バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月21日

今日は終日どこにも出張しなかった。朝の間は何もせずにスワロフにいた。
フランスの小汽船がサイゴンから来泊したが,この船は何かを各船に運んできたのである。我が仮装巡洋艦は運送船を護送して行っての帰途にフランスの大汽船に出会った。この船には多くのロシア人が乗っており,これは捕虜から放還された者でロシア人の服装をしていた。彼らは帽子を振りながら我が巡洋艦に対して万歳を唱えた。
ここの気候は驚くほど平順である。すでに数旬にわたって夜7時から朝9時あるいは10時まで毎日風がなく,そのほかの時間内は風が吹き,錨地と湾内はかなり波が高かった。毎日がこのように順序正しく推移した。

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朝食の際にフランスの提督が来訪した。まったく不意の来訪で,その会見の間は朝食が中止された。この提督の来訪は,もしかしたら我々にこの湾を退去することを要求するためだったのではないか。実はまさにそのためであった。フランスは我々にカムラン湾を放棄することを強硬に要求した。それでもフランスは我が同盟国なのか。
我が艦隊は600露里の後方に退き第三艦隊を待つことになるとの噂もある。後方に退却して自分の最後の場所から遠ざかるというのはもっとも恥ずべきことである。もし第三艦隊を待つことが決定されたとすれば,なぜ第三艦隊を待たずにノシベを出航したのか。もし第三艦隊を待つことを欲しないのであれば諸方のカムラン同様の地に月日を空費することなくウラジオに進むべきではなかったのか。我々はただ日本人に最良の準備をする余裕を与えるだけだ。ついには第三艦隊を待たずに進まざるを得なくなることになるかもしれない。時日はむなしく浪費され,我が戦闘力は少しも加わることはない。それに反して日本の戦闘力はもっともよく集中され,その海軍活動の区域は狭くなり,したがってますます正確になろうとしている。
いまや第二・第三艦隊はいかに危険な位置にあるのか。どこにおいて,いかにしてこの両艦隊が合流しようとするのか。もしこの第三艦隊さえなければ我々はすでにウラジオにいるはずであった。
提督はどのような行動に出ようとしているのだろうか。どこに行こうとしているのだろうか。第三艦隊をどうしようというのか。予定通りであれば第三艦隊はやっとコロンボを通過するところである。ペテルブルグから第三艦隊にスンダ海峡を通過すべしとの命令があった。

2006/04/21 in  | posted by gen

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