バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月27日

各駆逐艦では艦隊がカムランを出るとすぐに直接ウラジオに航行すべきであると信じていたために他の港湾に入ることを予期していなかった。カムラン湾において水兵が一人遁走した。このような荒廃した地方で彼はいったいどうするのだろうか。また,この湾でリオンの水兵があらかじめ救助帯を携えて海に飛び込んだが,無事に海中から引き揚げられてリオンに渡された。彼らはみな何事を思っているのであろうか。この地の河岸はいずれも断崖絶壁で風景は絶景である。
陸岸にひとつの村落があり,小船で中国人が来た。鶏,家鴨,バナナ,南瓜などを売っているが価格は高い。雉1羽1ルーブリ余りをとる。南瓜の小さいものでさえ1個50銭以上の価格からは引かない。石炭船で中国人が食事をしているのを見た。彼らは米飯を何かの副食物とともに食べていた。竹箸ではなはだ巧妙に食べた。辮髪を後頭から長く背に垂らしている多くの人を見るのは奇異の感がなくはない。

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フェリケルザム提督は今日までまだ回復しておらず,床に臥している。医師は軽症とのことであるが,卒中はけっして軽症とはいえない様子である。
私の私室には鼠がたいへん多い。昨日机に向かっていたときにも足の周りを駆け回っていたほど横行している。
諸艦からスワロフに郵便物と電報などを送ってきた。ロシアに差し立てるためである。みないずれも各船に返した。ジャンクで食品を売りに来た中国人は日本で作った3ルーブリの偽造銀貨を売ろうとした。
いまのんびりとスワロフにいる。何の仕事も予定されていない。
南方から日本のために貨物を運搬する若干の汽船が日本に赴くことを拒絶した。これらの船長の言によれば,乗組員はロシア艦船のいる海上に来ることを希望していないということである。艦長は乗組員に対して,少しも危険なことはないとの理由を述べて水夫たちを勧誘した。危険はただ汽船が拿捕されてこれを失うことだけであると言ったが,水夫たちは聞き入れなかったという。彼らを裁判に引き出したが,そこで航行を望まない原因が明らかにされた。水夫たちの弁明は次のようなものであった。ロシアの規則ではもし疑わしい汽船を見たら直ちに砲撃して誰をも救助しないということになっている。ロシア人はドイツ海においてすでにこのような行動を取った。我々はあえてこの冒険をすることを欲しない,というものである。ただし不幸にしてロシアはこのようなはっきりした行動を取らない。しかし例の北海事件ではとにかく大きな利益を得た。米国から日本に禁制品を自由に輸入する道もあるが,いまや確たる見込みのない限りは(南方から日本に)禁制品を輸送する商船は我が艦隊の所在地方には来ない。日本は長く石炭の欠乏を生じないように保障されているとの噂がある。ウラジオに輸送する多量の石炭は日本のために奪取された。近頃までウラジオにいた汽船エワの船長の言によれば,ウラジオでは食料品の欠乏を感ぜず,マッチは欠乏しているとのことである。これははなはだおかしな話である。もしかしたら船長が捏造した話ではないか。またこの船長はネボガトフ艦隊がすでにシンガポールを通過したとの電報を自身で読んだという。もしこれが真実であるとすれば,我々はまもなくこの艦隊と合流することができる。

2006/04/27 in  | posted by gen

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