入る際に,その破損艦船をどこに置くのだろう。修繕中のボカチールを再びドックから出すのか。そうしたらこの艦は再び沈没するのを免れないのではないのか。実に進退極まれることにはならないだろうか。我が艦隊が全滅すればロシア海軍も滅亡するのではないか。もちろん運命には意外なこともないことはないが,我々はそれに期待することはできない。
日本人はワリヤーグを引き揚げたとの情報もある。たぶんその修理もすでに終えているだろう。我々は我が軍艦が敵艦隊の列に加わって来襲するのに会うことになる。実に奇なる出会いではないか。我が軍艦が我が軍に対して戦おうとするのである。その恥辱はいかばかりか。
ドンスコイは地平線上に煙突から飛散するような火光を偶然見つけたとの報告をしてきた。我々を追跡するものなのだろうか。もちろんだ。我が艦隊はマラッカ海峡を通過する。この海峡の延長は1000露里である。この海峡通過の際に意外なできごとに遭遇するかもしれない。海峡を出たとたんに東郷の全艦隊に出会うこともありえる。日本艦隊の中にはロシア人が旅順で爆沈しなかった艦船もあるだろう。私は我が艦隊の勝利を信じない。私が,もし日本人の立場に立てば,戦争によって自分の軍艦を損傷する冒険は犯さず,第二艦隊を妨げずにすべてこれをウラジオに入らせる。こうしてウラジオを第二の旅順にしてしまうことはそう難しいことではない。ウラジオを封鎖することは簡単である(もしまだ封鎖されていないとすれば)。また要塞も堅固とはいえない。軍需品の貯蔵,工場,ドックも不足している。全ての要素が日本に有利である。日本の成功はほとんど保障されているといってよいだろう。

2006/03/29 in  | Comment (0)

3月28日

今日はグロムスキーに出張するために5時に起こされた。服を着替えるとすぐに端艇でグロムスキーに赴いた。途中カムチャツカに寄って同艦から必要な材料を持ち,潜水夫を伴って作業をはじめてずいぶん長く働いた。最初は作業も簡単にはいかなかったが,後の方では好都合に進んだ。

続きを読む "3月28日"

駆逐艦の不潔な生活に驚いた。航行中は振動で何も書くことができなかった。実に大きな振動である。今日も駆逐艦の動揺が激しく,机に支持器(机の器物が転落しないようにする装置の器具)を用いなければ何も置くことができない。不潔で煙突からは煤煙が飛び,かつひどい狭隘である。それだけでなく食べ物の粗悪なことは驚くばかりである。グロムスキーに夜11時までいた。食事の時間であったが,食卓にはその準備の様子もない。兵卒に与えるスープを運んでいたが,これをみて一層空腹を覚えた。しかしそれでもなお食卓の用意はされない。
食物としては小魚4尾のほかには何もなかった。グロムスキーカムチャツカの士官数名が移乗していたが,彼らは近くまで来ていた自分の乗艦カムチャツカに伝令管で話し,缶詰とラムネ,その他の食物を送ってくれるように要請した。私も食物を得ようとして鰯,海老,豚肉などを取り寄せることを頼み,それらが送られてきた。みな大満足で菓子を食べた。私たちは食料品を余分に取り寄せて,それらを駆逐艦の士官たちのために残しておくようにした。
彼らがこのような食物に欠乏し,飢餓同様の生活を強いられているのを致し方ないものと平気でいるのをみて,私は実に驚かざるを得なかった。彼らの食料品は運送船イルツイシから供給されるような手順になっていたが,同船は十分にその任務を全うしていない。この駆逐艦の艦長は,その供給を他の運送船に変更するように要請した。私は彼ら駆逐艦乗員の不幸な境遇を特筆して私の力の及ぶ限り艦長の願いを参謀部に伝えて実現させたい。
駆逐艦の生活状態はまったく囚徒の生活に変わりがないように思う。しかも飢餓を我慢する生活である。グロムスキーの食糧供給船をキエフに変更するほうがよい。
私がグロムスキーに乗っていたときに,その遥か遠い海上を非常な豪雨が通過するのを見た。この豪雨が駆逐艦にかからなかったのは何よりの幸運であった。もしこの附近に降ったなら,我々の仕事も妨げられたことであろう。
潜水工事中に潜水夫は何度か鮫に襲われたが,それを見つけるたびに銃を発射し,鮫を撃退した。海水鮮明紫色で深いところまで見ることができる。海中を眺めれば,なにやら巨大な灰色の醜い形状のものが現れる。これがすなわち鮫である。その姿ははなはだ醜く気持ちが悪い形をしている。
グローズヌイにおいて「聖像廃棄者グリーシカ」とあだ名された猿の仲間でワニカという猿を見た。ワニカは大きく成長した。おもしろい猿だ。この猿はスワロフである事件を演出した猿であるが,これを他の艦に移した。グリーシカが「聖像廃棄者」とあだ名されたのは,この猿が室内から聖像を持ち出して,それを舷側から投棄したからである。
もし明日と明後日との2日,石炭を積み込めばスンダ海峡までは今後石炭の積み込みの必要はない。
(後略)

2006/03/28 in  | Comment (0)

3月27日

ああ夜は明けた。昨夜寝た際に寝床の敷布と枕だけでなく敷布団までも濡らされた。私は秋用の外套を持っているに過ぎないが,夏外套と引っ掛け(単に肩に引っ掛ける外套)とを持ってくれば便利だった。ウラジオに到着するころには秋用の外套を着なければならないだろう。しかし何とかして間に合わせよう。いまシベリア鉄道はいたるところ騒擾だけであり,品物は到着しない。輜重隊によって送られてくる品物さえも受け取ることができない。
日々我々は停船のために多くの時間を空費した。悪いことばかりが続出した。駆逐艦の修理が終わって航行を始めるとすぐ,シソイが信号を掲げて故障が生じたことを伝えてきた。またも停船して待たざるを得ない。なぜこの艦をどこかの港に止め遣わさないのか。この艦はいつも進行を妨害しているだけではないか。
マダガスカルとスンダ島の間の約半航路まで来た。スンダ海峡に近づいたか。敵の水雷艇襲来と沈設水雷の危険があるだけでなく,艦隊戦さえないとは言えない。
我々の行程はウラジオまではもっとも危険である。狭隘な海峡や広くない海を通過しなければならない。幾多のことに遭遇するだろうから,不意のできごとを考えなければならない。しかもこれは外洋においてのできごとではない。敵は交戦と水雷艇襲撃に便利なように,艦隊の一挙一動を偵察しているのである。

続きを読む "3月27日"

天気は穏やかになった。明日は石炭積み込みがあるだろう。私は終日グロムスキーに出張しなければならない。艦隊が外洋で機関の運転を止め,石炭積み込みのために停止している状態のことを誰かが洒落て,これは大洋の中に2万の人民を有するロシアの一市街を形成していると言った。私がもしウラジオに着いたら,私とあなたとの間の隔たりは14,15日で行くことができる距離である。いままでの距離と較べればどんなに近いことか。非常に近い。私はこう思う。
マダガスカルの停泊日数が2ヵ月半ではなく,私が予想したように1ヶ月だったとしたらウラジオ到着の日にちは私の予想通りであった。もし今後どこにも停留することがなければ艦隊は4月下旬にウラジオに到着する。もちろんこれは予想に過ぎない。千百の偶然のできごとはなお前途に横たわっているのだ。
スンダ群島は狭く長い海峡がたいへん多く,我々にとってはおもしろくない。その海峡の中には終日通ってもまだ通過できないような海峡さえある。夜間にも通らないわけにはいかないこともあろう。これらの海峡に水雷の沈設がないことは保証できない。海峡の出入りの際に,艦隊の隊列は長くなる。このときに水雷艇の襲撃をうける虞もないわけではない。また潜水艇その他,陸岸からもいかなる不意打ちを受けるかもしれない。いま我々はこのような思いに満たされている。
たぶん我々はサイゴンに行くだろう。サイゴンまでの間にかならず敵艦との衝突は免れないと思う。この衝突は全艦隊のためにも,またその人々のためにも,あるいは悲しむべき結果を来たすことになるかもしれない。手紙も送れないかもしれない。
我々はサイゴンまでは到着するものと仮定する。この地にはジアナがいる。この艦は公然と武装解除した。この艦は我が艦隊に合流することができるだろうか。ジアナの代りにアルマーズでもよい。もし我々にツェザレウィッチアスコリド,その他の駆逐艦が合流することができればなおよいのだが。これは予想できない。これらの諸艦はみな中立港にあって武装を解かれて碇泊している。
月のない暗夜に海峡を通過しなければならないとすれば非常に悲しむべきことである。イズムールドは我が艦隊と同一航路を取っている汽船を認めたという報告を送ってきた。誰かが,我々は2日後に石炭運送船に遭遇し,この船から郵便物を受け取ることができるといううわさを流した。

2006/03/27 in  | Comment (0)

3月26日

今日は日曜日なので奉神礼がある。天気はよくない。巨濤に風波を交えて海は荒れている。
我が艦隊には場合と事情を少しも理解できない人間が少なくない。スワロフには唱歌隊と楽長がいるが,唱歌隊は二正音を発声できない者もいるのだ。これを何と称すべきか。神聖な単調と言うべきか。または馬鹿というべきか。あるいはまた無礼というべきなのか。
もし明日も天気が今日のようであれば,石炭積み込みは適した天候になるまで延期されるだろう。もう二,三時間も停船している。またもある駆逐艦の曳き綱を切断した。いまなおその綱を与えることができないでいる。波浪のためという。
天候はますます険悪になった。このことはむしろ我々にとってはよいことである。敵にとっても襲来が困難になるからである。

続きを読む "3月26日"

明朝,我々はジェゴガルシー島(チアゴス群島の中のひとつ)から60マイルの沖を通過する。この島には日本の軍艦がいる可能性がある。明日は石炭積み込みが困難と予想されるほどの天候であるが,明日はどうしてもグロムキーに出張するための支度をしなければならない。
艦隊はゆっくり進んでいる。我々の航海は潮流に乗って流されるのははなはだ都合がよい。この潮流は我が艦船を一昼夜に5露里を進めてくれる。
私室内の息苦しさはほとんど耐えられないほどだ。室内は瞬時にして蒸した空気で充満する。夜寝るときの様子などは到底他人が想像できるものではない。ちょっと明かり窓を開けておく冒険さえする。今夜,我が艦隊は月の上るまでその周囲を探海灯で探照する。

2006/03/26 in  | Comment (0)

3月25日

ドンスコイオレーグは何らかの灯火を遥かに望見したことを報告してきた。その灯火を調査したところ,たぶん英国の巡洋艦だろうとのことである。スウェトラーナが見たという汽船のことはまったくの虚報だったとのことだ。
カムチャツカは汽缶を破損したが停船までには至らなかった。艦隊は遅れ始めたが,疑わしい灯火を認めるとたちまち全力疾走することもある。今日の正午までに私たちはノシベから約2200露里を航行した。静かに航進しているが,しばしば破損事故のために停船する。今日は幸いに停船することは少なかった。

続きを読む "3月25日"

我が艦隊はいよいよ極東に近づきつつある。まもなく赤道を通過する。いまやウラジオは我々にとってあたかも約束の地(訳者注:約束の地とは昔ユダヤ民がエジプトを出て神から約束されたカナン,すなわちユダヤの国に赴いたが,ユダヤ民はその約束の地カナンに行くためにアラビアの荒野に40年間も漂泊した後にようやくのことでその地に到着した故事を言う)のようである。ああウラジオストク,ああウラジオストク!
しかしもしサガレンとウラジオが私の予想(日本軍に占領されること)通り事実になったならばどうであろう。そのとき我が艦隊はどこに行こうとするのか。艦隊はそのときどうするのか。
石炭積み込みのために次回艦隊が停止する際に,私は朝3時から終日グロムスキーに出張しなければならない。事故は幾分か減った。曳き船の綱の切断も稀になった。シソイのために艦隊は航行を止められたが,この艦にはいつも修理ができない箇所がある。今朝ナヒモフシソイと同様になってしまった。
オレーグからの報告では,昨夜同艦が認めた灯火はずっと同じものではなかったという。彼らは煙突から飛散する石炭の火の粉を船の灯火と見誤ったようだ。
何らかの汽船がいつも我が艦隊を追跡している。その船は日中に地平線から隠れて私たちに見られないようにし,夜には灯火を消して我が艦隊に近づくのである。こうして船の煙突から飛散する火の粉によって船の存在が知られるのだという。
この説はほんとうのようだ。月がない真の闇夜に艦隊がその周囲を偵察するのはたいへん困難である。我が艦隊は遠方からも望見できる灯火を掲げて航行している。したがって我が航路がわかれば,我々を追跡する船が大洋で艦隊を発見し,わからないように艦隊に接近することはいたって簡単である。
暗夜には刻一刻ごとに敵に襲撃される心配はなくはない。私が想像するひとつの憂慮に堪えないことがある。すなわち我が艦隊はサイゴンの某地点にいつまでも無期限に停泊するようなことがあるのではないかという虞である。もしこのようなことがあれば,我々はいかにすべきだろうか。
同地方の官憲が局外中立を厳守して,無期限停泊を許さないであろうと思い,わずかに自らを慰めている。もっとも「中立」とはたいへん便利な巧言である。「中立」はどこの国でも強い方にとって便利だ。現時勢力は日本の方に分があるから,「中立」はいつも日本の利益になる。
我が提督はもし中立港において日本の艦船に出会えば,レシテリヌイが日本に拿捕された例に倣って日本の軍艦を撃沈すると断言されたとのことである。ロジェストウェンスキー提督が果たしてこういうことを言ったのかどうかは私自身は直接耳にしていない。しかし提督の資性を考えると,彼はかならずそのように断行するだろう。ただし,こんなことにならないことを願う。日本人は利口である。彼ら日本人はけっして我がロシアのようにその艦船を分離するような愚は犯さないだろう。願わくは日本が我が艦隊を撃破することがないことを。万一,我が艦隊が日本によって全滅されることがあったとしたら,我が艦隊の滅亡とともにロシアの威力は10年間は滅失する。海軍は容易に復興できないはずだからである。
これに反してもし我が艦隊が日本を海上で破ったとしたらどうか。そうなれば我々は海上領有し,日本は滅亡する。日本はその陸軍に糧食軍需品の供給の道を閉ざされ,どうやっても戦争を継続することができなくなる。そのとき陸軍はどうするか。日本においてさえもまったく食料品の欠乏を告げることになろう。しかし実際にはこのような状況に遭遇するかどうかは疑わしい。もし単に制海権が我が方に帰するがあるとしても,そのとき英米両国はかならず日本に加担するに違いなく,ロシアはこれら諸国と開戦するのを避けるために譲歩するに違いない。いかにサイが投げられたとしてもかならずロシアの不利益に終わるだろう。
ロシアが消費した金額はどれだけのものになるであろう。どれほどの国民を滅亡させたことだろう。この代償でロシアが得ようとするものは何だったのか。ただただ恥辱だけなのではないか。
我がロシアはかつて英国がブーアと交戦した際に,いかに英国を嘲笑したか。またイタリアがアビシニアと戦ったときにもいかにイタリアを嘲ったか。いま満州においてはどのような状況にあるのかは知らないが,遼陽,奉天などの戦闘の日時を遡って考えれば,次回の大戦闘は8月または9月になるかもしれない。もちろんこれは日本が奉天以北に進攻せず,依然として自重しているという前提でのことである。
ロシアには,8月または9月にはその軍隊を集中することができよう。我が陸軍の主力は今どこにあるのか,ハルピンか。あるいはそうかもしれないが,しかしハルピンも放棄して,さらに退却するであろう。
次回の石炭積み込みは二日間続けて行われると思われる。ただし夜間は進航を続けるだろう。

昨日,少尉候補生たちがスワロフには何人の火夫がいるか,汽缶はどこに配置しているのか,といった論争をしているのを聞いた。約1年間も軍艦で航海している者が,いまさらこのようなことで議論しているのである。これは提督の命令で,汽缶のそばで監視を命じられている者たちの論争なのである。たいへん情けないことではあるが,私はこの論争を耳にして実に抱腹に耐えないこともある。私たち自身よりも日本人のほうがかえって我が軍艦のことをよく知っているということだ。さて,あなたは私が艦隊出航前にあなたに言ったことを覚えているだろうか。航海のはじめから私は前述の意見を確認する事例を見続けてきた。我が艦隊がいかなる艦船から編制されていても,またどれだけの艦船を数えられても,私は艦隊に信を置いていない。むしろ軍艦を少なくしてその戦闘力を利用する方がよい。あるいは我が軍が日本艦隊を撃破するかもしれないが,我が勝利は偶然の勝利に過ぎないだろう。
オレーグから電報があった。同艦は舵の電気操縦系統を損傷したという。オレーグはいま蒸気で舵を操縦している。同艦に,明朝カムチャツカにくるように命じ,かつ新規に製作するために次の停船のときに,破損したものをこの運送船に移すことを命じた。

2006/03/25 in  | Comment (0)

3月24日

万事が制限と関係との中にあるのを免れない。駆逐艦の中の生活を一見するがよい。艦は始終動揺し,不潔で狭いので,どこにも寝転ぶ場所さえない。食物もはなはだ粗末なもののである。わずかにようやく休息ができる程度である。しかし一方,大きな船にいる者は小さいことにも常に文句を言っている。
スウェトラーナからは,同艦の前方に我が艦隊と同一航路を取って進行する汽船を認めたとの報告をしてきた。実に奇怪だ。我が艦隊は誰も通ったことのない航路を取っているのである。よく徐行し,またしばしば停船するような我が艦隊に追従するような汽船は果たしてどんな船なのだろう。重量物を積んだ船であっても,このように徐行することはありえない。

2006/03/24 in  | Comment (0)

3月23日

まもなく6時になるが,各艦は前進の準備をしているために昼食は遅くなりそうだ。早朝から石炭の積み込みを始めた。9時に駆逐艦グロムスキーが舵を破損したとの信号を掲げた。この艦はスワロフの近くに来たので端艇でグロムスキーに出張して調査した。私はスワロフに帰り,駆逐艦はカムチャツカに赴いた。舵機の破損は容易ならざるものであった。ジェムチューグの破損よりも深刻である。朝食前にローランドに乗って再びグロムスキーに出張した。わずかな時間の中で,舵の修理のために為すべきことを行った。
次の石炭積み込みの際に,この艦はさらに重大なことが起きるかもしれない。私は駆逐艦から潜水用の脚艇でカムチャツカに赴いた。カムチャツカから,偶然そこにあったボロジノのカッターで再びローランドに行き,そこから直接スワロフに帰艦した。こうして頻繁に大洋の中を往復した。

続きを読む "3月23日"

石炭積み込みにはちょうどよい天候であったが,波かなり大きかった。
私は諸艦の巡航に嫌気がさしている。毎日汚れて水に濡れ,海中に落ちれば鮫の餌食になる危険をいつも冒している。とくに不快に耐えないのは端艇に移乗することである。本艦から端艇に乗り移る際に水の上に何か手当たり次第に掴まえられる物をつたわって降りるのである。端艇はそのとき舷側にうち付けられ,ときには舷側に触れて端艇が粉砕されてしまうことさえあるのである。実に危険である。
私はカムチャツカからスワロフのために品物を搬送した。グロムスキーは潜水夫を下ろして修理させなければならない。ここには鮫が非常に多い。某艦では鮫漁を行っているという。我がスワロフでもその漁を試みたが獲れなかった。
グロムスキーで潜水作業をするにあたり,若干の水兵に装弾した銃を持たせて艦上に立たせた。海水は非常に透明なので鮫の到来を直接見ることができる。下で潜水夫が働き,甲板上では武装した兵士が並んでいるなどというのは不思議な光景ではないか。
汽艇から水面を飛ぶ魚をたびたび見て驚いた。
夜9時,偶然の話から15日後にどこかの港に到着するとの話を聞いた。果たして本当だろうか。はなはだ疑わしい。私の考えではまだ当分は海上にいるものと思う。
艦隊は静かに,非常に静かに徐行している。かつ始終停まる。いまはその停船にも慣れて,なぜ停まったのかを詮索することもない。いまもほとんど30分も停まっているが,この停止の原因を知るために甲板に上がることも面倒になった。
グロムスキープレスチャーシチーの2艦にまたも事故があった。両艦の曳き船綱を切断したのである。この小艦に悪戯が演じられたことがどのぐらいあることか。病院船アリョールは,この船で一水兵が腹膜炎で死亡したことを通信で伝えた。明日,その葬式が行われる。

2006/03/23 in  | Comment (0)

3月22日朝8時

昨夜ドミトリー・ドンスコイが3隻の船の灯火を認めたが,その船は探海灯で互いに信号通信を行い,我が艦隊と同一航路を進行していると報告してきた。
オスラービアでまた一人の水兵が死亡したので,その水葬が行われる。この水兵は3日前に死亡したが石炭積み込みの騒ぎで葬式を遅らせたのである。オスラービアではしばしば死亡者が出ているが,多くは艦隊が航海中のときに不幸に見舞われている。
提督はずいぶん前から神経衰弱に罹っておられるが,このごろはとくにひどくなった。提督は睡眠も少なく,かつ怒りやすくなられていて,些細なことにも非常に激怒されることがたびたびある,もっとひどくならなければよいのだが。

続きを読む "3月22日朝8時"

夜11時,艦隊は虫が這うようにゆっくり航行している。今日までの航程は1000マイルである。もし同一航路をとって進めば,碇泊地までまだ2800マイルの航程で,他の航路をとれば2500マイルの航路である。もし途中で何事にも遭遇しなかったとしても,まだ15~20日間,大洋の中を漂うことになる。
わずかに進むごとに破損停船が続いている。今夜もシソイにおいて舵機を損傷し,その後また機関を破損した。駆逐艦の曳き船綱は紐のように切断されることもしばしばである。ブイストルイは大砲を備えているブリッジを破損した。
士官集会室では,なぜか艦隊はなお4400マイルを34日間かけて航行するといううわさがでていた。
食料はすでに尽きて,これからは塩漬けのものを食べなければならない。士官の中でだれがいちばん最初に食べられてしまうか,といった冗談を言う者がいた。
明日は石炭の積み込みがあるという。もし波が今日のように高ければ積み込みは難しい。そうなればまたも一日を空費することになる。石炭積み込みは現在は非常に重要ではあるが,まったくいやなことである。甲板の上は悉く石炭に満たされ,大砲の一部までもが石炭の中に埋まってしまうほどである。

2006/03/22 in  | Comment (0)

3月21日

正午
朝から一度も筆を取ることができなかった。諸艦船の間を往復したり,私室内の地獄のような灼熱に苦しめられて筆を取るなどは思いもよらなかったのである。いまは少し涼しくなった。27度である。
夜,スワロフで舵を操縦する鉄鎖を切断した。仕事は繁忙を極めたが,私はできるだけそれらを避けるようにした。
今日は朝早く7時には起きた。全艦隊は停止して端艇ですでに石炭の積み込みをはじめた。運送船から端艇で石炭を搬送してきて,それを各艦に転載するのである。
天気ははじめのうちは静穏であったが,ずいぶん波も高くなった。アウローラの汽艇を艦内に曳き揚げたのだが,どのようにこれを繋ぐのかを見ないと心配でなので自分でこれを調べようと思う。またカムチャツカにも赴く予定だ。
ローランドスワロフよりも遠方に停止している諸艦に対して各種の命令を伝えるために行くことになったので,この艦でアウローラに出張することにした。そこで提督用艇でローランドに行ったのだが,これには後悔した。小艇から軍艦に移乗するのはすこぶる危険であって,かつ非常に困難である。
ローランドが封緘命令を伝達しなければならない艦船は9隻であったが11時までにようやく6隻に伝えたに過ぎなかった。各艦はみな遠くに隔たって止まっているため,端艇でいちいち封緘命令を伝送するには非常に多くの時間を要するのである。12時にスワロフに帰艦し,またもローランドから小船で本艦に移乗した。
あなたは,私が小さな貝殻に乗って大洋を往復したと想像してみてほしい。戦闘艦の上から海上を望見すればまったく静穏にみえるが実際はそうではない。各艦を巡訪した際に,みな人々は物珍しそうに我々を眺め,何か珍しいことがないかと質問し,あたかも艦隊の外から来た者のように思っている。封書を伝達するとみな非常に喜んだ。

続きを読む "3月21日"

3月21日 つづき
まもなく石炭の積み込みが終わって諸艦は進行を始め,我々はさらに前進することになった。
大洋の波に抗しながら汽艇・端艇などの小船を舷側から曳き上げるのは非常に困難である。天気は非常によいというほどではないが,石炭の積み込みは意外に迅速に行われた。
明日,また早朝から石炭積み込みを始める。艦隊は錨を投じて碇泊しているのではなく,ただ機関を止めて漂泊しているに過ぎない。したがって風波に揺り動かされ,各艦の位置は移動してしまうのでたいへん危険である。しかしいまのところ駆逐艦ブイストルイを除けば衝突もなく無事である。ブイストルイはレーウェリでも破損を来たし,ランゲランドあるいはスカーゲンにおいても舷側を破り,いままた運送船と衝突した。
20分前に発進した。夕食は遅かった。いまだに食堂は開いていない。巡洋艦のブリッジに哨兵を置くために桶あるいは箱などを結びつけているが,一種奇妙な感じがする。ある巡洋艦では箱に似た鳥篭を結びつけ,またある艦では単に桶を吊るしただけである。この箱もしくは桶の中に信号兵を立たせて地平線上を望見させる。ブリッジの箱や桶は非常に高く吊られている。もし箱や桶の中にいなければ哨兵はブリッジからたちまち落ちてしまうであろう。いま信号兵は頭と肩を見せているに過ぎない。
またも一様で変化のない遠航を続ける。昨夜は士官室で将校たちが退屈に耐えずにいろいろな遊びをした。犬に蓄音機の音を聞かせたが,ある音声は犬が気に入らなかったとみえて吠え始めた。これを見てみな楽しそうだった。蓄音機は甲板の上に置かれ,そのスピーカー部をまっすぐ犬に向けた。
また警戒すべき夜になった。日本の巡洋艦が近くにいるかもしれない。日本の巡洋艦はいま我々が通過しようとしているイギリス領ススリー島に根拠地を持っているようだ。
我が無線電信部は他国の通信を傍受した。いまは以前に比較すれば危険は一層はなはだしい。前方に進むにしたがって敵艦隊に遭遇するとの予想は次第に強くなった。終日不愉快の感に襲われ,夜になると心が圧迫されるような感じがして煩悶に堪えない。人生のすべてのことが一時にまったく何らの趣味をも感じられなくなった。
日本艦隊が接近しているとの情報があった。いかにすべきかはどうでもよい。私は倦厭に耐えずに過ごす間に退屈し,激怒して万事について悪口批評した。私は,陸軍は海軍を無視して行動し,海軍もまた陸軍とはあえて同じ行動をとらず,海軍はまた小さく分立して互いに他の支隊とは行動を一にしないで各々勝手に行動していると思っている。
3隻(いまは2隻かもしれない)の軍艦は何をしているのか,たぶんウラジオにいるのだろう。我が艦隊はいま極東派遣の途にある。第三艦隊はどこにか遣わされた(我々はその所在を知らない)。またクロンシュタットおよびリバウにおいては(うわさによれば)残存艦が支度をしているとのことである。このように分離された一部隊は他の隊が何をしているのかは知らない。このような状況の中で果たしてその成功を期すことができるのかどうか。陸軍の方も同じような状況にあると思う。どこを見てもひとつの組織機関も秩序を持っていない。
その一方,我が敵はどうか。万事が整頓され,あらかじめ調査がなされ,かつ予定されているのではないか。日本はあらかじめ調査整頓された企画に従って戦争をするものである。我が軍は成功するだろうか。否。そのような能力は持ち合わせていない。もちろん何事も得られないということはなく,我々も勝利を得る可能性がまったくないわけではない。しかし,もし勝利を得たとしても,それは偶然のことに過ぎず,我がロシアは万事が旧式旧組織であって,「大概」ということに依存している。万事を為すにもコエカク(ロシア語で不注意にとにかく,の意)の一点張りである。誰かが洒落て「マカーキがコエカクと戦争する」(すなわち日本の猿たちが「とにかく主義」と戦争する,といういこと)と言うのも偶然ではない。実にこの洒落のとおりである。適当な悪口をいうのも難しい。

オレーグはもっとも速力の速い巡洋艦のひとつであるため,艦隊命令によって全艦隊の殿艦となって航行しており,艦隊の前方と両翼にはその他の巡洋艦が配置されている。巡洋艦の一部と各戦闘艦,駆逐艦,運送船等によって艦隊の中心が形成されている。

2006/03/21 in  | Comment (0)

3月20日

朝,我が艦隊の航路はジェゴハルシー島の近くのチアゴス島の方向を指した。英領チアゴス群島の付近には日本の艦船がいるとの噂がある。この噂は事実だろう。これら諸島の付近であるいは衝突があるかもしれない。チアゴス群島は人煙希少なたくさんの小島から構成されている。この群島と大陸の間には海底電線もない。
スワロフにクリムメルという機関士がいる。たいへん正直な人であるが,あるとき私は彼と話をし,もし我々の一人が死んだ場合に遺書を交換しておこうという約束をした。今日,彼は封書を私に渡したが,そこには「私が死んだ場合にはこの封書を宛名の者に送致し,また遺物も宛名の者に送ってくれることを願う。1905年3月6日 クリムメル記す。戦闘艦クニャーズ・スワロフにおいて」と上書きされていた。
私はまだ自分の遺書の支度をしていない。それに何を書くべきだろうか。私はあなたに対してひとつも秘密などなく,あなたは万事を知っている。私が最後のときに私が言おうとすることも,あなたはあらかじめすべてわかっているのだ。

続きを読む "3月20日"

我が艦隊がいま進行している航路は諸艦の通行がはなはだ稀な航路である。この航路は世界開闢以来,戦闘艦,小巡洋艦,駆逐艦等少しでも我が艦隊に類似した船舶は通行したことがない航路である。我が艦隊は戦闘艦,小巡洋艦,駆逐艦,運送船,工作船,病院船,給水船,曳船,汽船などからなっており,いかなる艦船も我が艦隊に加わらないものはない。
全艦隊は再び停止した。一隻の駆逐艦が曳き綱を切ったのだ。艦隊は徐行した。出航後,今日の正午までにわずかに675マイル,すなわち1180露里を航行したに過ぎないが,スンダ海峡に到着するには約7千露里を航行しなければならない。
明日は朝4時から我が艦隊に随伴している運送船からすべての軍艦に石炭の積み込みをする予定である。

2006/03/20 in  | Comment (0)

3月19日

昨夜同じところに3時間も留まって漂泊した。ボロジノでどうしたことか舵機を破損したのである。この艦はいまなおその修理を終えていない。そのためにボロジノは艦隊の列外に出ている。
一隻の汽船が艦隊に向かって進んでくる。昨夜わが偵察巡洋艦が船の灯火だとした火の光は船の灯火ではなく星の光だったとのことである。航海中に地平線に現れる星光を誤って船の灯火と思うことはたびたびあるらしい。私もまた,このような星光を見たことがある。実に,時々船の灯火に関する幻覚が激しいものもあるとのことだ。最近露土戦争の際に黒海で全艦隊が星光を敵艦の灯火と誤ってことごとく遁走したということがあったという。もちろん,その間違いはすぐにわかった。
ノシベ停泊中は毎日太陽を見ていたが,洋上に出てからの2日間は毎日曇天でときどき雨模様である。

続きを読む "3月19日"

遠航中,船内の生活は毎日一様で平凡である。天気は少し変わり始めた。いま荒れられてははなはだ困る。艦隊は失望するほどにゆっくり航進している。こんな状態では港に着くのは容易ではない。大洋を完全に横切らなければならないのだ。
艦隊にはまたひとつの厄介なことが生じている。外洋で石炭の積み込みをしなければならないのだ。我が艦の右舷の方には牡牛や牝牛を置いている。牡牛は食料のために,牝牛は搾乳のためであるが,遺憾ながら乳は出ない。子牛は二頭いるが,これは飼育することになった。しかしほんとうに飼育できるかどうかは疑わしい。元来,船で四足獣を運送するためには専用の動揺を防ぐ獣舎を作らなければならないのだが,艦にはそのような施設はなく,牝牛は甲板の上に直立しているのである。

2006/03/19 in  | Comment (0)

3月18日

昨日もまた食事に遅れた。食後にあなたのために筆を取ろうと思ったのだが,まず少し休息しようとして士官室に行くことにした。非常な暑さだった。私はこのごろいつも網襦袢を着ずに夏服を直に着ている。自分の部屋にいるときにはこれも脱ぎ捨てている。士官室で転寝をして,ついに眠ってしまった。目が覚めたのは6時であった。
自室に戻るととんでもないことが起きていた。明かり窓から海水が侵入してベッドから机まで海水で水浸しになってしまったのである。仕方なく濡れた吊り床に寝た。
朝,机の引き出しを開けようとしたが開かず,大工を呼んで開けてもらった。海水は引き下しの中まで入って中のものはみな濡れて,いま書いているこの紙まで濡らされた。しかしインキを流されなかったのは幸いであった。紙が乾くのを待って机の上を掃除した。
棚の上に隔てる板を打ち付けなければならない。正服外套フロックコートなどはリバウ港を出航以来手もつけず,見たこともない。大方悪くなっているものと思う。正服の刺繍などはひどく傷んでいる。多くの人々はみな,品物の損じたことをぶつぶつ言っている。
昨日,運送船ウラジミールの機関に何か破損を生じた。他の艦はウラジミールの修理が終わるのを待った。みなゆっくりと航行した。今朝は偵察任務艦の他はすべての駆逐艦を曳船とした。それは駆逐艦の石炭を消費させるためであった。洋上で駆逐艦に石炭を積み込むのは海が静穏なときであってもたいへんなのである。風浪でもあったときには石炭積み込みなどは到底できない。

続きを読む "3月18日"

ジェゴスアレツから出航したドイツの汽船が,昨夜我が艦隊を追尾してきたが,その後,我々よりも先に進んだ。はなはだ奇怪なことである。この汽船はなぜ我々と同一航路をとって,どこに行こうとしているのか。我々の艦隊の航路は故意にまだだれも通ったことがないところを選んで進んでいるのである。
昨日,ナワリンで新たに備え付けた大砲の発射試験を行った。その砲声はスワロフにも届いた。我が艦隊が日本艦隊に出会う際にも,砲撃はこのように聞こえるのだろうと想像した。砲声はそんなに大きなものではなかった。自艦の砲声は愉快に感じられるに違いない。
私はあなたに我がスワロフに小さい鰐を飼っていることを話したことがあるが,ノシベ出航前に誰かがその鰐を海中に捨ててしまった。しかしその小さい鰐はアウローラに泳ぎ着き,それをこの巡洋艦が引き揚げて,いまはその艦内で飼っているとのことだ。
郵便物に関しては次のように処置すべきとのことである。すなわち給炭船が郵便物を受け取って,その船が我々と遭うときに我々にそれを渡すというのである。もしその郵便物が給炭船から日本人の手にわたるようなことがなければ幸いである。そのときはあなたの手紙なども残念ながら日本人の手に帰すことになる。あなたが手紙を書くときには,その手紙がこのような悲しい運命に遭遇するかもしれないとは思いもしないだろう。
艦隊はゆっくりと非常に静かに航進している。全艦隊が止まる事もあれば,あるいは5~8ノットで進むこともある。このところ艦隊にさまざまな出来事が続発している。シソイと駆逐艦クローズヌイケロームスキー等に破損が生じ,軽微な破損も全艦隊の進航を止めてしまう。我が艦隊は若干の短縦陣を敷き,その長さはほとんど10露里(およそ日本の2里半)に達する。もし今後いつまでもこんな程度の速度で進んだとすれば,どこかの港に到着するまでに非常に多くの日時を要すだろう。
前進している硝艦がはるかに灯火を認めたとのことである。日本は最良の巡洋艦によって,我々から見つからないように我が艦隊の挙動を偵察することができる。我々は灯火を出して航進している。快速巡洋艦で灯火を消して我が艦隊に近づき,艦隊の位置を確認して隠れるのは容易だろう。このような偵察があり得ることは誰も疑わない。もし日本がいまこれをしようとすれば,我が艦隊がスンダ海峡に接近するのを待って偵察を行うに違いない。これは我が艦隊を襲撃するのではなくとも運送船を襲うには好都合な場所を選定するためである。この運送船の防御はとくに困難である。
ネボガトフ艦隊はどうしているのだろう。この艦隊は極東へ向かっているのだろうか。これは実にもっともはなはだしい冒険である。

2006/03/18 in  | Comment (0)

3月17日

朝,私たちは再び遠征の途にある。私たちの目的地はいまなお秘密である。
昨夜抜錨前のことを記したが,昨日の朝食後まもなくカムチャツカから連絡を受けた。この艦は冷却機を破損したという。さらに同艦はキングストンを穿ったので海水が浸入し,いまようやく閉塞できたとの報告があった。これはおおいに悲しむべきことである。
私はカムチャツカへの出張を命じられるだろう。この艦に長く留まらざるを得ないと思う。提督に要求が為されたため,私はカムチャツカに赴いた。到着すると大きな騒動であった。機関室の浸水の深さはすでに胸にまで達していた。しかしともかくもキングストンを塞ぐことができた。キングストンの管が開いてしまったのではなく,栓が破損したことが原因であることを確かめた。不注意で栓を切断し,これを管から抜いたために,その隙間から海水が入ったのである。修理をほぼ終え,危険がないことを確認してスワロフに戻った。提督は修繕が完全に終了するまではカムチャツカに留まるよう私に命じたので,再び赴くことになった。汽艇でカムチャツカに行った。こうしてカムチャツカの工事もすべて終え,喜び勇んでスワロフに帰艦すると,またも不意の出来事が私を待っていた。
すなわちアウローラが汽艇を引き揚げることができないとのことである。汽艇の引き揚げに必要な主要部を破損してしまったためである。直ちに同艦に出張して連滑車を巻き始めた。私たちがいかに急いで働いたかはあなたの想像を超えるものである。この仕事は12時から始められたが,3時は艦隊抜錨の時間であったから,いかにしても汽艇を引き揚げなければならない。それができなければこれを放棄せざるを得ないのである。あるいは切断する部分もあれば,挽き切る仕事もある。大騒ぎをして3時間半ですべての仕事を終え,とにかく引き揚げることができた。

続きを読む "3月17日"

信号が掲げられ,艦隊は錨を抜きはじめた。艦隊の光景はまさに壮観である。各種の艦船,駆逐艦と運送船を足せば45隻の艦船が,いまや舳先を接するように抜錨しようとしている。フランスの駆逐艦は我が艦隊を送って征途の平安を祈った。フランス艦の乗員は万歳を歓呼し,我が艦隊もマルセーユの国歌を演奏した。士官室は元気に満たされた。しかしその元気は長く続くのだろうか。私は満足しているのだろうか。私は自らの感情を判断できない。一方では我が全艦隊の運命を危ぶみ,もう一方では早くあなたに会うことと日本艦隊を撃破する望みも捨てていない。
日本は強い。はなはだ強い。運送船レギンが到着した。この船は日本に脅迫されてその搭載食料品ならびに貨物の一部をポートサイドに陸揚げさせられた。このことをあなたはどのように感じるであろうか。もし日本がそれを欲せば,レギンをここに来させないこともできたはずである。すなわち我等はただ日本が許したものだけを得たに過ぎないのである。見よ,あの一小国(日本)が如何にその力を自覚しているかを。これは軍事上の進歩によるものであることはもちろんである。我々が第三艦隊が来るのを待たずに出航したことを知ったならば,ネボガトフ艦隊の驚きははたしてどのようなものだろう。私の見解では,我が艦隊が第三艦隊を待たずに出航するのは軽挙妄動であって自己の勢力を分離するに過ぎない。このマダガスカルに2ヶ月もの間停泊したのではなかったか。
我が参謀部の一人の士官はある秘密命令を受け,彼は艦隊に来ずにノシベに残った。彼は2ヶ月間滞在の費用を渡された。海軍大尉レドキンがジェオスアレツにいたときにフランス人が彼に告げたのはノシベ出航の期日と今後の碇泊地についてであった。これは3月3日のことである。レドキンはこの予言を記してこれを封じ,私にそれを与えて封書は海に投げ捨てるように言い添えた。これはもとより好奇心の仕業であったが,出航の日が正確であったと仮定されたい。これは実に驚くべきことではないか。フランス人はどこからこのような情報を得たのか。今後の碇泊港はまだ知らされていないので真偽のほどはわからない。

昨日の日暮れから諸艦は灯火を掲げた。地平線上は点々とした明かりで満たされた。これは45隻の大艦隊である。この大艦隊の運動を一致させることは至難である。我が艦隊の占める海面の広さははたしてどのぐらいであろう。
提督は10時までブリッジにおられた。私たちはかなり空腹を感じて食事を摂った。
昨夜突然故障した戦闘艦アリョールは機関を破損したとの連絡をしてきた。艦隊はみな速力を緩めた。アリョールは一個の機関だけで航行した。またアナズイリの機関にも何か故障を生じた。これを修繕するのに1時間も待った。
今日のところは,いままで艦隊には何の別状もない。艦隊の破損の出来事はみな夜間に生じている。
今日は曇天で太陽は隠れている。海は多少の波がある。航海最初の10日間はとくに風雨を免れたいものである。艦の中には石炭を満載しており,それが船の航走力にはなはだ有害なのである。
寝て休息をとろうとしたが暑さで眠れなかった。あなたに話をしたかどうかは忘れてしまったが,私は寝巻きも着ずに寝て,そばに厚紙を置き,目が覚めたときに暑いとその厚紙を団扇の代わりにしている。こうして再び寝るのである。
誰だかは,二枚の網で魚網を編んだ者がいた。いま舷側からその魚網を投じて魚取りをはじめた。天候は静穏で,艦の前後には多くの魚影が見えた。
スワロフとほとんど並行して駆逐艦ビエードエイが航進している。駆逐艦ではすべてのことは甲板上で行い,甲板で生活している。駆逐艦乗員の食事も休息もみな我が乗艦から望見できる。
昨日,キエフから水兵が一人海に飛び込んで溺死した。彼はどのような精神状態にあったのだろう。前途に赴くことを恐れたのだろうか。そうだ。殺されるのを恐れたのだ。このことは不思議にも思えるが,戦争で殺されることを恐れて自殺する者がいるということは私も聞いたことがある。この水兵も戦死を非常に恐れて精神に異常を来たしたものと思う。そのほかにこれを説明できない。
少し風が出てきた。1時間前に一人の水兵が暑さに浮かされてジェムチューグの舷側から海に飛び込んだ。これを救うために救命袋を投げ入れ,端艇を下ろしてこれを助け,幸いに病院船アリョールに泳ぎ着いて同艦に這い上がることができた。彼はいまこの艦に収容されている。

2006/03/17 in  | Comment (0)

3月16日

今日はたいへん忙しかった。今朝,私は自分の手紙を出し,また他人の分の依頼を受けた手紙を出そうと思って上陸した。郵便局の前は人だかりであった。すべての人々はみな11時までに,つまり11時から午後2時までの郵便受付事務の休憩時間前に差し出そうと焦っていたのである。
ところが正午に抜錨用意の信号命令が発せられ,多くの人たちはせっかく書いた手紙や小包その他書留を出せなかった。その書留郵便を普通の手紙のように直に投函したために郵便箱はたちまち一杯になってしまった。
普通郵便にすると,時に遅着することがある。私は知らずにいたが,私とし一緒にいた士官は私の書留郵便を私の手から取って,これを郵便箱に入れてしまった。私はこのとき,他人から依頼された郵便に切手を貼っていたのである。
私はおおいに驚き,何の考えもなく郵便局の窓から事務室内に入った。それから土地の人に頼んで箱の中から郵便物を皆出させて私の手紙を探し出し,それを事務員に渡して書留として出すよう頼んだ。その受取書を受け取るとすぐにスワロフへの帰艦を急がねばならなかった。

続きを読む "3月16日"

郵便局の事務員には,私は多少名を知られた。理由の一つはたびたび郵便のことで彼等に接していたことと,私が彼等にメダル及び勲章贈与のことを約束したからである。外国人はこれらの装飾を非常に喜ぶ。私はすでにその手続をしたので,彼等はメダルと勲章とを受け取るであろう。
郵便局で,私に「貴君の出航は今日,あるいは明日かいつになるのか。貴君は直ちにロシアに帰還するのか」と尋ねられた。私は11時に本艦に戻った。埠頭ならびに桟橋の混雑は大変なものであった。貨物・食料品等を山のように積んでその辺にも散乱し,牛車は続々と貨物を曳いてくる。人夫はそれを脚艇に積み込もうと忙しく立ち働いている。
まず私は陸上の仕事を片付けた。食事も終えたので,これからは私にとっては気軽な舞台である。あなたには許してほしい。いま私は筆を措いて,後は明日にしようと思う。私は非常に疲れていて,ほとんど座ることもできず,昨夜は熟睡できず,今日はまた終日目がくらむほど奔走した。いま従卒さえもが「上官殿,寝て休息されてはいかがです? 停泊中は始終睡眠時間も少なく,ずっと働いておられましたから」と言った。まさにそのとおりである。仕事は多忙を極めた。もし今後幸いにして艦船に何事もなければ休息したい。しかし航海中に艦船に破損でも生じたなら,洋中で他艦に移乗せざるを得ない場合もあり得る。

2006/03/16 in  | Comment (0)

3月16日

今日はたいへん忙しかった。今朝,私は自分の手紙を出し,また他人の分の依頼を受けた手紙を出そうと思って上陸した。郵便局の前は人だかりであった。すべての人々はみな11時までに,つまり11時から午後2時までの郵便受付事務の休憩時間前に差し出そうと焦っていたのである。
ところが正午に抜錨用意の信号命令が発せられ,多くの人たちはせっかく書いた手紙や小包その他書留を出せなかった。その書留郵便を普通の手紙のように直に投函したために郵便箱はたちまち一杯になってしまった。
普通郵便にすると,時に遅着することがある。私は知らずにいたが,私とし一緒にいた士官は私の書留郵便を私の手から取って,これを郵便箱に入れてしまった。私はこのとき,他人から依頼された郵便に切手を貼っていたのである。
私はおおいに驚き,何の考えもなく郵便局の窓から事務室内に入った。それから土地の人に頼んで箱の中から郵便物を皆出させて私の手紙を探し出し,それを事務員に渡して書留として出すよう頼んだ。その受取書を受け取るとすぐにスワロフへの帰艦を急がねばならなかった。

続きを読む "3月16日"

郵便局の事務員には,私は多少名を知られた。理由の一つはたびたび郵便のことで彼等に接していたことと,私が彼等にメダル及び勲章贈与のことを約束したからである。外国人はこれらの装飾を非常に喜ぶ。私はすでにその手続をしたので,彼等はメダルと勲章とを受け取るであろう。
郵便局で,私に「貴君の出航は今日,あるいは明日かいつになるのか。貴君は直ちにロシアに帰還するのか」と尋ねられた。私は11時に本艦に戻った。埠頭ならびに桟橋の混雑は大変なものであった。貨物・食料品等を山のように積んでその辺にも散乱し,牛車は続々と貨物を曳いてくる。人夫はそれを脚艇に積み込もうと忙しく立ち働いている。
まず私は陸上の仕事を片付けた。食事も終えたので,これからは私にとっては気軽な舞台である。あなたには許してほしい。いま私は筆を措いて,後は明日にしようと思う。私は非常に疲れていて,ほとんど座ることもできず,昨夜は熟睡できず,今日はまた終日目がくらむほど奔走した。いま従卒さえもが「上官殿,寝て休息されてはいかがです? 停泊中は始終睡眠時間も少なく,ずっと働いておられましたから」と言った。まさにそのとおりである。仕事は多忙を極めた。もし今後幸いにして艦船に何事もなければ休息したい。しかし航海中に艦船に破損でも生じたなら,洋中で他艦に移乗せざるを得ない場合もあり得る。

2006/03/16 in  | Comment (0)

3月15日

運送船レギンは湾内に入った。まもなく投錨するだろう。私たちは明日にも抜錨して極東に出発するかもしれない。今後,私の手紙がしばらく中断してもけっして心配しないように。
海上穏やかに航海すれば,3週間でスンダ海峡に到達する。レギンは多少の郵便物を搭載してきた。郵便物の一部をなぜかポートサイドに遺してきたという。今回齎したのは2月9日後の手紙である。
「3月16日の正午12時までに蒸気力を準備すべし」との信号があった。すなわち郵便船の到着を待たずに出航するということである。あなたに書いた手紙を発送するために上陸することにしよう。

続きを読む "3月15日"

夜9時,もう一度郵便を出すことができた。陸上の郵便局前に人々がたくさん集まっていて,ようやくのことで自分の手紙を投函できた。来る18日,すなわち我が艦隊の出航2日後に来着する郵便物については次のようにするとのことである。すなわち病院船アリョールがここに残ってその郵便物を受け取り,直ちに艦隊に追いつき,それを受信者に配達するという。私の想像によれば,私は2月25日および26日後のあなたの手紙を入手できると信じている。確たることはわからないが,私たちはノシベからサイゴンに向かうと思われる。その途中になおどこかに碇泊するだろう。今度は長くかつ困難な航海である。天候はどうだろうか。
室内は実に地獄の暑さのため,いるに耐えないので応接所で手紙を認めている。皆,そこここの椅子に腰掛けて手紙を書いている。明日は投函することができると思う。明日の出航は正午前ではないから,そのときまでに約40隻の全艦隊の船から郵便物を集めることになる。船舶に対する必要な私の仕事は期日内に終えることができた。

2006/03/15 in  | Comment (0)

3月14日

レギンの外に我々はフランスの郵便船で郵便を手にすることはできない。この船はここに18日に到着する予定だ。今後の航海のために忙しく準備をはじめた。もしフランス郵便船の来着を待たずに出航することになれば,はなはだ遺憾である。我が艦隊はとにかく運送船レギンの到着を待たなければならない。この船で運ばれてくる軍需品を入手しなければ前に進むことはできないのだ。
第三艦隊の到着は待っていないようだ。しかしもしそうなら,なぜ無用の資金を費やして第三艦隊を増遣したのか。もし我が第二艦隊が戦争に敗れることがあれば,第三艦隊は独立して航進を続けざるを得ないだろうが,もし第二艦隊の海戦がその結果決戦とはならなかったとしても,なおかつ第三艦隊は極東に赴かざるを得ないのではないか。
全艦船に対して「命令を受けた後24時間以内に抜錨の準備をするべし」との信号が揚がった。レギンはまだ到着していない。
またも舵機破損のためにカムチャツカに出張した。スワロフはバルチック造船所で建造された艦である。私は何度もこれを見,ときにははなはだ不快な思いでこれを見たこともあった。当時,私はよもやこの船が私とこのような因縁ある関係になるとはまったく思いもしなかった。

続きを読む "3月14日"

上陸して郵便物を投函するつもりだ。今日は船から出られるかどうかはわからない。郵便を出すことができれば一安心である。
私は非常に神経が過敏になっている。今日も友人と談論していたが,ついには口角泡を飛ばして激論してしまった。一方から見れば面白いかもしれないが,敵を作ってしまうということではよくない。
いま新たに時日の計算を始めた。我々はここを出航した後,もし途中何事もなければ1ヵ月半でウラジオに到着する。したがって,もし何事にも遭遇することなく我が艦隊が近日中に出航すれば5月中旬には着くことができるはずだ。

2006/03/14 in  | Comment (0)

3月13日

日本はヨーロッパと米国から砲弾・大砲・鋼鉄一切の武装品ならびに食料等を輸入しており,一隻の汽船などはミルクだけを満載したものもあったという確報を得た。日本には運送船からなる一艦隊が到着し,日本の陸軍も海軍も一切の軍需品をもっとも豊富に供給され,物資は川の流れのように輸入され続けられている。しかし一方のロシアは日本とはまったく反対である。
満州では我が兵は飢餓と寒さに苦しみ,着るに衣なく裸足でいる者さえいる。大砲も砲弾も非常に不足し,我が艦隊は日本と比較することさえ恥ずかしい状態だ。
いま我々は碇泊してギンスブールグの汽船レキンが何らかの物資を搭載してくるものと待っている。我々はただ一隻の汽船を待っているのに,我が敵にはこのような船は数十隻もあるのではないか。

続きを読む "3月13日"

私は預言者ではないが、私の,この言葉を記憶しておくべきだ――日本は3月下旬にはかならずカラフトを占領するだろう。遅くとも4月にはウラジオを封鎖し,あるいはウラジオ付近に日本軍が上陸するのが見られるだろう。
我が艦隊は極東に赴くべきか。ウラジオが我々の到着まで保たれていると仮定し,さらに我が艦隊が日本艦隊に勝利すると仮定しても,果たしてウラジオに到着できるだろうか。到着後,どのようにすべきか。ウラジオには石炭が欠乏し,砲弾・火薬・大砲は皆無である。我が艦隊が1回の交戦において持っているものを発射してしまえばどうなるのか。一方,日本の戦艦は交戦後ただちに佐世保,長崎,その他の諸港に入って迅速にその損害を修理し,新たな戦争のために準備できるのだ。
しかし我々はどうか。ウラジオに1箇所のドックを持っているだけではないか。グロムボイボカチールがその修理のためにどれだけの日数を要したのかを考えてみれば一目瞭然である。ウラジオもまた旅順の二の舞を免れないであろう。しかもウラジオが我々の到着まで保たれ,戦争の結果が日露互いに伯仲の関係にあると仮定しての話である。
我々は大航海をし,大いに疲労している水兵で海戦を行い,かつ我々はなお運送船をも防御しなければならないことを忘れてはならない。
運送船レギンは我々に郵便物を齎すだろう。この船はまもなくここに到着するはずである。あのドイツ海の漁船砲撃の際に同士討ちの砲弾で打ち抜かれたアウローラの破損箇所を一見した。一個の弾痕に至っては砲弾爆発のためにほとんど直角に曲がっていた。
非常に暑い。私は3月14日(ロシア暦の3月1日)には我が艦隊はウラジオに到着するだろうと予想したが,私の予想は大きな誤りはなかった。もし旅順および陸戦の不幸さえなければ,私たちは3月14日にはウラジオに到着の予定だったらしい。私がロシアにいた際に艦隊について想像した日取りとは単に数日の差だけである。
日本は大巡洋艦の建造を迅速に進めている。3月下旬までには,日本では黒竜江を通行する多数の小砲艦をかならず準備するだろう。

2006/03/13 in  | Comment (0)

3月12日

郵便物事件で多くの人々は参謀部の処置に憤慨し,艦隊の各士官は各艦一致して,オデッサのギンスプールグ商会を通じて親戚知人に手紙を送ってほしいという広告を依頼する旨の電報をノーオエウレミヤに打とうと話し合った。ギンスプールグ商会は我が艦隊の戦争史上に如何なる働きをするのかをあなたに話すこともあるだろう。ギンスプールグ商会がなかったらまったくなにごとをも為すことができまい。この商会は我々に飲ませ,かつ食べさせ,また全艦隊に一切の軍需品を供給しているのだ(訳者注:ギンスプールグという人はロシアのユダヤ人で明治10年ごろ横浜に来て,わずか3ドルで人に雇われ卑しい仕事に就いたが,次第に貯金をして多少の資金を得て商売を始め,ロシア艦隊が来航するたびに商売をするようになってついには御用商人となって巨万の富を築いた人である。現在はオデッサをはじめ極東の重要な港湾に支店を設ける大商人である。ロシアでもギンスプールグ商会といえば屈指の豪商である)。

続きを読む "3月12日"

奉天はついに日本の手に堕ち,ロシア軍の鉄道は破壊され,ロシア軍は5万の死傷者を出し,捕虜になった者も5万に達するとの情報が入った。まことに畏怖すべき不幸である。現状を考えれば,戦争は完全に我が軍の敗北である。ウラジオが包囲されるか,あるいは奪取されるかの報がくるのではないかと毎日思っている。
我が艦隊はどこに行こうというのか。我が艦隊は嫌悪に耐えない艦隊であるが,とにかく唯一の拠り所である。
ああ不運なロシアよ,この艱難はいつ終わるのか。一難去ればまた一難が襲ってくるのは汝の運命である。

2006/03/12 in  | Comment (0)

3月11日

急いで上陸して郵券と煙草を買い,郵便を投函してすぐに帰艦した。
土地の者はその働き振りを示して横着を決め込んでいる。ヨーロッパ人は概して土地の人々に対してはあまり礼を重んじない。土地の人たちは私が手に包みを携えているのを見ると,大勢駆け寄ってきて店頭に集まった。ヨーロッパ人の店員はあたかも犬を追い払うかのように土足で彼らを追いやった。しかし簡単には去っていかなかった。
郵便局から我が艦隊にこの地方から発送された郵便と電報を配達された。その郵便の中にはキールから我が提督に宛てたハガキがあった。このハガキの中には,一人のドイツ人が,例の北海における漁船砲撃事件のことを書いてロジェストウェンスキーを嘲笑し,帰還すべきことを勧告し,「ましてや,卿等のためにはウォッカが貯蔵されているのだから,云々」と言っているものがあった。

続きを読む "3月11日"

3時に無線電信でイルツイシから連絡を受けた。8時に湾内に入るが郵便物は一つも持ってこないという。郵便物を送ることなど簡単なことであるにもかかわらず,ロシア海軍参謀部は実に不都合極まりないことに,これを行わないのだ。イルツイシはジプーチに約1ヶ月も碇泊していた。みな異口同音に参謀部を非難したが,別に致し方ない。参謀部長自らはギンスブルグ商会の手を経て艦隊にいるその子息に手紙を送ってきた。
ひとつの郵便物発送のような単純な仕事でさえ満足にできないわが国が,どうして日本と戦争などできるのか。彼等参謀部の不親切のために,また一指をも動かす能力がないために,我々はすでに2ヶ月半も家族から一言の音信をも受けることができないのだ。
軍隊に家族の音信を得させるのは士気の発揚にもっとも必要であるのに,そのようなこともできない者が,日本のような強敵とどこで戦おうというのか。私はすでにわが国の秩序がどの程度かを知っているので,イルツイシには別に望みを抱かない。しかし多くの人たちは同船が多くの郵便物を持ってくると信じ,そのときにはどんなに嬉しいことだろうと思っている。
イルツイシの上官の一人が発狂し,スエズからロシアに帰還させられたということだ。明日は同船に出張する。またボロジノにも出張しなければならない。

2006/03/11 in  | Comment (0)

3月9日

いま湾内から戻った。ジェムチューグの潜水工事はうまくできたので,たいへん嬉しい。はじめ,私は工事の成功を疑ったほどだった。潜水員と,この仕事に従事した士官などの功労を記録するよう私は提督に願い出た。艦長はこのことを約束した。私もここに一言付記する。
いまボロジノから士官候補生が来訪した。その名前は忘れたが、彼は士官試補の試験を受けることに助力を願いたいと頼んできた。
3時ごろに上陸するために支度をした。

2006/03/09 in  | Comment (0)

3月8日

今日はとくに臨時の仕事もいまのところないので上陸しようかと思う。
ジェムチューグの舵の作業はすでに終わった。これで十分だ。しかしイズムルードにも同様の作業をしなければならない。
夜11時,グロムボイの修繕が終わったという報告があった。イルツイシの消息はついにわかった。この船はジプーチから2日に出航したということで,ここには12日か13日には到着の予定である。イルツイシにロシアからの郵便物が積まれているかどうか,おそらくは来ないだろう。ロシア政府がこのことに配慮したなら1月17日までの手紙をジプーチに送ることができるはずなのだが,たぶんこれらのことには配慮していないと思う。イルツイシが我が艦隊に持ってくる郵便物はどこからのものだろうか。とにかくこの船が郵便物を持ってくるという一縷の望みがあるので,この運送船をしきりに待っているのである。

2006/03/08 in  | Comment (0)

3月5日

一隻の汽船がヨーロッパに向けて明日出航する。
今日は日曜日であるが,今日も明日も書留郵便を扱わないとのことだ。はなはだ遺憾である。
マライヤはまだスエズ海峡を通過していなければ,再び艦隊に引き返すとの噂もある。

2006/03/05 in  | Comment (0)

3月4日

煙草を300箱ほど買った。みな吸い口のない巻煙草である。その煙草は色が濃く,味もひどくまずい。しかしロシア煙草は到底手に入れることができないのだからこのようなものも溜めておかなければならない。
陸上の商店の開業はますます多くなっている。商人は互いに競争しており,ある商人などは近日中に貨物を積んだ汽船が到着するのを知って,すべての品物を6割引の価格で販売するとの広告を掲げた。しかしこの商人は前にすべての品物の価格を3倍に上げたことがある。実に不埒な商人である。
今夜遅くボロジノに出張したが,夜間に湾内を航行するのは非常に危険である。もし汽艇の方から暗号の合言葉を答えないと,たびたび発砲されることがあるからである。しかし汽艇の方にすれば,波や機関の音のためにそばを通る艦の哨兵が発する問いの言葉を聞き取れないことがある。

続きを読む "3月4日"

郵便局でヨーロッパからの何ごとかの電報を掲示したのだが,知事はロシアの士官等にこれを知らせないようにするために,この掲示を撤去したという。もしかすると,いままで以上に重大な(ロシアの)不幸を知らせるものではないか。掲示場に残された電報によれば,日本人はほとんどウラジオを封鎖包囲したという。ウラジオには何の軍需品もない。旅順が陥落する前に軍需品を搭載した4隻の汽船を旅順に送ったのに,4隻ともすべて日本人に捕獲されてしまったのだ。
日本は旅順から大砲を取り去って,これで(すなわちロシアの大砲で)韓国沿岸の防備を行っている。もしウラジオが封鎖されてしまったとすれば,我が艦隊はどこに行けばよいのか。もし我が艦隊がウラジオ陥落前にそこに到着できたとしても,そこには軍需品が欠乏し,我が艦隊も乏しい。こういう状況にあってどうするべきか。飢餓に瀕しているものが,同じく飢餓に瀕している者の救援に赴くのである。こうなれば我が海軍は旅順の海軍と同じ運命を辿って滅亡するしかない。
ついでに言うことがある。ボカチールがドックを出るとすぐに沈没しかかったが,浮ドックがこれを救ったという。破壊されたグロムボイは修理されてドックにあるという。日本人はウラジオに巡洋艦と駆逐艦とを遣わした。クロパトキンの行動は非常にまずい。
日本はフランスと次のような密約を結んでいることをあなたは知っているだろうか。すなわち,その条約は「ロシア艦隊は幾日でもその必要なだけノシベに碇泊してもよい。しかし3日以上この港から出た場合には,その後3ヶ月間はフランス領の港湾にはいっさい入港させない」というものだ。もしこれが本当であれば,ロシアの立場はまったく絶望的であると言わねばならない。万事はいかに終わるのか,あらかじめこれを知ることはできない。私は紙の上に記していないなお多くのことがある。すべて形勢を良くすることではない。
マユンゴに碇泊しているエスペランスは4度もここに向けて出航の準備をしたが,その都度機関が故障した。もちろん,これは乗組員が故意に破壊したものである。

今日,あなたからの電報を受け取った。その電報にはただ「お大事に」とあるだけで,その後はなかった。いまはただ,あなたが生きているということだけを知るにとどまっている。海軍省は12月初めから我が艦隊に1回も書面を送ってきていない。あなたからの電報に大いに喜びながら,奉神礼の祈りに与った(今日は戦死者追悼の祈祷会とのことであった)。
11時にボロジノに出張した。私はいつも軍刀を掛けたままにしておき,帯刀したことがないが,今日は帯刀した。しかし船のハシゴを登るときに刀身が鞘から抜けて水中に落ちてしまった。海の深さは12露尺もあり,これをとることは非常に難しい。ボロジノの技師は私に物品の掛け紐を贈ってくれると約束した。軍刀を腰に付けるためには便利なものだ。しかし軍刀そのものはここでは手に入らない。
ボロジノで非常に面白い朝食のご馳走があった。士官室は綺麗に装飾され,甲板には毛氈を敷き,隅々には盆栽を置いて食卓はロシア文字のП字型に配置され,その上に見事な花を挿した花瓶が置かれ,また食卓布の上も花で装飾されていた。来客はかなり大勢で,音楽も演奏された。各士官は互いに深厚な友情を吐露し,その交友の情は羨ましいほどであった。互いに笑い,歓楽尽きざるようであった。しかしみな,自分たちの職務を忘れるようなことはなかった。
食後はまた数人ずつが一団になって杯を傾けた。楽隊を士官室に招き,そこにテーブルを置いて演奏させた。多くの士官たちは互いに自ら楽器を取って懐かしい小ロシアの行進曲を演奏した。最初,私は少しも酒を飲まなかったが,後で一団となって集まったときには音楽を聴きながらシャンペンを飲み始め,けっこうたくさん飲んだ。私は杯を上げるたびに,あなたは私が酒を飲み始めたことに驚くだろうと思った。
一同が散ってしまった後にも,まだ多く踊っている士官がいた。私は本艦に帰るために6時にカッターに乗った。

郵便船エスペランスが来着したのだが,全艦隊への郵便物ははなはだ少なく,たった1袋に過ぎなかった。しかもただギンスプールグ商会を経て発送されたものだけであった。ギンスプールグを経て送られてきた新聞を見てロシアの出来事を知った。またこの新聞によって,戦死者および負傷者に対する政府の処置についても知った。このような不幸危難が続出するのはなぜなのかを言うことさえ心苦しい。私は艦隊の航海に加わったことをひどく後悔している。

2006/03/04 in  | Comment (0)

3月2日

朝は例によって諸艦に出張巡航し,ようやくのことで朝食に間に合った。
駆逐艦艦長などの争いがどのように決着するかはまだわからない。ひとりの艦長は今日何事かを説明するために参謀部に来た。また説明を得るために一方の艦長が召喚された。まだ双方が水掛け論をしている。
今夕,士官公室でさかんに議論した事件があった。一匹の犬が多くの人たちから愛されている小猿の尻尾を噛んだのである。犬はひどく痛めつけられ,医師は猿の尾に治療を施した。いまはその猿は尾に包帯をして遊んでいる。

2006/03/02 in  | Comment (0)

3月1日

駆逐艦ボードルイに一度とカムチャツカスウェトラーナジェムチューグなどに各2回出張した。イルツイシの運命は心配に耐えない。この艦はすでに1月21日にポートサイドに着いたとのことであるが,いまだにここに到着していないのである。各地にこの艦の消息を問い合わせる電報を出している。
艦隊がここマダガスカルに着いてからちょうど2ヶ月になった。わたしがあなたからもらった最新の手紙は12月26日後のものである。もしフランスの郵便船が我が艦隊に郵便物を持ってこないとすれば,はなはだ遺憾である。私たちがノシベを出航して極東に赴くことになれば,いま発送する郵便物や電信と今後の分とは相当の期間が空いてしまうことになろう。しかしけっして心配しないように。このような途絶は自然のことであり,前途は非常に長い大航海なのである。もし天候が悪ければ約20日を要してしまうのである。

続きを読む "3月1日"

我が艦隊の極東発航については多くの者がそれを疑って信じない。実に失望せざるを得ない。もし今後偶然のできごとでも起きない限り,極東発航は近日中に行われるだろう。
いままでにさまざまな論争が生じている。一人の艦長などは非常に憤慨して,旗艦スワロフに来て相手の艦長を提督に訴えた。この事件が終わると同時に,またも一つの事件が起こった。旗艦の水雷隊の一士官が猿を飼っているのであるが,その猿を艦から放逐することを命じられたのである(この士官は室内に何匹かの猿を飼っている)。この事件の起こりは,その猿が上長官の部屋に入って乱暴をしたため,この上長官がその件を上申したことに原因している。このため二人は上長官の部屋で言い争いを始めた。これはみな遊びに夢中になったためである。
夜に入ってまたも事件があった。スワロフのひとりの士官が水雷艇演習の際に,オスラービアが自艦に対する水雷の演習発射を認めないといってオスラービアに向かって何事かを言った。それに対してオスラービアから,その発言をした者の氏名を教えてほしいとの要求がきたのである。たぶん,明日にはこの事件の上申書が参謀部に提出されるだろう。ここではいかに不愉快な生活を強いられているかが,この一事を持ってもよくわかる。

2006/03/01 in  | Comment (0)