バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月17日

今日,信号を掲げて全艦隊の技師などを私のもとに招集した。彼らとの検討を終えてナヒーモフに出張した。この艦で朝食を摂り,ウオッカとビールなどを2杯ほど飲み,赤ブドウ酒も少し飲んだ。退出する便がなく,やむを得ず飲んだのである。
ナヒーモフでは艦内士官室の木造の隔離板壁をすべて撤去した。これは火災防御のためである。そのため現在はこの艦には士官室がなくなり,道具類もことごとく片付けられた。寝起きのための台類なども同様に処分した。寝るときには甲板の上に横たわるという有様である。このため艦内がまったく奇怪な感を起こさせる状態を呈するに至った。すなわち艦内はすべて戦闘準備を整え,至るところ鏈鎖で防御を施し,その他水雷防御の網,石炭,錨,水兵の吊床など手当たり次第にことごとく防御の用に供されたのである。いまや各艦は平素見慣れた外観がまったく一変してしまった。

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ナヒーモフからメテオルに行き,その後シソイにも出張した。汽艇やウェリボート(長艇)を使って巡航したのである。ベズウブレーチヌイには時間がなかったために行くことができなかった。この艦の工事の進捗はどうだろうか。明日は6時からどうしても10隻の艦船に出張しなければならない。どの艦に行っても,至るところで珍しいことはないかと聞かれるので,同じことを繰り返して言うようなこともある。しかも艦隊では種々の虚説が捏造されて伝えられている。実に驚くに耐えない。
陸上の品物はことごとく買い取られた。ここに象3頭を売ろうとして牽いてきた者がいた。要不要を問わず何物もみなことごとく買い取っているが,さすがに象を買うものはいなかった。
また次のような話を耳にした。艦隊はどこにおいても為替券を兌換するということはできないので,艦隊は現金の欠乏が告げられた,というのである。したがって金銭の支払いを受けない間は航海の必需品でさえも売り渡さないという。ここで支払う金銭は僅かなものであるが,故郷への送金はできない。
フランスの巡洋艦が帰還して湾内に入り,我々の諸艦と並んで碇泊した。
今日中に日本に米28万プードを輸送する汽船がここカムラン湾を通過するとの情報があった。我が提督は艦隊が中立港において巡洋艦の偵察任務の根拠地としたという非難を受けることを恐れ,この船を拿捕することはしないだろう。この船の船長は,あえて自ら投降することも辞せず,また追跡を受けた場合でも逃げ隠れをしないとの情報もある。
ウラジオまでの海路は約4500露里である。もしここから速やかに抜錨出航しなければ月のない暗夜に航海しなければならず,これはたいへん危険なことだ。

2006/04/17 in  | posted by gen

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