バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月22日

フランス巡洋艦から1名の士官が来て我が提督に書面を伝えた。次いで我が艦隊は信号を掲げて明日正午に抜錨する旨を報じた。我々がウラジオに航行するかどうかはまだ不明である。明日は手紙を差し立てることができるだろうか。その望みは非常に少ない。とにかく差し立ての準備はしておこう。
正午に錨を上げて外洋に出た。運送船とテルマーズは湾内に残り,運送船はドイツの汽船から石炭を積んだ。艦隊に伴って出た運送船はタンボーフカムチャツカの2隻だけであった。我が艦隊は運送船がドイツ汽船からすべて石炭を積み込むまでカムラン湾附近に漂泊する。その後に運送船は我々と合流することになる。その後,我々がどこに向けて行くのかはわからない。もちろん我々は第三艦隊の来航を待って無期限に海上に漂蕩することはできない。しかし石炭――石炭をどうするのか。石炭問題は死活問題である。ロシアの石炭船2隻が拿捕された。1隻はシンガポールで,他の1隻はサイゴンで拿捕されたのである(サイゴンで拿捕されたのはフランス汽船である。あなたはこのことをどのように思われるか)。通信をタンボーフに託した。船は艦隊にその貨物を転載してサイゴンに赴く。もし日本人に拿捕されることがなければ手紙はロシアに到着するだろう。

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我が艦隊には28日(8月10日)の戦争のとき,すなわちウィトゲフトが戦死してわが海軍がばらばらに遁逃する恥辱を演じた日にツェザレウィッチに乗っていた仕官一人が乗り組んだ。この仕官の言うところによれば当時の艦員の士気はまったく喪失し,全員ははじめからただ旅順に帰航することを予想していた由。またこの日の戦争に日本人も大いに苦戦に陥ったことを勘案すれば,もしわが諸艦があと30分間でも健闘したならば敵艦を敗走させ得たかもしれないという。
この士官の詳細な話によれば,我々が勝利を得ることはけっして難しいことではない。絶望の雰囲気が全艦に満ちていることが何よりの禍である。ツェザレウィッチは少しも損害を受けなかった。我が海軍に多くの害毒を行ったのはウィーレンである。この幾多の恥辱の歴史は仮に今日暴露されなくとも戦後には明らかにされるであろう。そのときには,多くの兵の中にも官位を剥奪される者も多いと思われる。一切の事実に照らせば,もし勇敢にして有力な指揮官が存在したならば旅順艦隊は容易に日本艦隊を撃破しうるに相違ない。
施策を誤り戦闘力を軽視したことがはたしてどのぐらいあったか。この悪運の不注意と誤想とはこれを如何に説明すべきかを知らない。このために高い價い――はなはだ高い價いを払ったのである。
陸上においても妄愚を演じたことがどれだけあったか。壮丁の命をむなしく失わせてしまったことは幾たびあったか。このためにロシアが払った価は果たしてどれだけか。
天気は静穏である。諸艦は灯火を消しながらカムラン湾付近を非常にゆっくり航行している。私は例によって長い間ブリッジにいた。当地はまもなく梅雨の季節に入り,たびたび大風があるだろう。そのときには駆逐艦のような小艦はどのように操縦すべきか。

2006/04/22 in  | posted by gen

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