バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月13日

ついにカムラン湾に到着した。機関を停止しただけで碇泊した。カッターと駆逐艦は掃海と測量を行った。いま石炭の津込みがはじまる。早朝に着いたときには霧がかかっていたがそれもすぐに晴れて艦隊と海岸の間に汽船がいるのが見えた。その汽船は我が艦隊を見ると逃げ去ろうとして全速力を出した。ジェムチューグイズムルードスウェトラーナを遣わしてこの船を臨検した。3隻の艦は1隻の船を追って尋問し,あえて臨検せずに開放した。いままでに幾度となくこのように船を開放した。私はこれらの船の多くが日本に軍需品を輸送しているに違いないと確信している。それにもかかわらず,そのような汽船に対してあえて甲板の上の登って一望することもなく,ただ一応尋問するぐらいでこれを開放しているのである。

続きを読む "4月13日"

どんな馬鹿でも,私たちは日本に貨物を輸送しているものであるなどとは言わないだろう。汽船に対しては尋問の必要はなく,直ちにこれを臨検して,その後に開放すべきである。いまの汽船ももし何ら禁制品を搭載していなければなぜ逃げ去ろうとする必要があったのか。日本人なら決してこのようなことはしないだろう。ただ一通りの尋問をしただけで
汽船から離れるような愚は冒さないはずだ。万事を対照してみれば,実に慨嘆に耐えない。万事自然に我が掌中にあることまでも我々はみなこれを打っちゃってしまう。日本人やその友邦がいかに我がロシアを嘲笑するとも,その笑うほうが正しいのだ。

ここは暑いがウラジオは涼しいだろう。ウラジオに着いたら気候の急変のために健康を害しないようにしなければならない。たぶん多くの感冒症の病人が出るだろう。このカムランでもすぐに地方病である熱病に罹る者が出るに違いない。山の方からは涼しい風を送ってくる。
まもなく石炭船が来航してずいぶん長い間経過した郵便物を持ってくるはずだ。12月26日から1月3日までの郵便を手に入れることができると思っている。
我が海軍参謀本部と名づけられた高貴な官衙はいま郵便物をどこに送遣しようとしているのか。たぶん郵便類をみな差し止めておくのではないか。

我が艦隊は未だ港内には入ってはいない。その近くに停泊しているのである。私は衷心からまだあなたからの返電をアリョールが齎してくれるのではないかとの希望を持っている。最後の知らせを得たのはすでに1ヵ月半も前のことである。カムランでは食料品も需用品も何も得られない。郵便物も郵便物の差し立てさえもあるかどうかは疑わしくなった。カムランにはあまり長く滞留せずに石炭と需用品の積み込み次第に前進する予定である。
ここからウラジオまでは直径にすれば三千露里と少しである。もちろん我が艦隊の航路はこれよりはかなり長い。もし途中何事もなければ我々は15日間で航行することができると思われる。この間はとくに危ない。あるいは回り道の航路を選ばれるかもしれない。このときにはまた長く海上に漂蕩せざるを得ない。
夜11時に運送船と一部の駆逐艦とが湾内に入るのを見た。他の一部の駆逐艦と各戦艦とは探海灯を照らしてカムラン附近を巡航して外界にいた。
たぶん明日は湾内に入るだろう。カムランに碇泊して第三艦隊の来航を待てとの命令があった。もしあなたがこの艦隊においていかなることが行われるかを想像することができ,かつもし私が万事を露骨に記述することができれば,あなたを驚かすことができるだろう。もし幸いに生きて会えたら後に話すことにしよう。
否,我々はどこにおいて戦争をすることになるのであろう。私は万事に対して絶望せざるを得ない状態に達した。ただ私は運命すでに免れないと達観し,他に慰藉を求めない。
天気は荒れ模様である。かつ機関も蒸汽缶もみな破損し,とくに蒸汽缶ははなはだしく損傷した。昼夜30日間も錨を投じないというのは知恵あることではない。何事にも制限はあるものである。

2006/04/13 in  | posted by gen

EntryPrevious | Main | EntryNext


コメント



コメントしてください