バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月30日

キリスト復活!(復活祭のもっとも喜ばしい挨拶) 今日はいつもより遅く起きた。旗を揚げるのも遅かった。まだ私室から出ない。
我々は復活祭を迎えた。大祭の祈りの際には士官と乗員の半数は装弾した大砲の前にいて,そこから離れない。祈祷所の燈火が外に漏れないように周囲を厳密に囲ったので,非常に息苦しかった。祈祷はかなり厳かに行われた。みな白衣を着け,祈祷所の聖障(聖像を掲げている板壁)も白色に塗り,司祭の祭服も白色である。祈祷所はすべて熱帯地方の植物で豊かに装飾されている。みな緑樹緑葉で覆われ,花輪を天井から吊っている。祈祷所は数々の装飾を施されているために,ひどく低く見え,あたかも穴倉のようである。朝食の後に精進明けのご馳走が出た。食卓の上はずいぶん立派であった。
ロシアでは我が艦隊がまさかここホンコーヘ湾で復活祭を迎えたとは誰も思わないだろう。夜6時から艦内の生活は平常に戻され,食料品や石炭の積み込みを始め,またも艦内は不潔になった。つまりすべては従来どおりになったのである。過ぎた復活祭を振り返れば,それさえも不規則のうちに迎え,その準備も2日前に始めたに過ぎなかった。

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今日はボロジノオレーグに出張するかもしれない。昨日,ボロジノの積載水雷艇が警戒任務に出て,漁夫が乗った3隻の中国の船に遭った。水雷艇はこの中国の船を臨検したところ1人の中国人は疑わしくみえ,彼は日本人なのではないかと思われた。この者を水雷艇に連行したが隙を窺って海中に飛び込み,たちまち岸に泳ぎついて逃げてしまった。この中国船の中には書類があったが,これはただホンコーヘ湾で漁業を許可するものであった。この許可書は中国語で書かれていた。
私は体に熱帯地方の湿疹ができた。はなはだ不潔である。毎晩,私は食後にブリッジに行って休息を取った。今日もそこに行って艦長と話をした。艦長は軽装で便利だからと,上着も着ず,裸足でいた。
汽船エワはまもなくサイゴンに赴くとのことである。郵便を送ることができる。タンボーフに託した手紙はいまなおこの汽船の中にあるというのはまことに残念である。もしタンボーフがこの郵便物を自らウラジオまで持っていくようなことがあれば,何もいう必要はない。これはむしろ我がロシア風の順序である。人々はみな手紙はすでに久しい以前にサイゴンに送られたと信じているのではないか。
ネボガトフ艦隊はどうなっているのであろう。この艦隊のことはただ噂に過ぎない。この艦隊が来航すれば我々はすぐに我が目的地に向けて進航する。辛うじてウラジオに到着した後の生活は果たしてどのようなものになるのだろうか。

2006/04/30 in ポリトゥスキーの日記 | posted by gen

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