バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月30日

キリスト復活!(復活祭のもっとも喜ばしい挨拶) 今日はいつもより遅く起きた。旗を揚げるのも遅かった。まだ私室から出ない。
我々は復活祭を迎えた。大祭の祈りの際には士官と乗員の半数は装弾した大砲の前にいて,そこから離れない。祈祷所の燈火が外に漏れないように周囲を厳密に囲ったので,非常に息苦しかった。祈祷はかなり厳かに行われた。みな白衣を着け,祈祷所の聖障(聖像を掲げている板壁)も白色に塗り,司祭の祭服も白色である。祈祷所はすべて熱帯地方の植物で豊かに装飾されている。みな緑樹緑葉で覆われ,花輪を天井から吊っている。祈祷所は数々の装飾を施されているために,ひどく低く見え,あたかも穴倉のようである。朝食の後に精進明けのご馳走が出た。食卓の上はずいぶん立派であった。
ロシアでは我が艦隊がまさかここホンコーヘ湾で復活祭を迎えたとは誰も思わないだろう。夜6時から艦内の生活は平常に戻され,食料品や石炭の積み込みを始め,またも艦内は不潔になった。つまりすべては従来どおりになったのである。過ぎた復活祭を振り返れば,それさえも不規則のうちに迎え,その準備も2日前に始めたに過ぎなかった。

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今日はボロジノオレーグに出張するかもしれない。昨日,ボロジノの積載水雷艇が警戒任務に出て,漁夫が乗った3隻の中国の船に遭った。水雷艇はこの中国の船を臨検したところ1人の中国人は疑わしくみえ,彼は日本人なのではないかと思われた。この者を水雷艇に連行したが隙を窺って海中に飛び込み,たちまち岸に泳ぎついて逃げてしまった。この中国船の中には書類があったが,これはただホンコーヘ湾で漁業を許可するものであった。この許可書は中国語で書かれていた。
私は体に熱帯地方の湿疹ができた。はなはだ不潔である。毎晩,私は食後にブリッジに行って休息を取った。今日もそこに行って艦長と話をした。艦長は軽装で便利だからと,上着も着ず,裸足でいた。
汽船エワはまもなくサイゴンに赴くとのことである。郵便を送ることができる。タンボーフに託した手紙はいまなおこの汽船の中にあるというのはまことに残念である。もしタンボーフがこの郵便物を自らウラジオまで持っていくようなことがあれば,何もいう必要はない。これはむしろ我がロシア風の順序である。人々はみな手紙はすでに久しい以前にサイゴンに送られたと信じているのではないか。
ネボガトフ艦隊はどうなっているのであろう。この艦隊のことはただ噂に過ぎない。この艦隊が来航すれば我々はすぐに我が目的地に向けて進航する。辛うじてウラジオに到着した後の生活は果たしてどのようなものになるのだろうか。

2006/04/30 in ポリトゥスキーの日記 | Comment (0)

4月29日

今日は早朝から駆逐艦ボードルイに出張した。途中からこの艦の艦長の乗った端艇をスワロフから病院船アリョールまで曳いた。少しの間ボードルイにいて,すぐにオレーグに赴き,この艦に1時までいた。朝食をご馳走になったが,あいにく精進料理であった。
オレーグに見世物師の水兵がいて,彼は犬を飼育し数々の面白い芸をしていた。また,この艦には火の玉とあだ名された料理人の助手がいて燃えている麻屑を食べる。この艦には演奏家や俳優などがたくさんいる実に愉快な船で,将校たちは互いの親睦を深めながら生活しているように見える。
ネボガトフは26日にマラッカ海峡のピーナン付近にいることを知らせた通信員の情報によれば,日本艦隊は4月20日に馬山浦にいたとのことである。

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旗艦の航海長ならびに艦長とともに少し小言を(洗濯のことに)言った。艦長が上着を着ずに司令塔にいるという実に妙な光景であったが,艦長はこの方がむしろよいと言う。仕官集会室は観葉植物で飾っている。陸上から種々の蔓草や木の枝を持ってきたが,残念ながら装飾は十分とはいえない。しかしとにかく鶏卵だけは赤く染めた絵工ではなかった。パン焼はクリーチ(クリーチとは復活祭の供え物にする円形のパンで,紅卵も同じく供え物および祝祭の食べ物である)を焼いた。牛乳製のパスハ(同じく乾酪の供え物)はもちろんない。提督の食卓のご馳走も同様である。
ここにいる中国の船はみな船首に白粉で何かの肖像を描いている。この絵は目をかたどったものであるが,小船の行く方向を示すために描いたものである。
サイゴンに赴いた我が運送船はオデッサまで航行するのに足るだけの石炭の数量を積み込むことが許された。各運送船ができるだけ全艙に石炭を積み込むのはもちろんである。ウィゴにおいては各艦にわずか400トンだけを積み込むことが許されたが,諸艦はみな800トン以上を積んだ。通信員の電報が公にされたのは出航以来今日がはじめてである。
イルツイシでは艦長も上席大尉も,また副艦長も非常な飲酒家で,ほとんど終日酔っ払って日々野蛮極まることを演じている。運送船は圧制と暗黒な状態で満ち,全員ことごとく不平を感じている。こうしたことはよくない。
21日という日(ロシア暦の8日)は我が艦隊の運命にとって大いに関係がある日のように思われる。戦争もこの日にあるのではないか。
諸艦に名詞を配布した鄭重な人がいた(復活祭の祝賀のために)。今日のような事情の場合にまでもこのようなことをしている。
11時45分から早課の祈りがはじまった(キリスト教の復活祭の祈りは夜の12時から行われる慣習である)が聖体拝領は行われなかった。人々はみな故郷の復活祭の光景を追想した。

2006/04/29 in  | Comment (0)

4月28日

鼠は異常なほど我が物顔に走り回っている。今夜私は鼠に足を噛まれた。絶対に退治しなければならない。いまそれに取り掛かるところだ。
無線電信班では電信を感じ始めた。ただしその感度ははなはだ不定である。ある人々はこの電信の符丁を総合して,もしかすると(第三艦隊とともに来航する)ニコライが出しているのではないかと推測した。とにかくネボガトフ艦隊の来否を確かめるために外洋に巡洋艦が派遣されることになった。ネボガトフ艦隊とともに郵便物も来着するだろう。
ボロジノの無線電信班が電信の電流を受けたという報告をしてきた。またシソイの士官が来て,この戦闘艦でも非常に明確な電信を感受し,その電信はニコライスワロフに対してその所在を問う内容であったということであったが,確かにそれはニコライが発したものであろう。実際のことはまもなく明らかになるはずである。もしネボガトフ艦隊と会うことになれば,この艦隊の諸艦に臨検し,石炭を積み込んだ後にウラジオに向けて航行することになる。いまやスラワ,その他の諸艦の来航を待つことはできない。たぶんこれらの諸艦はいまだロシアを出航していないものと思う。

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艦隊の所在をわからせないようにするため,今日までここから郵便電信を発することが禁じられていた。
ニコライの電信のことが明らかになった。フランスの2隻の某汽船がたがいに無線電信で話していたらしい。それで,このことに関する噂は止んだ。
軍刀を持っていないのは非常に不便である。軍刀を帯びる必要があるときには他人のものを借用している(軍刀を海中に落として以来,今日はじめてその必要性を感じたが,これを用いる機会が少ないのはよいことである)。我々はすべてにおいて特別であり,すべてロシア式である。
ホンコーヘ湾に入って投錨した。湾の入り口には哨艦を配備したが,艦隊は湾内を偵察していない。今日,急に湾内から出航の動きを始めた汽船がいるのが見つかったのであるが何の汽船でどこから来たのか,また何をしようとするのか,非常に危惧の念を起こさせた。しかしこれはすでに4日前からここに停泊していたフランス汽船であることがわかって安心した。あなたはいかにこれらのことを面白く感じるだろうか。
ホンコーヘの湾内は非常に広く,湾内には多くの入り江がある。しかしあまり利便性のよい湾ではない。日本の水雷艇はあらかじめ隠れていて我々の予想しない方向から我が艦隊を夜間に襲撃するということもあり得るのではないだろうか。
日本人はもとよりそういうことができないわけではない。もし我々があらかじめ湾内を偵察していなかったことと我々がここに入ることを知っていたなら,日本人はは襲撃してきたに違いない。しかし我々にはたびたび幸運なことがある。「猿」と「放漫主義」の戦争だというのは真実である。
コステンコの病気見舞いのために病院船アリョールに行かねばならない。私はこの汽船をあまり好きではない。航海中に私はたった一度この汽船を訪れただけであるが,それもやむを得ない用事のためであった。この汽船に対してこのような感じを持っているのは私一人ではなく,多くの人たちがこの船に対して一種の悪感情を抱いている。
汽船エワはまもなくサイゴンに赴く。この船に通信を託すことが許可された。
今日の室内は涼しい。わずかに摂氏25度で,楽に座って執務ができた。私の考えでは,ネボガトフはホンコーヘに5月2日から6日に来るものと思う。もし6日に来るものとすれば,ネボガトフ艦隊がウラジオに出発する前にその破損を修理するために若干の日にちを必要とするから,少なくとも5月下旬にならなければウラジオに到着することはできない。これもうまくいった場合である。

2006/04/28 in  | Comment (0)

4月27日

各駆逐艦では艦隊がカムランを出るとすぐに直接ウラジオに航行すべきであると信じていたために他の港湾に入ることを予期していなかった。カムラン湾において水兵が一人遁走した。このような荒廃した地方で彼はいったいどうするのだろうか。また,この湾でリオンの水兵があらかじめ救助帯を携えて海に飛び込んだが,無事に海中から引き揚げられてリオンに渡された。彼らはみな何事を思っているのであろうか。この地の河岸はいずれも断崖絶壁で風景は絶景である。
陸岸にひとつの村落があり,小船で中国人が来た。鶏,家鴨,バナナ,南瓜などを売っているが価格は高い。雉1羽1ルーブリ余りをとる。南瓜の小さいものでさえ1個50銭以上の価格からは引かない。石炭船で中国人が食事をしているのを見た。彼らは米飯を何かの副食物とともに食べていた。竹箸ではなはだ巧妙に食べた。辮髪を後頭から長く背に垂らしている多くの人を見るのは奇異の感がなくはない。

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フェリケルザム提督は今日までまだ回復しておらず,床に臥している。医師は軽症とのことであるが,卒中はけっして軽症とはいえない様子である。
私の私室には鼠がたいへん多い。昨日机に向かっていたときにも足の周りを駆け回っていたほど横行している。
諸艦からスワロフに郵便物と電報などを送ってきた。ロシアに差し立てるためである。みないずれも各船に返した。ジャンクで食品を売りに来た中国人は日本で作った3ルーブリの偽造銀貨を売ろうとした。
いまのんびりとスワロフにいる。何の仕事も予定されていない。
南方から日本のために貨物を運搬する若干の汽船が日本に赴くことを拒絶した。これらの船長の言によれば,乗組員はロシア艦船のいる海上に来ることを希望していないということである。艦長は乗組員に対して,少しも危険なことはないとの理由を述べて水夫たちを勧誘した。危険はただ汽船が拿捕されてこれを失うことだけであると言ったが,水夫たちは聞き入れなかったという。彼らを裁判に引き出したが,そこで航行を望まない原因が明らかにされた。水夫たちの弁明は次のようなものであった。ロシアの規則ではもし疑わしい汽船を見たら直ちに砲撃して誰をも救助しないということになっている。ロシア人はドイツ海においてすでにこのような行動を取った。我々はあえてこの冒険をすることを欲しない,というものである。ただし不幸にしてロシアはこのようなはっきりした行動を取らない。しかし例の北海事件ではとにかく大きな利益を得た。米国から日本に禁制品を自由に輸入する道もあるが,いまや確たる見込みのない限りは(南方から日本に)禁制品を輸送する商船は我が艦隊の所在地方には来ない。日本は長く石炭の欠乏を生じないように保障されているとの噂がある。ウラジオに輸送する多量の石炭は日本のために奪取された。近頃までウラジオにいた汽船エワの船長の言によれば,ウラジオでは食料品の欠乏を感ぜず,マッチは欠乏しているとのことである。これははなはだおかしな話である。もしかしたら船長が捏造した話ではないか。またこの船長はネボガトフ艦隊がすでにシンガポールを通過したとの電報を自身で読んだという。もしこれが真実であるとすれば,我々はまもなくこの艦隊と合流することができる。

2006/04/27 in  | Comment (0)

4月26日

ホンコーヘに入る。10時ごろに信号兵が震え声で報告するには,北方から我が艦隊に向かって航行してくる軍艦があり,その軍艦にはロシアの国旗を掲げ,かつ多くの信号を掲げているという。さまざまな想像がなされたが,すぐに事実が明らかになった。それはフランスの巡洋艦デカルトが来航して,我が艦隊に信号を送ってきたのである。この艦がロシアの国旗を掲げたのは,我々に対して信号を送るということを我々に知らせるためであった。
病院船1隻がバタビアに來泊したとの情報があった。この情報にはネボガトフの艦隊とともに来るカストローマにいて云々した。バタビアはスンダ海峡付近の島嶼である。この電報は何を意味するものなのだろうか。もしかしたらカストローマだけがスンダ海峡を通過し,その他の諸艦はマラッカ海峡を通過することを意味するのではないか。あるいはまた,この電報はカストローマに引き続いて全艦隊もバタビアに来航することを意味するのではないだろうか。もし第三艦隊がマラッカ海峡を通過するとすれば,我が艦隊に合流するのは遠くない。

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これからホンコーヘの錨地に赴く。艦船の一部はすでに湾内に入り始めた。フランスの提督は我々に対して明らかな同情を表した。この提督の勧めがあれば我々はどこでも停泊することができる。この提督は多くのことに対して見て見ぬ振りをしてくれる。しかしフランス政府の態度は万事についてこれとは異なってものである。もし提督が我々に対してこのような同情を示してくれなければ,我々はどんな困難に陥るかもしれなかった。その一例を示すと,フランスの提督は我が艦隊がカムラン湾を出てどこに行くのかを知っていたが,かれは知らないように装った。このように,ときにすべてのことが一個人の如何に関することもなくはないのである。
いよいよウラジオに接近する。我々はいままで約2万8500露里を航行してきた。残るところは4200露里であり,全航程の八分の七はまず無事に乗り越えたことになる。
諸艦はすべて投錨した。スワロフはドイツ汽船から石炭を積み込んだ。このドイツ汽船の乗員の一部は中国人である。その中には日本人もいるようだ。カムラン湾に食料品を運送してきた汽船タグマーの乗員の中に2人の日本人を認めたことをあなたに書いたかどうかは忘れた。日本の艇卒任務の組織は果たしてどうなのだろう。どこを見ても至るところに日本の間諜を見るではないか。
まもなくネボガトフ艦隊に合流する。我々は万事倦厭に絶えず。ネボガトフ艦隊と合体すれば他国の港湾に漂泊すべき何らの理由もない。ウラジオ付近の結氷はすでに解けたとの情報もある。したがってもし日本に対してこの機に乗じて妨害を与えなければ日本人はウラジオに対して海軍の行動を開始するだろう。
もしウラジオが陸上から遮断されているのであれば,日本に対して阻害を与えなければならない。そうでなければウラジオは第二の旅順になるのを免れない。
復活祭はもうすぐである。この船中には何ら祝祭の支度を確認することはできない。やはりいつものように飲食して生活しているに過ぎず,何らの用意もなく至るところみな塵芥と石炭だけである。話題も興味も,少しも祝祭の様子はない。

2006/04/26 in  | Comment (0)

4月25日

時としてすべての人々が一度にだまされることがある。昨日,スワロフの人々は我が艦とアレキサンドル第三世との間を1隻の汽艇が通過するのを見つけた。アレキサンドルからもこの汽艇を認めた。すぐに探海灯を照らして,その光を疑わしい方向に向けたが,ただ白い波と泡沫を見ただけであった。多くの人々は,これは探海灯が照らしたときに海中に潜った潜水艇ではないかと想像した。この想像説を確かめるのに,また次のような話があった。イズムールドは潜水艇のビルスコップ(潜水艇の潜望鏡で艇体から水中に出ており,潜水した際に前方にあるものを見るところ)に似たものを認めたとのことであった。
我々は2日後にはカムランを離れてどこかほかの湾に赴くという話がもっぱらである。このためには運送船にある石炭や食料品を積み込まなければならない。ダンボーフは我々が一緒に伴っていくことになるので郵便物はサイゴンには持っていかれない。

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我々の艦隊のかなたに行動している軍艦を見つけた。これは日本の艦隊ではないかと危ぶまれたので,これを調べるためにオレーグを差し向けたが警戒は無用であった。たぶんこれはフランス巡洋艦のデカルトである。なお他に我が艦隊に向けて間近に航行してくる汽船があった。我が艦隊が他の湾に入るということが決定された。私はその湾の名称を覚えていない。その湾はカムランから北方1露里にあり,この湾に入るのは明日ではなく明後日になる。まずこれから運送船を処分しなければならない。
我々はホンコーヘに入る。単に私の想像に過ぎないが,この湾はたぶん荒れた未開の地であると思われる。
退屈極まりなく,はやく家に帰りたい。果たしてそれはいつになるのだろうか。

2006/04/25 in  | Comment (0)

4月24日

我が艦隊の近くにしばしば多くの商船が出没するようになり,我が巡洋艦と駆逐艦とはこれらの汽船を臨検した。
フランスの汽船が我が艦隊に非常に接近して来た。この船に乗っていたフランス人は我が提督に何事かを自ら提供したいという希望を表明した。後に,彼はただ第三艦隊がコロンボを通過した日にちを報告し,かつ満洲には何も新しい事件はないということを述べたに過ぎないということがわかった。

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我が諸艦は同盟者であるフランス人のために放逐されたカムラン湾付近をゆっくり往復して漂蕩している。
運送船は湾内にあって荷を積んでいる。外洋には波浪のうねりがあって,戦闘艦は軽く揺れている。一様に平凡かつ退屈な時間はいかにも長く感じられる。往くでもなく止まるでもなく,こんな感じで第三艦隊が来航するまで漂蕩しようとしているのである。いままでは幸いに無事であったがこれから時化になるだろう。最初私は風雨計や風に少しも注意しなかったが,いまこれらのことに興味を感ずるようになった。夜間には艦隊の燈火を減じたが,これはむしろ馬鹿げたことである。あるいは明かり窓を閉じ,あるいは士官室を真っ暗にせざるを得ない。もし明かり窓を閉じれば室内の暑さは耐えられない。

ウラジオとこことの隔たりは12日から15日の航程である。ウラジオは涼しくここは暑い。したがって感冒の病気が多くなるだろうし,言うまでもなく我が乗員の被服の不十分から衣服は切れ破れ,靴などはまったくなくなってしまうだろう。
フランス人は何らの新しい話を伝えず,われわれは新聞を得たが,その新聞によればフランスではカムラン湾のことについて多くの議論があった。フランスは日本を恐れている。ネボガトフ艦隊(第三)がコロンボ付近を通過したとの通信はまだ疑わしい。この艦隊の航路は違うからである。

2006/04/24 in  | Comment (0)

4月23日

朝食後にダンボーフに出張する。この艦はまもなくサイゴンに赴くことになっている。ここでこの手紙を差し立てるつもりである。
昨日,オスラービアでまたも水兵の葬式があった。
ダンボーフには旗手将校も来る。しかし彼らはほとんど病気のために臥している。参謀官などは何かの毒に当てられて,みなほとんど病人になってしまった。私が幸いにして壮健でいられるのは感謝に耐えない。

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今日は奉神礼があった。「枝の主日である」(役者注:枝の主日とはキリスト教の復活祭の1週間前の日曜日で,信者はこの日のミサには棕櫚の葉を持って集う)。いままでどのぐらいの月日が経過したのだろうか。諸艦は夜中外洋に漂泊した。
夜は無事に明けた。イズムルードは朝に自艦のスクリューに鎖が絡まったため,潜水夫を潜らせて動かした。
ノルウェーの国旗を掲げた汽船が艦隊のそばを通過した。これを臨検したが微塵も疑わしいところは認められなかった。この船は日本の方から来航したものであるが,日本には寄港しなかったとのことである。
今日臨検を行ったノルウェーの汽船は最近の新聞を譲ってくれた。すべて英国で刊行された新聞であった。英国の印刷物はすべてにおいて寡黙を守っていることは驚くほどである。しかも英国人は日本を自国の同盟国として,日本の海軍のことに関しては一言も言及しない。しかし我が艦隊のことに関してはおよそ通信が可能なかぎりは何事についてもこれを掲載している。
このようなことをするのはひとり英国の新聞だけではなく,各国の新聞もみな同様である。日本のことに関していやしくも確実なことでなければ彼ら諸外国の新聞は努めてこれを隠蔽し,日本ではいままでに如何なる艦船を失ったかは誰も正確に知る者はない。それは艦船のみではなく,今日に至るまで誰も日本がどのような軍隊を出し得るのかを知っている者もいない。日本は約30万の軍隊を出し得るだろうと思われたが,いまや日本はすでに約100万の兵を出している。外国(英仏)の新聞は開戦以来の我がロシア軍の損害を計算して,約40万としている。ほんとうにそうだとすればリネウィッチの手中に残存するのは果たしてどの程度か。まったく少なくなって高々数万に過ぎないのではないか。今回の戦争のような恥ずかしいことは他にこれを想像することができるだろうか。この戦争はこうして不名誉な終局を迎えるのではないだろうか。

2006/04/23 in  | Comment (0)

4月22日

フランス巡洋艦から1名の士官が来て我が提督に書面を伝えた。次いで我が艦隊は信号を掲げて明日正午に抜錨する旨を報じた。我々がウラジオに航行するかどうかはまだ不明である。明日は手紙を差し立てることができるだろうか。その望みは非常に少ない。とにかく差し立ての準備はしておこう。
正午に錨を上げて外洋に出た。運送船とテルマーズは湾内に残り,運送船はドイツの汽船から石炭を積んだ。艦隊に伴って出た運送船はタンボーフカムチャツカの2隻だけであった。我が艦隊は運送船がドイツ汽船からすべて石炭を積み込むまでカムラン湾附近に漂泊する。その後に運送船は我々と合流することになる。その後,我々がどこに向けて行くのかはわからない。もちろん我々は第三艦隊の来航を待って無期限に海上に漂蕩することはできない。しかし石炭――石炭をどうするのか。石炭問題は死活問題である。ロシアの石炭船2隻が拿捕された。1隻はシンガポールで,他の1隻はサイゴンで拿捕されたのである(サイゴンで拿捕されたのはフランス汽船である。あなたはこのことをどのように思われるか)。通信をタンボーフに託した。船は艦隊にその貨物を転載してサイゴンに赴く。もし日本人に拿捕されることがなければ手紙はロシアに到着するだろう。

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我が艦隊には28日(8月10日)の戦争のとき,すなわちウィトゲフトが戦死してわが海軍がばらばらに遁逃する恥辱を演じた日にツェザレウィッチに乗っていた仕官一人が乗り組んだ。この仕官の言うところによれば当時の艦員の士気はまったく喪失し,全員ははじめからただ旅順に帰航することを予想していた由。またこの日の戦争に日本人も大いに苦戦に陥ったことを勘案すれば,もしわが諸艦があと30分間でも健闘したならば敵艦を敗走させ得たかもしれないという。
この士官の詳細な話によれば,我々が勝利を得ることはけっして難しいことではない。絶望の雰囲気が全艦に満ちていることが何よりの禍である。ツェザレウィッチは少しも損害を受けなかった。我が海軍に多くの害毒を行ったのはウィーレンである。この幾多の恥辱の歴史は仮に今日暴露されなくとも戦後には明らかにされるであろう。そのときには,多くの兵の中にも官位を剥奪される者も多いと思われる。一切の事実に照らせば,もし勇敢にして有力な指揮官が存在したならば旅順艦隊は容易に日本艦隊を撃破しうるに相違ない。
施策を誤り戦闘力を軽視したことがはたしてどのぐらいあったか。この悪運の不注意と誤想とはこれを如何に説明すべきかを知らない。このために高い價い――はなはだ高い價いを払ったのである。
陸上においても妄愚を演じたことがどれだけあったか。壮丁の命をむなしく失わせてしまったことは幾たびあったか。このためにロシアが払った価は果たしてどれだけか。
天気は静穏である。諸艦は灯火を消しながらカムラン湾付近を非常にゆっくり航行している。私は例によって長い間ブリッジにいた。当地はまもなく梅雨の季節に入り,たびたび大風があるだろう。そのときには駆逐艦のような小艦はどのように操縦すべきか。

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4月21日

今日は終日どこにも出張しなかった。朝の間は何もせずにスワロフにいた。
フランスの小汽船がサイゴンから来泊したが,この船は何かを各船に運んできたのである。我が仮装巡洋艦は運送船を護送して行っての帰途にフランスの大汽船に出会った。この船には多くのロシア人が乗っており,これは捕虜から放還された者でロシア人の服装をしていた。彼らは帽子を振りながら我が巡洋艦に対して万歳を唱えた。
ここの気候は驚くほど平順である。すでに数旬にわたって夜7時から朝9時あるいは10時まで毎日風がなく,そのほかの時間内は風が吹き,錨地と湾内はかなり波が高かった。毎日がこのように順序正しく推移した。

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朝食の際にフランスの提督が来訪した。まったく不意の来訪で,その会見の間は朝食が中止された。この提督の来訪は,もしかしたら我々にこの湾を退去することを要求するためだったのではないか。実はまさにそのためであった。フランスは我々にカムラン湾を放棄することを強硬に要求した。それでもフランスは我が同盟国なのか。
我が艦隊は600露里の後方に退き第三艦隊を待つことになるとの噂もある。後方に退却して自分の最後の場所から遠ざかるというのはもっとも恥ずべきことである。もし第三艦隊を待つことが決定されたとすれば,なぜ第三艦隊を待たずにノシベを出航したのか。もし第三艦隊を待つことを欲しないのであれば諸方のカムラン同様の地に月日を空費することなくウラジオに進むべきではなかったのか。我々はただ日本人に最良の準備をする余裕を与えるだけだ。ついには第三艦隊を待たずに進まざるを得なくなることになるかもしれない。時日はむなしく浪費され,我が戦闘力は少しも加わることはない。それに反して日本の戦闘力はもっともよく集中され,その海軍活動の区域は狭くなり,したがってますます正確になろうとしている。
いまや第二・第三艦隊はいかに危険な位置にあるのか。どこにおいて,いかにしてこの両艦隊が合流しようとするのか。もしこの第三艦隊さえなければ我々はすでにウラジオにいるはずであった。
提督はどのような行動に出ようとしているのだろうか。どこに行こうとしているのだろうか。第三艦隊をどうしようというのか。予定通りであれば第三艦隊はやっとコロンボを通過するところである。ペテルブルグから第三艦隊にスンダ海峡を通過すべしとの命令があった。

2006/04/21 in  | Comment (0)

4月20日

終日仕事をした。今日は一日駆逐艦で日を送ったようなものである。一日の苦労も終えたと思っていたところでブイヌイに行かねばならないことになったのは,すでにまったく日が暮れた後であった。
今日はアリョールの水兵が士官に対して乱暴した事件の審問があった。もし真面目にこの水兵の行動を見れば死刑を免れない。
サイゴンに我が運送船を護送したクバンテレックウラルなどが帰航した。まだ若干の運送船をサイゴンに送遣する準備をした。

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旅順開城の状況が明白になるにしたがって,フランスの新聞はますますロシア人に対して軽蔑の言葉を発するようになった。彼らフランス人はロシア人を称して(臆病者)だという。今度の戦争の全局の上にただわずかに光栄ある1ページ――旅順の防戦があったが,いまではこれさえも泥を塗られた。
フランスの巡洋艦はカムラン湾に碇泊している。我が艦隊がカムランを抜錨するまではここにとどまるのだろう。フランス巡洋艦がいるのは日本艦隊の襲撃に対して我が艦隊を保護するためとのことである。
そう,実に悪運の戦争である。我々は外国人に対して実に面目ない。敗衂に敗衂を重ね,侮辱と軽蔑のほかに何の得るところもない。我が艦隊にはその妻をウラジオに移住させようという仕度をしている将校がたくさんいる。ウラジオは如何に近くなったか。我々は非常な大航海をし,いまはわずかにその一部を残すだけとなった。この残りの航海は速やかに行うことができるのだろうか。いま我が艦隊は第三艦隊の来航を待っている。日本艦隊は我々を攻撃する準備をしている。日本艦隊の動静に関しては我々は風聞としてさえ得られていない。我々は,いま日本艦隊はどこにいるのか,その所在さえも掴んでいないのだ。しかし日本艦隊の方ではかならず我が艦隊の一挙一動を詳細に知っているに違いない。ああ万事が汚辱醜穢のみである。我々が全戦闘力を利用することができないことが明らかにされた暁には,その恥辱は如何ばかりであろう。

2006/04/20 in  | Comment (0)

4月19日

錨を抜いて外洋に出た。戦闘艦のすべてとアウローラが出航した。その他の諸艦は湾内にとどまった。私はロシア煙草の最後の1本を吸った。我が運送船の一部はサイゴンに赴き,ふたたび帰航していない。このことについて,どんな情報が世間に伝えられるだろう。ロイター通信によれば次のような報道を伝えた(これにしてもロイターはまだ信ずべき情報を伝える方である)。それによれば,戦争があって日本艦隊は我が駆逐艦ブイヌイブレスチャースチイ,および2隻の巡洋艦アウローラドンスコイなどを撃沈したという。これらの艦の近くを航行しながら,このような電報を読むのはいかにおもしろいことか。

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まだ料理人を連れてきていないが,食卓の内容は少し良くなった。サイゴンから来る汽船から多くの食料品を得たのである。その中には「炭酸水」と銘打った日本の鉱泉もあった。
この鉱泉はもっとも多く我が艦隊に供せられた。私もこれを飲んでみたが,特別の鉱泉ではなかった。
食料品は汽船から分配された。あたかも飢えた狼が食を得たときのような,実に見るに耐えないような始末であった。アリョールの水兵たちは何かを入れてある箱を破り,これを挽き割った。一人の水兵は何のためか鉄拳を振り上げて軍医を殴ろうとしたが,その軍医は難を逃れた。二人の士官は一人の水兵と掴み合いになって,水兵を気絶させてしまった。水兵の頭はさんざんに叩かれた。何たる醜態か。フランス人はみなこれらのことを目撃していた。彼らはロシア人のことをどのようにみるだろうか。
食料品を積んだ汽船のほかにも1隻が來泊した。ギンスグルグ所有の汽船である。この船は1ヶ月半前にウラジオにいたという。船名はエワという。

昨日,フランス巡洋艦の将校たちが我が諸艦を訪問してきた。我々は2時に湾内に帰航して直ちに食事をした。記録の草稿を終えた。これは2回目の記録である。なおこの上に記録を作るべきか。この2部の記録に書いたことは何か。みなこれは破損・挫折等の歴史ではないか。
日本の艦隊については風聞でさえ耳にすることができない。日本艦隊は戦わずに我が第三艦隊をここに来させるのであろうか。ゴルチアコフユヒテルキエフキタイなどの諸船はすでにサイゴンに来たとのことである。これらの汽船は我が艦隊に石炭を搬送してきたのである。石炭はサイゴンにもある。この石炭はロシアのものであるが,フランス人はサイゴンの石炭を我々が積み込むことを許すだろうか。
明日はまたも船で出張しなければならない用事があり,多くの艦船に行かねばならない。
今日,スワロフの水兵一人が水雷艇のスクリューの下に墜落し,スクリューで強く打たれたが,骨折まではしなかったとのことである。

2006/04/19 in  | Comment (0)

4月18日

カムラン湾内の戦闘艦スワロフにいる。今日は朝から終日,船から船と各艦に巡航したが,私はとくに疲労は感じなかった。どの艦に行っても,攀じ登っては視察し,また争論をした。今日巡訪した艦船はべズウブレーチヌイカムチャツカオレーグアウローラナワリンアリョールボロジノオスラービアアレキサンドルなどの艦である。
オレーグにエンクイスト提督が移乗することになり,その艦員は憤激したという。
アウローラの士官は猟に行ったがわずかに鳩を一羽を獲ったに過ぎなかった。

2006/04/18 in  | Comment (0)

4月17日

今日,信号を掲げて全艦隊の技師などを私のもとに招集した。彼らとの検討を終えてナヒーモフに出張した。この艦で朝食を摂り,ウオッカとビールなどを2杯ほど飲み,赤ブドウ酒も少し飲んだ。退出する便がなく,やむを得ず飲んだのである。
ナヒーモフでは艦内士官室の木造の隔離板壁をすべて撤去した。これは火災防御のためである。そのため現在はこの艦には士官室がなくなり,道具類もことごとく片付けられた。寝起きのための台類なども同様に処分した。寝るときには甲板の上に横たわるという有様である。このため艦内がまったく奇怪な感を起こさせる状態を呈するに至った。すなわち艦内はすべて戦闘準備を整え,至るところ鏈鎖で防御を施し,その他水雷防御の網,石炭,錨,水兵の吊床など手当たり次第にことごとく防御の用に供されたのである。いまや各艦は平素見慣れた外観がまったく一変してしまった。

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ナヒーモフからメテオルに行き,その後シソイにも出張した。汽艇やウェリボート(長艇)を使って巡航したのである。ベズウブレーチヌイには時間がなかったために行くことができなかった。この艦の工事の進捗はどうだろうか。明日は6時からどうしても10隻の艦船に出張しなければならない。どの艦に行っても,至るところで珍しいことはないかと聞かれるので,同じことを繰り返して言うようなこともある。しかも艦隊では種々の虚説が捏造されて伝えられている。実に驚くに耐えない。
陸上の品物はことごとく買い取られた。ここに象3頭を売ろうとして牽いてきた者がいた。要不要を問わず何物もみなことごとく買い取っているが,さすがに象を買うものはいなかった。
また次のような話を耳にした。艦隊はどこにおいても為替券を兌換するということはできないので,艦隊は現金の欠乏が告げられた,というのである。したがって金銭の支払いを受けない間は航海の必需品でさえも売り渡さないという。ここで支払う金銭は僅かなものであるが,故郷への送金はできない。
フランスの巡洋艦が帰還して湾内に入り,我々の諸艦と並んで碇泊した。
今日中に日本に米28万プードを輸送する汽船がここカムラン湾を通過するとの情報があった。我が提督は艦隊が中立港において巡洋艦の偵察任務の根拠地としたという非難を受けることを恐れ,この船を拿捕することはしないだろう。この船の船長は,あえて自ら投降することも辞せず,また追跡を受けた場合でも逃げ隠れをしないとの情報もある。
ウラジオまでの海路は約4500露里である。もしここから速やかに抜錨出航しなければ月のない暗夜に航海しなければならず,これはたいへん危険なことだ。

2006/04/17 in  | Comment (0)

4月16日

カムランに提督座乗のフランス巡洋艦が1隻来航し,礼砲の交換をして彼我の提督は互いに訪問した。この巡洋艦は今日投錨したのである。
昨夜,私はカムチャツカの甲板の上の椅子に座ってまどろみ,朝7時に眼が醒めた。この数日間,私は食事をベズウブレーチヌイカムチャツカで摂った。どの艦も食べ物はスワロフよりもはるかに良かった。いままで食料品を確保するのがたいへん困難で,陸上ではことごとく買い尽くしてほとんどひとつも残っていない。鶏卵1個が28銭である。今朝,陸上で牛肉一斤が非常な高値をつけた。1頭の対価はいったいどれだけになるのだろう。

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カムラン湾の陸上の人口は,ヨーロッパ人はたった4人,マレー人は40人いるに過ぎない。まったくの荒野で家屋はわずか5,6戸あるのみである。湾の一方の陸岸には鉄道敷設の技師の居宅がある。ここには郵便電信局もあって通信技師は中国人であるが,その執務ののんびりさ加減は驚くばかりである。昨日12時から6時まで,この技師はたった二人の託信者から12通ほどの手紙と10通ほどの電報を受け付けただけである。そのため12人の人たちは手紙を差し立てることができずに空しく帰っていった。清国の官吏は概して執務が緩慢である。
カムランの陸岸に石垣がある。ヨーロッパ人の話によればそのうちには古代の伽藍があるとのことである。陸岸には種々の珍しい狩猟をすることができる。象,虎,猿を獲ることができるのである。
今日,ドンスコイで死亡した文官の葬儀があった。陸に埋葬した。
フェルケルザム提督は卒中に罹ったが,医師の話ではかなり軽症なので危険はないとのことである。
マラッカ海峡で水兵が吊床を持って投身したことを書いたはずだが,この水兵は汽船に助けられてサイゴンに連れて行かれてロシア領事に引き渡され,領事から艦隊に送還された。彼は舷側から偶然に墜落したと弁明した。
病院船アリョールがサイゴンに入港した際に,この船に助力しようとするギンスブルグ商会のカッターと汽船などがアリョールを迎えたとのこと。アリョールでは公衆の乗船を許さないとのことである。

昨日の新聞に,日本艦隊が我が艦隊を撃破し,アリョールは負傷者で充満しているので公衆の来訪が許されないが,負傷者が苦しむ声を聞いたという報道が出ていた。このような虚報はいたずらにロシア国内の不安の感情を引き起こすだけである。サイゴンには日本人がたいへん多い。一度この報道が伝わると,彼らは大いに憤慨し,終日家をでないような有様であった。
今日,私はあなたのために一筆をもとることができないことを恐れた。手紙を認めなかったのは今日が始めてである。12月21日に喜望峰で暴風に遭った時にもあなたのために少しは筆をとった。私はあなたからの電報を得て非常に満足した。あなたから電報を得たのは1ヵ月半前であった。また手紙はわずかに1月に差し立ての分だけである。

2006/04/16 in  | Comment (0)

4月15日

昨日,各艦の艦長および各提督が旗艦スワロフに招集された。何らかの会議があったようだ。
石炭船がジェゴツアレツから持ってきた郵便物はマダガスカルから発送されたものだけであった。ある艦船などはひとつも郵便物を受けず,また二,三通しか受けなかった船もある。実に落胆のほかはない。
病院船アリョールが新しい知らせを持ってくるのが近づいた。昨日,ベズウプレーチヌイに赴いたが,この艦の修理は大工事である。この修理は2週間で終わらせる予定ということだが,私はこれを昼夜兼行で行おうと思う。そうすれば大丈夫だろう。
運送船ゴルチアコフはノシベからロシアに帰還することが決定したので,多くの水兵がこの船に郵便物を託して手紙を差し立てた。しかし手紙の差出人はすでに故郷でその手紙を手にするのではないかと思ったが,そうとはならずゴルチアコフとこの艦に積んだ通信物は我々とともにここに来航した。手紙とともに多くは送金も託遂されたのであるが,その始末は実に憤慨に堪えないものであった。

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アリョールは病気に罹った士官をロシアに帰還させるためにサイゴンに上陸させた。
マラッカ海峡通過の際にアレキサンドルから一人の水兵がその吊床とともに行方不明になった。たぶん水兵は脱艦を図ってコロップをつけてある吊床を携えて舷側から投身し泳ぎ去ったものと思われる。
当地の現住者である安南人を見た。マレー人種の一種族で黄色人種であるが,かなり醜い人種である。彼らは数隻の小船でカムチャツカベズウプレーチヌイなどに泳いできて,さまざまなゴミ同然の品物を買ってほしいと言ってきた。タバコはたちまち買い取られた。そのタバコははなはだ高価であった。
病院船アリョールは私の電報の(あなたからの)返電を齎すだろうか。もしその返電を得られるならば,私の満足は如何ばかりであろう。
スワロフは石炭の積み込みをした。艦内は至るところ不潔乱雑極まっている。士官室(集会室)の一部や士官の私室までも石炭を散乱させられた。
夜11時,あなたからの返電を受けた。感謝に耐えない。

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4月14日

カムラン湾にいる。30時間も外洋にいて,いま湾内に入り始めたのである。
病院船アリョールはいまなお帰還せず,同じく石炭船も来航していない。彼らはもしかしたら日本人に拿捕されたのではないだろうか。昨日,戦艦は近くカムランに進んできた。漁船に乗っている多くの漁夫を見たが,なぜか一人も我が艦船には来ない。
今朝,我が戦闘艦の甲板上で飛び疲れた小鳥を捕まえた。金糸雀とのことであった。昨夜は非常に涼しく,寝巻きは汗で濡れることはなかった。こんなに涼しいことはしばらくぶりである。
我々はカムラン湾またはその附近で多くの時日を送るのが果たして効果があるのかどうかの問題を自然に心中に喚起せざるを得ない。日本が我が艦隊を攻撃するためにスンダ海峡に計画したことを,いまや別の場所に転移することになろう。日本人は万事を新たに施設準備する時間を持っている。日本人がスンダ海峡に計画したものが一度不成功に終わると,必ず我が艦隊を自国の沿岸で攻撃するもっとも便利な計画を速やかに準備するに違いない。
日本艦隊は沿岸において我々を攻撃すれば,破損艦船もすぐに修理することができるような多くの根拠地を持つことができるからである。このように考えれば,日本艦隊とは台湾を通過する前には遭遇しないものと思われる。もちろん,我が艦隊が長くカムラン湾に碇泊するようなことがあれば,事情はまたく違ってきて,日本艦隊はカムラン湾で我々を攻撃し,この湾を沈設水雷で封鎖することにならないとも限らない。そうなれば,カムラン湾は一変して厳然たる罠になる。日本人は実際我々より非常に狡猾だと思う。我々ロシア人ははなはだ淡白であり,物を言うにも馬鹿正直である。

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いま錨を投じた。石炭船が来るのが見える。カムラン湾の海岸は石礫で,一帯には緑草が繁茂し,あるいは灰色の岩石または砂原である。砂の色は普通の色のものもあれば純白の砂もあり,黄色いものもあって不思議な感じがする。
カッターで巡航せざるを得ないが,天気はあまりよくない。
夜間,2隻の駆逐艦が来航する汽船を偵察するために出て行ったが,プレスチャーシチーベズーブレーチヌイの舷側に衝突して破損させてしまった。海上でこの2隻のロシア駆逐艦が互いに押し合ったのである。そのため修理が必要になった。ベズーブレーチヌイは舵を破損し,さらにひとつの機関は動かなくなった。
昨日駆逐艦で湾内に赴いた士官は,カムランに郵便電信局があり,さらに食料品も豊富で,サイゴンに鉄道を敷設途中との報告をした。
昨日当地において7日前に第三艦隊がジプーチを出航したとの電報に接した。またボルネオ島附近で日露両艦隊の激戦があったという電報もあった。このような虚報はただロシアにとって不安の念を抱かせるだけである。2週間前に,このカムランに2隻の日本巡洋艦が来航したとのことであるが,サイゴンから2隻の駆逐艦が来て,その巡洋艦にこの湾を去るべきことを要求したという。そしてその巡洋艦も去っていった。我々もまた,ここを退去することを要求されるかもしれない。しかし我々はここに長く碇泊するように思われる。
カムラン湾の外部地形とその湾口などは旅順を髣髴とさせる。願わくは実際に旅順の轍を踏まないことを。
いま石炭船から郵便物を持ってきた。

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4月13日

ついにカムラン湾に到着した。機関を停止しただけで碇泊した。カッターと駆逐艦は掃海と測量を行った。いま石炭の津込みがはじまる。早朝に着いたときには霧がかかっていたがそれもすぐに晴れて艦隊と海岸の間に汽船がいるのが見えた。その汽船は我が艦隊を見ると逃げ去ろうとして全速力を出した。ジェムチューグイズムルードスウェトラーナを遣わしてこの船を臨検した。3隻の艦は1隻の船を追って尋問し,あえて臨検せずに開放した。いままでに幾度となくこのように船を開放した。私はこれらの船の多くが日本に軍需品を輸送しているに違いないと確信している。それにもかかわらず,そのような汽船に対してあえて甲板の上の登って一望することもなく,ただ一応尋問するぐらいでこれを開放しているのである。

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どんな馬鹿でも,私たちは日本に貨物を輸送しているものであるなどとは言わないだろう。汽船に対しては尋問の必要はなく,直ちにこれを臨検して,その後に開放すべきである。いまの汽船ももし何ら禁制品を搭載していなければなぜ逃げ去ろうとする必要があったのか。日本人なら決してこのようなことはしないだろう。ただ一通りの尋問をしただけで
汽船から離れるような愚は冒さないはずだ。万事を対照してみれば,実に慨嘆に耐えない。万事自然に我が掌中にあることまでも我々はみなこれを打っちゃってしまう。日本人やその友邦がいかに我がロシアを嘲笑するとも,その笑うほうが正しいのだ。

ここは暑いがウラジオは涼しいだろう。ウラジオに着いたら気候の急変のために健康を害しないようにしなければならない。たぶん多くの感冒症の病人が出るだろう。このカムランでもすぐに地方病である熱病に罹る者が出るに違いない。山の方からは涼しい風を送ってくる。
まもなく石炭船が来航してずいぶん長い間経過した郵便物を持ってくるはずだ。12月26日から1月3日までの郵便を手に入れることができると思っている。
我が海軍参謀本部と名づけられた高貴な官衙はいま郵便物をどこに送遣しようとしているのか。たぶん郵便類をみな差し止めておくのではないか。

我が艦隊は未だ港内には入ってはいない。その近くに停泊しているのである。私は衷心からまだあなたからの返電をアリョールが齎してくれるのではないかとの希望を持っている。最後の知らせを得たのはすでに1ヵ月半も前のことである。カムランでは食料品も需用品も何も得られない。郵便物も郵便物の差し立てさえもあるかどうかは疑わしくなった。カムランにはあまり長く滞留せずに石炭と需用品の積み込み次第に前進する予定である。
ここからウラジオまでは直径にすれば三千露里と少しである。もちろん我が艦隊の航路はこれよりはかなり長い。もし途中何事もなければ我々は15日間で航行することができると思われる。この間はとくに危ない。あるいは回り道の航路を選ばれるかもしれない。このときにはまた長く海上に漂蕩せざるを得ない。
夜11時に運送船と一部の駆逐艦とが湾内に入るのを見た。他の一部の駆逐艦と各戦艦とは探海灯を照らしてカムラン附近を巡航して外界にいた。
たぶん明日は湾内に入るだろう。カムランに碇泊して第三艦隊の来航を待てとの命令があった。もしあなたがこの艦隊においていかなることが行われるかを想像することができ,かつもし私が万事を露骨に記述することができれば,あなたを驚かすことができるだろう。もし幸いに生きて会えたら後に話すことにしよう。
否,我々はどこにおいて戦争をすることになるのであろう。私は万事に対して絶望せざるを得ない状態に達した。ただ私は運命すでに免れないと達観し,他に慰藉を求めない。
天気は荒れ模様である。かつ機関も蒸汽缶もみな破損し,とくに蒸汽缶ははなはだしく損傷した。昼夜30日間も錨を投じないというのは知恵あることではない。何事にも制限はあるものである。

2006/04/13 in  | Comment (0)

4月12日

今朝早くから石炭の積み込みを行ったので停船している。もし航行を続けるならば12時間でカムラン湾に到着することができる。しかし今日の状況ではカムラン湾には明日の到着となろう。
各艦船の互いの間には通信はない。
アレキサンドルに非常な侮辱事件があった。アレキサンドルの積み込み石炭は約900トンだということだったが,実際には350トンしかなかったことが判明したのである。
日本艦隊はどこにいるのだろう。もしかしたら我々はカムラン湾で日本艦隊に遭遇するのではあるまいか。
すべてのことが終局に向けて近づいている。巻きタバコもマッチも,そろそろ尽きようとしている。今日は石鹸の小さな塊を得た。石鹸は僅かしか残っていなかったのだ。石炭積み込みは終わり,艦隊は前進を始めた。

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私はスワロフから他の艦への出張はしていない。今日は何度か艦隊のそばを商船が通過するのに出会った。
明朝カムラン湾に到着の予定だ。ここに投錨するのは遅くなるだろう。我が艦船が通る水路をいちいちその深度を測定し,かつ掃海しながら航行していくからである。カムラン湾の測量は,海図の上に明示されている内容には信用できない部分もある。また日本人が水路に水雷を沈設しているかもしれないという危険もあるので掃海は行わざるを得ない。したがってこれらは無用な注意ではない。
カムラン湾は2箇所の湾口を持っている。一方の湾口にはこの湾口から日本軍艦が我が艦船への攻撃を防御するため臨時に防材が設けられることになっている。夜10時に見る。
今日はまた水兵の水葬が執行された。それがまたオスラービアの水兵だとは驚かされる。オスラービアには実に多くの死者が出ている。
カムラン湾の測量海図ははなはだ不正確であることを知った。某士官はこの湾内でどの船かに乗って座礁したことがあることを参謀部に報告した。船の座礁した場所の水路は広く表示されているが,実際にはそんなに広くはない。明日までに測量と掃海を終わる予定だ。
艦船は時間を無駄に消費しないために石炭の積み込みをする。艦隊のそばに様々な鳥が飛んでいる。スワロフの近くに翼が疲れた青鷺と斑鳩が落ちた。青鷺は海に沈んだが斑鳩は石炭の積み込みのカッターに拾い上げられた。

いまは月光が海上を照らしているが,1時間半後には月が落ちて暗夜になる。もし日本人が夜襲のためにこの機会を利用しなければ,我々は朝にはカムラン附近に到着することができる。

水雷夜襲の虞があるにもかかわらず,私はふだんのように少しも変わりなく,かつ眠ることができ,自分でも満足である。とにかく無用の疲労を感じていない。ああ私は大喜びで眠るかもしれない。実際のことを言えば,私は開戦後まったく生活の常軌を逸してしまった。開戦後ははじめは造船の夜業のためにたいていは自宅におらず,後には船でクロンシュタットに出張し,ついでレーウェリ,リバウに赴いて海外に出張した。14ヶ月の間このように一種の漂泊のような不規則な生活を送っているのだ。

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4月11日

いま南シナ海にいる。サイゴンに赴いた病院船アリョールに託してあなたへの手紙と電報を発した。アリョールはもし途中で日本の襲撃に遭わなければ明日の朝にはサイゴンに到着するだろう。途中で攻撃されるようなことがあれば,この船は日本の傷病兵を搭乗させられ,日本人の命令に従わざるを得ないことになる。この船は赤十字を掲げているので沈没されるようなことはない。ひとりスワロフだけは通信を発することができたが,他の諸艦では今日アリョールがサイゴンに行くことは知らない者もいた。サイゴン出張を命じられたスワロフの士官がアリョールに移乗した際に,アレキサンドルから一人の病気に罹った士官も一緒にアリョールに乗った。この士官は自ら汽船に乗ることができなかったので,安楽椅子に寄りかからせてそのまま船に乗せた。

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提督の食卓用としてアリョールから少量のコーヒーを得た。アリョールは艦隊を離れてサイゴンに出発した。この船は2日後に艦隊に戻る予定である。今日は寝過ごしてようやく9時に起きた。今日は石炭積み込みはない。明日はたぶん停船のためにカムランには入れないだろう。
いまは非常に警戒すべきときである。いろいろな汽船に出会ったが,とくに英国旗を掲げた汽船が多い。オレーグはいつも船に近づいて尋問している(すなわち戦時禁制品の搭載の有無などを確認しているのである)。今朝前後して2隻の英国巡洋艦に遭った。そのうちの1隻は礼砲を発したので,スワロフからも答礼を行った。夜明けのことである。私はベッドの中で大砲の音を聞き,「はじまった」と思った。ちょっと明かり窓から覗いてからまた寝た。
我が信号兵が最初の英国巡洋艦を見たとき,彼らはこれをジアナが我々と合流するために来たと勘違いした。この巡洋艦は一見すると少しジアナに似ているのである。英国の巡洋艦は我が艦隊を調べているため日本を助けることになる。
7条の煤煙を見たが,すぐに地平線に隠れて見えなくなった。もちろんこれは7隻の船であろう。我が巡洋艦の偵察艦隊の一部は英国旗を掲げた汽船に遭ったが,この船は信号を掲げて「日本の駆逐艦を目撃した。警戒すべし。かつ今夜襲撃がある」と報告してきた。そうだ。敵は近づいた。敵艦との衝突はなぜこうも引き伸ばされているのだろう。今夜は果たしてどうなるのだろうか。
私は手紙と電報をだすことができ,非常に満足である。ただし,あなたの返信が得られるとは思っていない。
アリョールはそんなに長くサイゴンにとどまってはいないだろう。あなたはさいきんの手紙を我々がウラジオに到着するころ,あるいは△△△△ごろに,すなわち5月初旬か中旬に入手することになると思う。

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4月10日

いままでは静かである。昨夜は非常な暑さで私室内にいることができないほどであった。私は12時に就寝したが暑さのために眠ることができなかったので,服を着て士官室に行き,空いている長椅子に寝た。
日照りは非常に強い。スワロフの音楽長は日当たりが好きで炎天下に長く立っていた。いつも両手を艦の欄干にかけているので,手は太陽の過酷な熱に焼けて枕のように太く腫れている。
日本人はどうしているのだろう。なぜいままで襲撃してこないのか。日本人がこの附近に全艦隊を集結することはけっして徒労に終わるものにはならないはずだ。彼らは我が艦隊がスンダ海峡通過の際に我々の若干の艦船を襲撃して損害を加え,その後で艦隊を全滅するために大戦艦ですでに弱った我が艦隊を襲撃しようとしたのかもしれない。しかし我が艦隊がスンダ海峡を通らなかったので彼らの計画はまったく画餅に帰したのではないだろうか。あるいはまた日本人はいまごろ我が艦隊を待ち受けてサイゴン附近のどこかを巡航して我々を探しているのかもしれない。もちろん,これらはすべてひとつの想像に過ぎない。

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我が艦隊はカムランに到着して,ここで第三艦隊と,この春にスラワを先頭にしてロシアを出航した諸艦船とを待つとのことである。
もしこのようになれば,ノシベでもあったように我々はまたもカムランで安穏として期限もないままに碇泊していなければならないことになるかもしれない。
我が艦隊はカムラン湾に入らずに直接ウラジオに航行するだろうという噂がもっぱらで,人々は毎日このことだけを話し合っていた。いままた大いに信ずるに足る噂として,艦隊は直接最終の目的地である港湾に航行するとの話が出た。我々はすでに27日間大洋の上にいる。すでに食料も尽き,いまは塩漬けの材料を用いなければならない状態である。スワロフでの提督の食卓でさえもウォッカ,鮮肉,コーヒーなどは完全に欠乏した。
私はとくに肉類の欠乏を心細く感じた。人々がすることに倣って私も物品を保存しようかと思う。冬帽がどうしたかを見ただけで,他には手をつけなかった。私は怠惰だ。しかし何もかも防御区域の中に物をしまうことはしたくない。

我が艦隊はその全組織を挙げてすでにたいへんな航海をしているのに,いままた我が艦隊がカムランに寄航せずに直ちにウラジオに航行するとすれば,全世界の人々はこの偉大な航海と行為とに一驚を喫することであろう。もしこのような航行をすることができるとすれば,日本人は我が艦隊の航跡を見失って,どこにそれを探せばよいのかもわからなくなろう。
夜10時に無線電信の感応があった。これはあるいは日本の巡洋艦が我々を捜索して,互いに通信し合っているのかも知れない。我が艦隊はとにかくカムラン湾に入るだろうと思われる。石炭運送船はこの湾に18日ではなく14日に入るはずなので我々は通信できるようになるだろう。我が艦隊はカムラン湾に入るとしても,そこには長くは碇泊しないと思う。この手紙を適当なときまでに書き終えなければならない。私の考えでは,あなたはこの手紙を5月初旬に手にするだろう。そのころには艦隊と私の運命は決まっているはずだ。明日は通信差し立ての機会があるとのことであるが,このことは全艦隊に報じられないだけでなくスワロフにさえ報じられていない。

2006/04/10 in  | Comment (0)

4月9日

夜は無事に明けた。今朝までは完全に無事だった。朝から艦隊は停船している。駆逐艦はいずれも石炭の欠乏を告げ,カムラン湾までの燃料が不足したために各駆逐艦は石炭を積み込んだ。
日本艦隊は何をしているのだろう。我が艦隊がどこにいるか,その場所を知らずに海上を探しているのではあるまいか。いや,そうではあるまい。我が航路がシンガポールからウラジオに向けて北上していることはすでに明らかなことである。日本艦隊は,あるいは我々の前途に先駆けて,どこかで待ち伏せしているのではないか。あるいはそうかもしれない。
我が艦隊がカムラン湾に寄港せずに直接ウラジオに航行するのではないかという噂もある。もし艦船がこのような遠路の大航海に耐えるだけの石炭を十分に積載することは難しいことではないはずだが,刻一刻ごとに敵の襲来を気にしながら外洋で石炭の積み込みをするのは知恵ある行為とはいえない。しかもはなはだ危険でもある。

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各駆逐艦の石炭積み込みが終わり艦隊は航行を始めた。
今日,奉神礼の祈りがあった。私は祈りに立ちながら,これはもしかしたらスワロフ艦上最後の祈祷になるのではないかと思った。あるいはそうなるかもしれない。次の祈りは奉神礼ではなく戦死者追悼の祈りになるかもしれない。すべてのことを予期し,かつすべてに対する備えをしなければならない。
今日,アナンバ島を通過した。提督は明日には日本艦隊に遭遇すると予想した。海上は静かである。多少のうねりがあって小さい艦は揺れている。我が艦隊がシンガポールを通過したという情報はペテルブルグではどのように受け止められるであろうか。第三艦隊はいまどこにいるのだろう。ウラジオ到着前に第三艦隊は我々と合流できるのか。我々はカムラン湾でこれを待とうとするのだろうか。
我々がもし無事にカムラン湾に入ることができれば,日本はウラジオの我が巡洋艦と我が第二艦隊と,さらに第三艦隊の三方面に当たらなければならない。このようになれば日本艦隊の戦闘力が割かれることになる。それは我々にとっては有利になる。
彼ら日本人はいまウラジオを警戒するためにこの地に艦船を遣わせているのではないか。ウラジオはまだ結氷しているだろう。ウラジオの結氷は毎年たいてい4月中旬に解氷するとのことだ。オレーグおよびアウローラは,目前に迫った交戦の際には戦闘をしている我が各戦闘艦に援護を与えることを命じられた。また巡洋艦の一部はカムラン湾に入ってこなければならない運送船の防御擁護の任に当たるべきことを命じられた。カムランまでは今日の正午からまだ千露里以上の航程を残している。我々は最後の一敗によってたちまち徒労に帰してしまう。日本の勝利の可能性はすでにはっきりしている。我々がマラッカ海峡を無事に通過することができたのはせめてもの幸いであった。日本はもとより我々がこのような冒険をするとは思わなかったに違いない。
我が艦隊がスンダ海峡を通過するということをしきりに伝える新聞や,この海峡附近に集まった我が石炭船とは,日本人にマラッカ海峡から一切の注意を奪ってスンダ海峡において我々を激撃するための準備をさせたに相違ない。マラッカ海峡付近において5隻の潜航艇が我が艦隊を待ち受けているとの領事からの報告もあったが,これははなはだ疑わしい。もしほんとうであったとすれば,なぜ我が艦隊を襲撃しないのだろう。

2006/04/09 in  | Comment (0)

4月8日

11時にマラッカ市の沖を通過した。この市陸岸の市街の灯火は艦上からもよく見えた。
我が艦隊がマラッカ市街の沖を航行する際に,地平線上に帆船が現れて我が艦隊の方に向かってきた。この船を探海灯で照らし,駆逐艦がこれに近づいて艦隊の傍らを導いて通過させた。四辺暗闇の海上に煌々たる探海灯の紫光に帆船の白色の船体と白帆を照らした光景は実に美しいものであった。この帆船は右方戦闘艦の艦列にもっとも近くを航行した。
黎明まではまだ4時間ある。各士官はだれもほとんど一睡もしなかった。私はいま寝ようかと思っている。あるいは日本艦隊に会わずにウラジオに到着することができるかもしれないが,もしそうなればこれは実に意外なことと言わねばならない。海は広くかつウラジオまでの里数はなかなか遠い。我々のこれからの航程は日本にわからないように,たくみに航路を選定する必要がある。カムラン湾からウラジオまでの間に途中にどこであっても寄航することは困難ではあるが,まったくできないことではない。

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戦地において奉天の敗戦後,どんなことがあったかは我々は知らない。奉天戦のことについても実際は通信員の電報で知ったに過ぎない。多くの人々は今に至るまで,その真偽を疑っている。しかし私はこれを信じている。今日まで通信員が発したフランス電報はすべてこのことを確証しているのである。
我々はもう少しでシナ海に入る。我々がマラッカ海峡を通過するときに日本が何もしなかったことに関して様々な推測がなされている。ある者は,日本は我々がまもなく通るビーオ海峡で激撃する準備をしているという。またある者は,英国人は複雑な事件が生じることを慮り,商船が多く往復するマラッカ海峡に水雷を敷設することに反対したのだという。またある者は,日本の海軍は我々をナトラン群島で待ち伏せているという。もっともこの島の附近で交戦するのは,我々にとっては有利である。この島の附近であれば我が艦船は動きがとれるからである。
今夜何かが起きるかどうか。ある者は憶測を逞しくして,平和はすでに締結されたのではないかとの説を掲げた。もしほんとうにそうだとすれば,平和は我々にとってははなはだ恥辱となる。ロシアは果たしてこのような挙に出るのだろうか。
今日,私は6時まで私室を出なかった。甲板に出て次のような新しいことを知った。すなわち午後3時ごろにシンガポールからロシア領事が曳船汽船で艦隊に近づき,次のようなことを報告したという。領事の報告では3週間前に日本海軍は運送船,浮動工作船,病院船,駆逐艦など12隻を伴って全力を挙げてシンガポールに来航した。日本艦隊はシンガポールからボルネオ島に赴いた。ボルネオ附近にラブアンという小島があり,日本人はこの島でロシア系ユダヤ人が所有する地所を買収して自分の領土のように支配している。日本人はラブアン島とシンガポールの間に海底電線を敷設した。こうして日本人は昨晩すでに我が艦隊に関する行動の情報を得たはずである。ラブアン附近にある日本の海軍は運送船,工作船,病院船,駆逐艦を除く軍艦22隻からなる。今夜は水雷攻撃があるだろうから,明日は海戦を免れることはできない。これが領事の報告である。その結果は果たしてどうなるのであろう。清潔な衣服に着替え,かつ砲声に対応するために綿を用意しなければならない。
硝艦から報告書を得た。みな捏造された虚言だけであった。10時を過ぎたが,いまのところ無事である。もともと日本人は九の日をもっともよい吉日とみなしている。彼らはもしかしたら9日まで戦争を延ばしているのではないだろうか。領事の話では我が艦隊のマラッカ海峡通過は日本人にとっても,また世界の人々にとってもまったく意外だったのだという。もし我が艦隊がこの海峡で何らの障害にも遭わないとすれば,これは万人の眼が他の方向に傾いていることを示すことになるのではないか。
いま,どこかの汽船が前方から来たのに出会った。その船を探海灯で照らして艦隊の傍らを通過させた。今日の正午から起算してカムラン湾まではまだ千五百露里を航行しなければならない。もし途中何の故障もなければ,我々は今月12日にはカムラン湾に到着する。たぶん今日の夕刻の電報で我が艦隊がシンガポール附近を通過するという情報が伝えられるだろう。
ウラジオとハルピンは,まだロシアの掌中にあることを知った。寝て一睡しよう。しかし敵の攻撃があれば,どうすべきだろう。私は襲撃と交戦とに関しては多少冷静になっている。戦争が始まっても別に驚かず,平然としていられると思う。果たしてほんとうにそうかどうかはまもなく確かめられるだろう。
我が艦隊はまたも世界の注目を集めることになった。我が艦隊の勝敗如何が戦局に対していかに大きく影響するかはわからない。勝利の希望ははなはだ少ない。しかしもし勝利を収めることができれば戦局に一大変動を来たすだろう。日本艦隊が近づいていることと,その衝突が免れないことを知ると,人々の表情はいずれも深刻になった。

2006/04/08 in  | Comment (0)

4月7日

昨夜は始終多くの汽船に会ったが,いずれも艦隊の航路を遠く避けて通過した。北海の漁汽船が通るたびに,それを探海灯で照らしたが,これは船砲撃事件の教訓が功を奏したということであろう。今日もたびたび汽船に会った。エンクイスト提督が,提督,艦長,士官など並びに水兵が12隻の水雷艇を率いて航行する汽船を見たと報告してきた。しかし日本人は白昼に自分の水雷艇を敵艦隊の前に露出するような愚かなことはしない。
イズムールドは汽船に鯨が従っていくのを見たと報告してきた。イズムールドはこれを潜航艇だと断言することはできないので鯨の類と想像したのである。

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我々はまもなく海峡の非常に狭い箇所に至る。ここは水路もはなはだ狭い。しかしこの水路を通過しなければ海峡を出ることができない。ここには潜航艇および我が艦隊の前に,他の船舶が触れないように敷設された沈設水雷があるかもしれない。水雷は臨機沈設して一定の予定時間を経過すれば自ら海底に沈下するように敷設することができる。我が艦隊に追尾してくる例の汽船は,この種の作業をすることができる。この汽船の行動はいかにも疑わしい。あるいは全速力で航行するかと思えば,あるいは停止し,あるいはその航路を変更する。この汽船はなぜ我が艦隊に付きまとうのか。あるいはその通過する後に沈設水雷を投下するのではないか。しかし意とするに足りない。もし幸いに我が艦隊が無事に水雷に触れずに通過すれば,その水雷は一定の時間後に海底に沈み,海峡は安全となって中立国の船舶が海峡を通るのに少しの支障もなくなる。みなこのように簡単にこの敷設を実施することができるのである。日本人は果たして我が艦隊に損害を与えることができるこの好機を空しくするだろうか。
今日,奉神礼の祈祷があった。しかし私は祈祷所に行かずにずっと寝床に臥していた。
マラッカ海峡を通過するにはまだ一夜を要する。夜は真の闇夜である。雨さえもが時折降って,そうでなくとも狭い眼界はますます狭くなった。

明朝4時ごろにはもっとも狭い水路を通過する。日中にシンガポールの沖を通り,6時ごろにはいよいよ南シナ海に入る。日本人がいると思われるナトラン群島のそばを通過するのである。彼ら日本人はマラッカ海峡において我が艦隊を攻撃するのか,あるいは何もしてこないのか。明晩にはこのことははっきりする。彼らは我が詭計に陥って,その注意と全力をスンダ海峡もしくはそれ以東に注いでいるのだろうか。あるいは彼ら日本人は我が艦隊がシナ海に入るまでは何事を為すことも欲していないのであろうか。
日本人は大胆勇敢である。なぜ彼らはその好機を見過ごすのか。もし今後20時間ないし22時間以内に何事もなければはなはだ狭いマラッカ海峡は悉く我が方に帰すことになる。
日中に細く狭く長いマレー半島の地形を見ることができた。私はいつまたふたたびこのアジアの陸地を見ることができるだろう。
今日,艦船の付近を奇妙な鳥が飛んでいるのを見た。これは鴎かあるいは他の鳥である。

2006/04/07 in  | Comment (0)

4月6日

昨日は一昼夜の中の4時間を失った。これは非常にまずいことだ。狭い海峡通過の時間計算をみな混乱させた。危険な場所を日中に通過するために海峡内に無用な時間を過ごさなければならず,たいへん馬鹿げたことである。マラッカ海峡とシンガポール海峡とを我々が速やかに通過することができれば,我々にとってこの上もない幸運となる。しかしこの海峡において停船を来たすとはいったい何事か。
私は自ら自分のことを不思議に思う。私は少しも心騒がず,毎夜いつも敵の襲撃があることを予期しながら,依然として安心して熟睡しているのである。毎夜服を脱いで早く就寝するが,危険を思うことはまれである。

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今朝,二度の竜巻があった。私は7時に起きたが,これは見なかった。駆逐艦ビエードウィはそのことを報告してきた。けさ甲板の上に身体の運動を失って横たわっている水兵が見つかった。彼は死亡しているものと判断され,直ちに彼を葬る許可が申請された。参謀部ではこの返答を引き伸ばしたが,そのうち彼がまだ生きていることがわかった。もし生きているこの水兵を水中に投じれば,はたしてどうなったであろうか。
カムラン湾にはいかなる郵便交通上の便があるかを知らない。ここからサイゴンに郵便物がどの程度頻繁に発着があるかどうかを調べたところでは,郵便はサイゴンからヨーロッパに向けて月に4度ずつ送られていることがわかった。
弦月は天にあるが月はまだ若く夜色は薄暗い。敵の水雷艇はこのような暗夜に乗じて我が艦隊に容易に近づくことができる。我が駆逐艦はみな昨夜から曳船をやめて自力で航行している。夜間にはその艦影をほとんど見ることができない。ただわずかに海上に朦朧として黒い影があるのを見るだけである。
日本の艦隊が我が艦隊を襲撃して成功を収める可能性はたいへん高い。我が艦隊は空しく費やした4時間を回復しようとして速力を増した。ただ回復できるかどうかは疑問である。何事かをしようとすれば,また他に時間を費やさざるを得ない。
サイゴンからカムラン湾まで,フランス人が鉄道を敷設したということである。もしこの鉄道が全通していれば我が艦隊がカムラン湾に到着するときにどれだけの利便が齎されるかはわからない。しかし,いずれにしてもひとつの噂に過ぎない。確たることは誰も知らない。
マラッカ海峡に入ってこれまで航行してきたが,その間いまだ一隻の汽船にも遭遇していない。夜間はときどき何かの火光が見られた。また,日中に一度,地平線上に煤煙を見たことがあった。それもわずかに認めたに過ぎなかった。
暴風雨の前には静かになるのが普通である。いまはまさにこの状態である。各士官は夜間にその管掌の砲側を離れてはならないという信号命令があった。一般の乗員はすでにだいぶ前から砲側で寝ている。もっとも警戒しなければならないのは夜間の水雷攻撃である。
多くの汽船に出会い始めた。それらの汽船はみなよく注意して我が艦隊の航路を避けて通過した。いままでは海上は鏡のように静かだったのだが,いま強風に雨を交えて吹き出した。
館内にはいたるところに火災のときに備えるために消火粉を入れた缶と包帯材料を入れた袋を配置した。私はこの消火粉の効果を信用していない。
その生死に関して疑義のあった水兵は今日葬った。駆逐艦でだれかが規定どおりの祈祷文を読み,司祭(牧師)が遠く立って十字架で遺骸を祝福し,その遺骸を直ちに海に下した。何と簡単な葬儀であったろう。
昼食後にまたも3時間ほど艦長とともにブリッジの上にいてお茶を飲んだ。艦長からウラジオのことや,その生活上の状態などを聞いた。
今日の午後からカムラン湾まではまだ2100露里を残している。我々は途中でもし戦争もなく停船問題もなければ,この行程を7日間で航行できる。

2006/04/06 in  | Comment (0)

4月5日

私室は蒸し暑くて寝ることができない。私は艦尾の上甲板に枕もせずに衣服のままで寝た。
昨日テレックの艦長からつぎのような内容の電信を受けた。すなわち「祈祷の集会後に本艦乗員は退散せずに上席士官の交替を要求した。上席士官は救いを求めている。乗員の不法を認む」という内容だ。これはストライキではないか。この報告の最後の一言は確かにこのことを示している。
艦隊は速力を増した。我々はいまインド洋に別れを告げ,いままさにマラッカ海峡に入ろうとしている。2つの大洋――大西洋とインド洋とはまず無事に航行できた。第三の大洋,太平洋においてどのような事件に遭遇するのだろうか。

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ブリヤウェー島はすでに程遠くないはずだが,いまだその島影を見ることはできない。日中に地平線上にスマトラ島附近の小島の陸岸を望見できた。山の頂上が水天髣髴の間にわずかに見えた。これはノシベ出航以来,我々が見た初めての陸地である。すでにまったく陸地を見ないことすでに20日間であった。艦の明かり窓はすべて戦時用の蓋で覆われた。室内は暑く,いることができない。他にどこにも手紙を書くのにふさわしいところもない。戦闘艦の中は至るところ真っ暗である。人がちょっと暗い下甲板の中に入ったときにも目が眩んで見えなくならないように,あえて暗くしているのである。
戦闘艦アリョールは艦隊の航行を2時間も止めた。アリョールは重要な1個の蒸気管を折ってしまったために航行できなくなったのである。いま修理した。
我々はまだマラッカ海峡の中の広いところにいる。願わくは海峡内の狭いところや交戦中にこのようなことが起きないことを祈りたい。もし不幸にしてこのようなことが起きれば,そうでなくとも優勢な日本艦隊をますます有利にしてしまう。
暑さは耐えがたいが私室の中に入った。8時からいままで降りずにブリッジの上にいたのである。いずれにせよ艦隊が目的地に向かって進んでいれば私は満足である。

2006/04/05 in  | Comment (0)

4月4日

今日,私は別に疲労は感じていなかったが8時に転寝して眠った。明かり窓は開いていて風も入ったのでそんなに暑くはなかった。私はどんなに起こされても目が覚めないほど熟睡した。
4時ごろにはじめて目を覚ました。それも波が明かり窓から入って足を濡らしたからである。起きて衣服を着替え,明かり窓を閉じてまた寝た。実によく寝た。
昨日は石炭積み込みには大変よい天気であった。今日は波が高く,到底積み込みをすることはできない。
ノシベ出航後,夜中に艦隊を停止させるような事件がひとつも起きなかったのは昨夜が始めてであった。今日はオスラービアに惨事があった。この艦で3人の水兵が蒸気のためにやけどを負った。重傷だったので生死は不明である。
狂乱とも形容すべき波浪には実に閉口する。海上は静かだと思っているのに巨濤が襲ってきて室内に海水が浸入し,みな濡らしてしまう。今日もまた私は海水を浴びせられ,寝台を濡らされた。

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昨日から私がしきりに眠気を催した原因がいまはじめてわかった。昨日,私は新しいフランス製のタバコを吸い始めたのだが,このタバコにはアヘンが入っていたのだ。実に危ない。私はこのタバコを100箱以上も持っている。現在はタバコは非常に大切である。他のタバコを吸って,このオピームの含みのあるタバコは予備隊として保存しておこう。
駆逐艦ブウーウィは昨日ウラジミールに衝突して自艦の艦首にある水雷発射管を破損し,用をなさなくなった。マラッカ海峡通過の際は,艦隊は4個の梯隊をつくって航行するとのことだ。運送船はすべて中央の梯隊となり,戦闘艦は右端に列し,巡洋艦は左端に列する。実に奇怪である。たぶん混乱を来たすだろう。私たちはいままさに水雷潜航艇,駆逐艦などを有する敵の艦隊と出会う前夜とも言える。
私は安心し,むしろ喜んでいる。1ヵ月後にウラジオに着くだろうという未来の希望は我々を激励する。私は毎日幾度となく地図を開いて,すでに通過した航路にその記録をつけ,ウラジオまでの航程を頻繁に数えている。
ロシアではこのウラジオに失望し,そこを自国のために保持することを望まないのだろうか。もし艦隊がカムラン湾に到着してウラジオが陥落したことを知ったなら,我が艦隊の位置は果たしてどうなるのだろう。そのときには我が艦隊は根拠地を失うことになる。果たしてそうなったなら艦隊はどうするつもりなのだろう。日本領の島嶼のひとつを占領して,それを自分の根拠地としようというのか。軍事品・糧食の供給や通信・電報などの便利が得られないのはどうしようもない。
中立国の港湾はもとより我が根拠地とすることは許されない。日本の海軍は名目上オランダの領地であるナトラン群島附近を自国の領地のように支配しているとの噂もある。これらの群島は我が艦隊航路の途上にあって,マラッカ海峡の続きであるシンガポール海峡よりやや北にある。もし今日まで新聞紙上にわが艦隊の所在地が伝えられていないとすれば,明日は全世界がこれを知ることになろう。
私たちはブリヤウェー島の灯台のそばを通過する。我が艦隊のことはこの灯台から全世界の果てまでも発信されるだろう。マラッカ海峡においてどんな忌むべき事件が起きるのか。日本艦隊はどこかの狭い場所で水雷艇の襲撃を行い,ついで我が艦隊の前面に現れて,その巡洋艦が後方から攻撃するのを待って砲火を開くだろう(日本の巡洋艦は我が艦隊を追尾して海峡を進み,必要な時期を見て艦隊に肉薄し,攻撃を加えるだろう)。このようになった場合には我が艦隊は大きな危険に陥るはずだな。我が艦隊は備砲全部の発射の便を失って,わずかに艦首と艦尾の備砲によって発射できるだけとなろうから,我々の運命も非常に大変なものになる。
他の艦船の灯火が見えた。我が艦隊としては不要の灯火を消すように命じられ,明かり窓は戦時用の蓋で覆われた。今夜,あるいは敵の襲撃があるかもしれない。さあ,今夜戦争の時は訪れた。前途が不安な夜はどれほどか。そしてその終局はどのようになるのだろうか。

2006/04/04 in  | Comment (0)

4月3日

(日中に記す)
今日は早く起きた。石炭積み込みがあり,私は汽艇で駆逐艦ペズーブレーチヌイに出張して舵を見た。事態はたいへんよくない。この駆逐艦は,まったく舵で操縦することができずに如何ともすることができない状況にならないとも限らない。舵を取らなければならなくとも,この大洋の巨濤の上では作業はできない。駆逐艦ペズーブレーチヌイは曳航して行って,カムランに着いたら修繕する以外にない。しかしカムラン湾まではまだ3千露里の行程を残している。
この湾の附近に日本の巡洋艦がいて,我々を待っているとのうわさがある。この湾までは途中何事もなければ10~12日間で着く。カムランからウラジオまでは約5千露里あり,艦隊は行程を急ぐためにいまよりも速力を増して航行することになろう。

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朝8時にはすでにスワロフに帰ることができた。しかしいままた端艇でローランドに赴き,この艦でまたもペズーブレーチヌイに出張した。ここから技手を連れて材料を持ってカムチャツカに行き,ここで修繕するのを待った。カムチャツカからグロムスキーに行き,その途中で技手をペズーブレーチヌイに移乗させた。私は少しの間この艦にとどまった。修繕は終わり工事には満足した。
ちょっとの間だが風雨があった。私は雨具を用意していたのであまり濡れることもなかった。ついでに封緘命令を諸艦に持っていった。朝食の食卓につけなかったので当番の士官と一緒に食べた。
ペズーブレーチヌイに意外なことがあった。この艦で一箇所のキングストンから小さな鮫が侵入して艦内に海水が入ってしまったのだ。その鮫は圧殺した。
いま各艦はその航海を続けるために遠航艦列をつくった。昼食はたぶん遅くなる。
明晩は新月である。数日の間は毎晩弦月が僅かに海上を照らすのみである。これははなはだ危険でもある。暗夜にマラッカ海峡を通過してはならない。狭い海峡で日本人が我が艦船を殲滅しようとしていて多くの襲撃を受けるかもしれない。たぶん日本人は我が艦隊がこの海峡を通ることを探知しているだろう。しかも完全にその準備を整えているはずだ。

2006/04/03 in  | Comment (0)

4月2日

いまは石炭の積み込みをすることができないでいる。波が非常に高いのである。
多くの人々は我が艦隊に対して大きな希望を抱いている。艦隊の人々はみな4隻の新戦闘艦スワロフアレキサンドルボロジノアリョールを艦隊の首脳とした。日本人は我が全艦隊の司令官である提督が搭乗しているスワロフを撃沈させるために,その全力を注ぐだろう。スワロフに対し水雷攻撃も全艦隊の砲撃をも集中するはずだ。そのためにスワロフは必ずもっとも大きな危険に曝されるだろう。他の戦闘艦,とくにボロジノアリョールは比較的危険は少ない。日本人はまず提督を斃すことに努力するだろう。もし提督が失われれば,そのときはいかにすべきか。もし我が艦隊が,すでに中立港に遁入している我が諸艦のように逃げるようなことはありえるのか。我々はどこで武装を解こうとするのか。我々はすでに18日間,大洋の上にある。しかも港はまだ遠い。しかし推進機の一回転ごとに我々は目的地に近づく。我が艦隊がリバウを後に見てから今日ですでに5ヵ月半,マラッカ海峡に到着するまでほとんど6ヶ月の長時日を費やすとは誰も考えたことはなかった。

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ドンスコイオレーグアリョールテレックの諸艦は海上に火光を認めたとの報告をしてきた。最初は火光が現れるたびに注意を引いたが,我々がいまほとんど戦場に近いところにいる以上,火光に対してもそんなに注意を引くことはなくなった。どれも同じではないか。むしろ万事を速やかに終わらせるに越したことはない。
人々の間には現在の状態にすこぶる満足している者が少なくない。私はこのような人々を見て驚かざるを得ない。見よ,いまも士官集会室には士官などが集まって酒杯を傾け,歌を歌っている。日本の艦隊では一種独特の酒宴を設け,特別の歌を歌う準備をしていることだろう。
通信はいつ受けることができるだろう。カムラン到着前に受けられるかどうかは疑わしい。

2006/04/02 in  | Comment (0)

4月1日

昨夜は他の部屋で寝た。その部屋には明かり窓はなかったが甲板に通じる通風孔があった。いま風の方向が変わった。しかし波浪は依然として高い。
私の私室は非常に蒸し暑い。グロムスキーその他の駆逐艦も昨夜は無事であった。グロムスキーは今日は曳航されることになる。我が艦隊がノシベからオーストラリアを回るか,もしくはスンダ海峡を通過して極東に向かうということは,だいたい全世界の人々が想像しているところである。しかしすでに私が前にも記したように,艦隊はマラッカ海峡を通過する予定である。人々はみな,この大胆な行動に驚くだろう。我が艦隊は1,2日もすれば多くの商船が通る航路に出る。そして数日後には全世界においてふたたび我が艦隊の所在が知れ渡るであろう。そのとき,我が艦隊が選択した航路をも知ることになるのはもちろんである。

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日本の艦隊はその全力を挙げて自ら欲する地点で我が艦隊を迎撃するであろう。今後の戦争は全戦局に対してもっとも重要な時期を画するものとなるはずである。いまや重要な事態に一変革を来たそうとする我々にとってもっとも不利不幸な戦局を迎えようとしているのである。我々はサイゴンではなくカムランに向かう。ここはサイゴンから北に350露里にある小さな湾であって,海岸には要塞と小さな市街がある。もちろん電信はないが郵便局はある。マラッカ海峡まではなお1000露里ある。マラッカ海峡の長さもほとんど同じ里数である。艦隊ははるかに遠くシンガポールを望みながらその沖を通過する。
艦内の人々はみな戦争の後で着替えるための衣類を得ようとしてその携帯品を艦の中の防御区域(鋼鉄で防御された区域)に隠し始めた。私は何を隠せばよいかがわからない。また人々は救助袋の適否などを調べている。みな敵の艦隊が近いことを感じ始めたのである。
戦争のときに艦内のどこにいるべきか,私はいまだその場所をも選定していない。敵水雷艇の襲撃の際にはもちろん艦の上部にいないわけにはいかない。もし戦闘艦が撃破されてまさに沈没しようとするときに艦の下部から上がることができない虞があるからである。ペトロパウロフスク初瀬などの例をみれば,戦闘艦が水雷に触れて爆破されるとすぐ,ほとんど瞬時に沈没するのである。したがって下から上に上がることなどできそうもない。
明日は石炭積み込みがある予定だが,波浪のうねりは依然として大きい場合には積み込みを行うかどうかはわからない。
晴雨計は時に昇り,あるいはひどく降下している。私は何ごとも忍耐しよう。まさに会おうとしている危険に対しても平気である。危険は到底避けることはできないのだ。むしろ我が艦隊の運命を速やかに定め,少しでも将来に対する希望を持つことの方がよいと思う。

2006/04/01 in  | Comment (0)