バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

3月4日

煙草を300箱ほど買った。みな吸い口のない巻煙草である。その煙草は色が濃く,味もひどくまずい。しかしロシア煙草は到底手に入れることができないのだからこのようなものも溜めておかなければならない。
陸上の商店の開業はますます多くなっている。商人は互いに競争しており,ある商人などは近日中に貨物を積んだ汽船が到着するのを知って,すべての品物を6割引の価格で販売するとの広告を掲げた。しかしこの商人は前にすべての品物の価格を3倍に上げたことがある。実に不埒な商人である。
今夜遅くボロジノに出張したが,夜間に湾内を航行するのは非常に危険である。もし汽艇の方から暗号の合言葉を答えないと,たびたび発砲されることがあるからである。しかし汽艇の方にすれば,波や機関の音のためにそばを通る艦の哨兵が発する問いの言葉を聞き取れないことがある。

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郵便局でヨーロッパからの何ごとかの電報を掲示したのだが,知事はロシアの士官等にこれを知らせないようにするために,この掲示を撤去したという。もしかすると,いままで以上に重大な(ロシアの)不幸を知らせるものではないか。掲示場に残された電報によれば,日本人はほとんどウラジオを封鎖包囲したという。ウラジオには何の軍需品もない。旅順が陥落する前に軍需品を搭載した4隻の汽船を旅順に送ったのに,4隻ともすべて日本人に捕獲されてしまったのだ。
日本は旅順から大砲を取り去って,これで(すなわちロシアの大砲で)韓国沿岸の防備を行っている。もしウラジオが封鎖されてしまったとすれば,我が艦隊はどこに行けばよいのか。もし我が艦隊がウラジオ陥落前にそこに到着できたとしても,そこには軍需品が欠乏し,我が艦隊も乏しい。こういう状況にあってどうするべきか。飢餓に瀕しているものが,同じく飢餓に瀕している者の救援に赴くのである。こうなれば我が海軍は旅順の海軍と同じ運命を辿って滅亡するしかない。
ついでに言うことがある。ボカチールがドックを出るとすぐに沈没しかかったが,浮ドックがこれを救ったという。破壊されたグロムボイは修理されてドックにあるという。日本人はウラジオに巡洋艦と駆逐艦とを遣わした。クロパトキンの行動は非常にまずい。
日本はフランスと次のような密約を結んでいることをあなたは知っているだろうか。すなわち,その条約は「ロシア艦隊は幾日でもその必要なだけノシベに碇泊してもよい。しかし3日以上この港から出た場合には,その後3ヶ月間はフランス領の港湾にはいっさい入港させない」というものだ。もしこれが本当であれば,ロシアの立場はまったく絶望的であると言わねばならない。万事はいかに終わるのか,あらかじめこれを知ることはできない。私は紙の上に記していないなお多くのことがある。すべて形勢を良くすることではない。
マユンゴに碇泊しているエスペランスは4度もここに向けて出航の準備をしたが,その都度機関が故障した。もちろん,これは乗組員が故意に破壊したものである。

今日,あなたからの電報を受け取った。その電報にはただ「お大事に」とあるだけで,その後はなかった。いまはただ,あなたが生きているということだけを知るにとどまっている。海軍省は12月初めから我が艦隊に1回も書面を送ってきていない。あなたからの電報に大いに喜びながら,奉神礼の祈りに与った(今日は戦死者追悼の祈祷会とのことであった)。
11時にボロジノに出張した。私はいつも軍刀を掛けたままにしておき,帯刀したことがないが,今日は帯刀した。しかし船のハシゴを登るときに刀身が鞘から抜けて水中に落ちてしまった。海の深さは12露尺もあり,これをとることは非常に難しい。ボロジノの技師は私に物品の掛け紐を贈ってくれると約束した。軍刀を腰に付けるためには便利なものだ。しかし軍刀そのものはここでは手に入らない。
ボロジノで非常に面白い朝食のご馳走があった。士官室は綺麗に装飾され,甲板には毛氈を敷き,隅々には盆栽を置いて食卓はロシア文字のП字型に配置され,その上に見事な花を挿した花瓶が置かれ,また食卓布の上も花で装飾されていた。来客はかなり大勢で,音楽も演奏された。各士官は互いに深厚な友情を吐露し,その交友の情は羨ましいほどであった。互いに笑い,歓楽尽きざるようであった。しかしみな,自分たちの職務を忘れるようなことはなかった。
食後はまた数人ずつが一団になって杯を傾けた。楽隊を士官室に招き,そこにテーブルを置いて演奏させた。多くの士官たちは互いに自ら楽器を取って懐かしい小ロシアの行進曲を演奏した。最初,私は少しも酒を飲まなかったが,後で一団となって集まったときには音楽を聴きながらシャンペンを飲み始め,けっこうたくさん飲んだ。私は杯を上げるたびに,あなたは私が酒を飲み始めたことに驚くだろうと思った。
一同が散ってしまった後にも,まだ多く踊っている士官がいた。私は本艦に帰るために6時にカッターに乗った。

郵便船エスペランスが来着したのだが,全艦隊への郵便物ははなはだ少なく,たった1袋に過ぎなかった。しかもただギンスプールグ商会を経て発送されたものだけであった。ギンスプールグを経て送られてきた新聞を見てロシアの出来事を知った。またこの新聞によって,戦死者および負傷者に対する政府の処置についても知った。このような不幸危難が続出するのはなぜなのかを言うことさえ心苦しい。私は艦隊の航海に加わったことをひどく後悔している。

2006/03/04 in  | posted by gen

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