バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月29日

今日は早朝から駆逐艦ボードルイに出張した。途中からこの艦の艦長の乗った端艇をスワロフから病院船アリョールまで曳いた。少しの間ボードルイにいて,すぐにオレーグに赴き,この艦に1時までいた。朝食をご馳走になったが,あいにく精進料理であった。
オレーグに見世物師の水兵がいて,彼は犬を飼育し数々の面白い芸をしていた。また,この艦には火の玉とあだ名された料理人の助手がいて燃えている麻屑を食べる。この艦には演奏家や俳優などがたくさんいる実に愉快な船で,将校たちは互いの親睦を深めながら生活しているように見える。
ネボガトフは26日にマラッカ海峡のピーナン付近にいることを知らせた通信員の情報によれば,日本艦隊は4月20日に馬山浦にいたとのことである。

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旗艦の航海長ならびに艦長とともに少し小言を(洗濯のことに)言った。艦長が上着を着ずに司令塔にいるという実に妙な光景であったが,艦長はこの方がむしろよいと言う。仕官集会室は観葉植物で飾っている。陸上から種々の蔓草や木の枝を持ってきたが,残念ながら装飾は十分とはいえない。しかしとにかく鶏卵だけは赤く染めた絵工ではなかった。パン焼はクリーチ(クリーチとは復活祭の供え物にする円形のパンで,紅卵も同じく供え物および祝祭の食べ物である)を焼いた。牛乳製のパスハ(同じく乾酪の供え物)はもちろんない。提督の食卓のご馳走も同様である。
ここにいる中国の船はみな船首に白粉で何かの肖像を描いている。この絵は目をかたどったものであるが,小船の行く方向を示すために描いたものである。
サイゴンに赴いた我が運送船はオデッサまで航行するのに足るだけの石炭の数量を積み込むことが許された。各運送船ができるだけ全艙に石炭を積み込むのはもちろんである。ウィゴにおいては各艦にわずか400トンだけを積み込むことが許されたが,諸艦はみな800トン以上を積んだ。通信員の電報が公にされたのは出航以来今日がはじめてである。
イルツイシでは艦長も上席大尉も,また副艦長も非常な飲酒家で,ほとんど終日酔っ払って日々野蛮極まることを演じている。運送船は圧制と暗黒な状態で満ち,全員ことごとく不平を感じている。こうしたことはよくない。
21日という日(ロシア暦の8日)は我が艦隊の運命にとって大いに関係がある日のように思われる。戦争もこの日にあるのではないか。
諸艦に名詞を配布した鄭重な人がいた(復活祭の祝賀のために)。今日のような事情の場合にまでもこのようなことをしている。
11時45分から早課の祈りがはじまった(キリスト教の復活祭の祈りは夜の12時から行われる慣習である)が聖体拝領は行われなかった。人々はみな故郷の復活祭の光景を追想した。

2006/04/29 in  | posted by gen

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