バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

4月6日

昨日は一昼夜の中の4時間を失った。これは非常にまずいことだ。狭い海峡通過の時間計算をみな混乱させた。危険な場所を日中に通過するために海峡内に無用な時間を過ごさなければならず,たいへん馬鹿げたことである。マラッカ海峡とシンガポール海峡とを我々が速やかに通過することができれば,我々にとってこの上もない幸運となる。しかしこの海峡において停船を来たすとはいったい何事か。
私は自ら自分のことを不思議に思う。私は少しも心騒がず,毎夜いつも敵の襲撃があることを予期しながら,依然として安心して熟睡しているのである。毎夜服を脱いで早く就寝するが,危険を思うことはまれである。

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今朝,二度の竜巻があった。私は7時に起きたが,これは見なかった。駆逐艦ビエードウィはそのことを報告してきた。けさ甲板の上に身体の運動を失って横たわっている水兵が見つかった。彼は死亡しているものと判断され,直ちに彼を葬る許可が申請された。参謀部ではこの返答を引き伸ばしたが,そのうち彼がまだ生きていることがわかった。もし生きているこの水兵を水中に投じれば,はたしてどうなったであろうか。
カムラン湾にはいかなる郵便交通上の便があるかを知らない。ここからサイゴンに郵便物がどの程度頻繁に発着があるかどうかを調べたところでは,郵便はサイゴンからヨーロッパに向けて月に4度ずつ送られていることがわかった。
弦月は天にあるが月はまだ若く夜色は薄暗い。敵の水雷艇はこのような暗夜に乗じて我が艦隊に容易に近づくことができる。我が駆逐艦はみな昨夜から曳船をやめて自力で航行している。夜間にはその艦影をほとんど見ることができない。ただわずかに海上に朦朧として黒い影があるのを見るだけである。
日本の艦隊が我が艦隊を襲撃して成功を収める可能性はたいへん高い。我が艦隊は空しく費やした4時間を回復しようとして速力を増した。ただ回復できるかどうかは疑問である。何事かをしようとすれば,また他に時間を費やさざるを得ない。
サイゴンからカムラン湾まで,フランス人が鉄道を敷設したということである。もしこの鉄道が全通していれば我が艦隊がカムラン湾に到着するときにどれだけの利便が齎されるかはわからない。しかし,いずれにしてもひとつの噂に過ぎない。確たることは誰も知らない。
マラッカ海峡に入ってこれまで航行してきたが,その間いまだ一隻の汽船にも遭遇していない。夜間はときどき何かの火光が見られた。また,日中に一度,地平線上に煤煙を見たことがあった。それもわずかに認めたに過ぎなかった。
暴風雨の前には静かになるのが普通である。いまはまさにこの状態である。各士官は夜間にその管掌の砲側を離れてはならないという信号命令があった。一般の乗員はすでにだいぶ前から砲側で寝ている。もっとも警戒しなければならないのは夜間の水雷攻撃である。
多くの汽船に出会い始めた。それらの汽船はみなよく注意して我が艦隊の航路を避けて通過した。いままでは海上は鏡のように静かだったのだが,いま強風に雨を交えて吹き出した。
館内にはいたるところに火災のときに備えるために消火粉を入れた缶と包帯材料を入れた袋を配置した。私はこの消火粉の効果を信用していない。
その生死に関して疑義のあった水兵は今日葬った。駆逐艦でだれかが規定どおりの祈祷文を読み,司祭(牧師)が遠く立って十字架で遺骸を祝福し,その遺骸を直ちに海に下した。何と簡単な葬儀であったろう。
昼食後にまたも3時間ほど艦長とともにブリッジの上にいてお茶を飲んだ。艦長からウラジオのことや,その生活上の状態などを聞いた。
今日の午後からカムラン湾まではまだ2100露里を残している。我々は途中でもし戦争もなく停船問題もなければ,この行程を7日間で航行できる。

2006/04/06 in  | posted by gen

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