バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月10日

いままでは静かである。昨夜は非常な暑さで私室内にいることができないほどであった。私は12時に就寝したが暑さのために眠ることができなかったので,服を着て士官室に行き,空いている長椅子に寝た。
日照りは非常に強い。スワロフの音楽長は日当たりが好きで炎天下に長く立っていた。いつも両手を艦の欄干にかけているので,手は太陽の過酷な熱に焼けて枕のように太く腫れている。
日本人はどうしているのだろう。なぜいままで襲撃してこないのか。日本人がこの附近に全艦隊を集結することはけっして徒労に終わるものにはならないはずだ。彼らは我が艦隊がスンダ海峡通過の際に我々の若干の艦船を襲撃して損害を加え,その後で艦隊を全滅するために大戦艦ですでに弱った我が艦隊を襲撃しようとしたのかもしれない。しかし我が艦隊がスンダ海峡を通らなかったので彼らの計画はまったく画餅に帰したのではないだろうか。あるいはまた日本人はいまごろ我が艦隊を待ち受けてサイゴン附近のどこかを巡航して我々を探しているのかもしれない。もちろん,これらはすべてひとつの想像に過ぎない。

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我が艦隊はカムランに到着して,ここで第三艦隊と,この春にスラワを先頭にしてロシアを出航した諸艦船とを待つとのことである。
もしこのようになれば,ノシベでもあったように我々はまたもカムランで安穏として期限もないままに碇泊していなければならないことになるかもしれない。
我が艦隊はカムラン湾に入らずに直接ウラジオに航行するだろうという噂がもっぱらで,人々は毎日このことだけを話し合っていた。いままた大いに信ずるに足る噂として,艦隊は直接最終の目的地である港湾に航行するとの話が出た。我々はすでに27日間大洋の上にいる。すでに食料も尽き,いまは塩漬けの材料を用いなければならない状態である。スワロフでの提督の食卓でさえもウォッカ,鮮肉,コーヒーなどは完全に欠乏した。
私はとくに肉類の欠乏を心細く感じた。人々がすることに倣って私も物品を保存しようかと思う。冬帽がどうしたかを見ただけで,他には手をつけなかった。私は怠惰だ。しかし何もかも防御区域の中に物をしまうことはしたくない。

我が艦隊はその全組織を挙げてすでにたいへんな航海をしているのに,いままた我が艦隊がカムランに寄航せずに直ちにウラジオに航行するとすれば,全世界の人々はこの偉大な航海と行為とに一驚を喫することであろう。もしこのような航行をすることができるとすれば,日本人は我が艦隊の航跡を見失って,どこにそれを探せばよいのかもわからなくなろう。
夜10時に無線電信の感応があった。これはあるいは日本の巡洋艦が我々を捜索して,互いに通信し合っているのかも知れない。我が艦隊はとにかくカムラン湾に入るだろうと思われる。石炭運送船はこの湾に18日ではなく14日に入るはずなので我々は通信できるようになるだろう。我が艦隊はカムラン湾に入るとしても,そこには長くは碇泊しないと思う。この手紙を適当なときまでに書き終えなければならない。私の考えでは,あなたはこの手紙を5月初旬に手にするだろう。そのころには艦隊と私の運命は決まっているはずだ。明日は通信差し立ての機会があるとのことであるが,このことは全艦隊に報じられないだけでなくスワロフにさえ報じられていない。

2006/04/10 in  | posted by gen

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