バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月16日

カムランに提督座乗のフランス巡洋艦が1隻来航し,礼砲の交換をして彼我の提督は互いに訪問した。この巡洋艦は今日投錨したのである。
昨夜,私はカムチャツカの甲板の上の椅子に座ってまどろみ,朝7時に眼が醒めた。この数日間,私は食事をベズウブレーチヌイカムチャツカで摂った。どの艦も食べ物はスワロフよりもはるかに良かった。いままで食料品を確保するのがたいへん困難で,陸上ではことごとく買い尽くしてほとんどひとつも残っていない。鶏卵1個が28銭である。今朝,陸上で牛肉一斤が非常な高値をつけた。1頭の対価はいったいどれだけになるのだろう。

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カムラン湾の陸上の人口は,ヨーロッパ人はたった4人,マレー人は40人いるに過ぎない。まったくの荒野で家屋はわずか5,6戸あるのみである。湾の一方の陸岸には鉄道敷設の技師の居宅がある。ここには郵便電信局もあって通信技師は中国人であるが,その執務ののんびりさ加減は驚くばかりである。昨日12時から6時まで,この技師はたった二人の託信者から12通ほどの手紙と10通ほどの電報を受け付けただけである。そのため12人の人たちは手紙を差し立てることができずに空しく帰っていった。清国の官吏は概して執務が緩慢である。
カムランの陸岸に石垣がある。ヨーロッパ人の話によればそのうちには古代の伽藍があるとのことである。陸岸には種々の珍しい狩猟をすることができる。象,虎,猿を獲ることができるのである。
今日,ドンスコイで死亡した文官の葬儀があった。陸に埋葬した。
フェルケルザム提督は卒中に罹ったが,医師の話ではかなり軽症なので危険はないとのことである。
マラッカ海峡で水兵が吊床を持って投身したことを書いたはずだが,この水兵は汽船に助けられてサイゴンに連れて行かれてロシア領事に引き渡され,領事から艦隊に送還された。彼は舷側から偶然に墜落したと弁明した。
病院船アリョールがサイゴンに入港した際に,この船に助力しようとするギンスブルグ商会のカッターと汽船などがアリョールを迎えたとのこと。アリョールでは公衆の乗船を許さないとのことである。

昨日の新聞に,日本艦隊が我が艦隊を撃破し,アリョールは負傷者で充満しているので公衆の来訪が許されないが,負傷者が苦しむ声を聞いたという報道が出ていた。このような虚報はいたずらにロシア国内の不安の感情を引き起こすだけである。サイゴンには日本人がたいへん多い。一度この報道が伝わると,彼らは大いに憤慨し,終日家をでないような有様であった。
今日,私はあなたのために一筆をもとることができないことを恐れた。手紙を認めなかったのは今日が始めてである。12月21日に喜望峰で暴風に遭った時にもあなたのために少しは筆をとった。私はあなたからの電報を得て非常に満足した。あなたから電報を得たのは1ヵ月半前であった。また手紙はわずかに1月に差し立ての分だけである。

2006/04/16 in  | posted by gen

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