バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

5月19日

南シナ海にいる。タンポーフメルクリーに郵便を託した。艦隊は石炭の積み込みを終わり,いよいよ機関は最高出力に上げられて前進を始めた。
夜,自室で浮流水雷を発見した場合に対処するための諸艦隊列命令を石版に書いた。
リオンドネブルクバンテレーツクの諸艦を順次偵察任務に出すとのことである。ウラルは派遣されない。この艦は信頼されていないからであって,この艦の艦長は艦の武装を解くことの想いを公然と口外しているのである。
今夜,私は艦尾のブリッジでオレーグが一隻の汽船を追跡して行った結果の報告を待った。しかし人々と談笑しているうちに転寝をしてしまった。1時ごろに就寝しようと思い自室に入ったが室内でしばらく座っていた。
2時にオレーグが臨検の結果を報告してきて,この船の船長がこの汽船に搭載している貨物の送り状を持っていないことを白状し,また船長自身も搭載貨物の詳細を知らずに石油を搭載していたとのことであった。この汽船はニューヨークから日本に向かっていたという。そこで船足の遅いこの汽船に艦隊に同伴してくることが命じられた。この船は疑わしい汽船として拿捕されたのである。この運送船は調査のためにウラジオに護送される。
水兵と旗手とがこの船に移乗し,スワロフからの旗手仕官の一人は艦長に任命された。この船の船長と機関士はこの船に留置された。もちろん何等の権利をも与えられず,単に乗客として残されたのである。他の乗員は我々の諸艦に移された。乗員たちは尋問に対してみなさまざまな答えをした。ある水夫は搭載貨物の中に大砲や砲弾があることを告白した(残る一人の水夫は汽船が拿捕されたときに,船長に知られないように手まねでこの汽船の中に何か丸いものが積み込まれていることを示した)。この汽船がどこから来たのかは判明していない。乗員の答えはいろいろである。この汽船オルダミアは我が艦隊とともに津軽海峡を通過してウラジオに行くことになる。
これは果たしてよいことであろうか。あるいは途中で日本人の襲撃に出会わないだろうか。むしろこの船は禁制品を搭載しているものと認定して乗員を我が艦に移乗させた上で汽船を撃沈することの方がかえってよいのではないか。
この船を拿捕するために多くの時間を費やし,全艦隊は正午まで動かずに停止していた。この船の乗員のために食料品や石炭などを積み込んだ。この船は石炭がウラジオまで行くためにはまったく不足しているのであった(ネボガトフ艦隊の運送船リウオニアから石炭を転載した)。

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12時から艦隊は3ノットの非常にゆっくりした速度で航行している。リウオニアは拿捕船と綱で結び合って併進しながらこの船に石炭を転載した。なぜこれほどまでに自分たちの損害を顧みずに万事を秘密にしようとするのだろうか。すでに我が艦隊の参謀部では禁制品を搭載して日本に行く船舶の船名を示す電報を受け取っていたという。今日までの電報で示されている船名の中にこの拿捕船の名前があったかどうかは,さらに調べなければならないという。その電文は秘密書類として金庫に納められ,その金庫は戦争の際のために隠された。もし我々がこれをもって秘密のものとしてこれを知って利用することができないほどの情報であれば,なぜこれを我々に通信したのか,実に驚かざるを得ない。
禁制品搭載の汽船の船名のようなものは,全艦隊に公示してすべての人々にその船名を知らせるべきではないか。そうだ,このようなものこそ我々にとってはもっとも大きな秘密なのである。しかしその意を解することはできない。ロシアの利益のために勤める汽船の名称を秘匿することは意味がないわけではないが,日本の利益を図るものの名称を秘するのは愚の極みである。しかし我が国においては常にいたるところみなこのような始末である。
今朝,オルダミヤを護送中にさらに2隻の汽船が発見された。1隻は貨物を搭載し,もう1隻は空船であった。この中の1隻をゼムチューグが隊に伴ってきた。のだが,もちろんこれは空船である。伴ってきた船はノルウェーの国旗を掲げており,ベルケンに向かう船で船名はオスカル二世という。オスカルは日本にいてすでに2年間も(何会社か)日本に勤務した船である。この船は開放された。この船は日本の沿岸を航行してきて,おこがましくも我が艦隊の艦列を横断したのだ。たぶんこの船は日本人がことさらに偵察のために遣わしたものであろう。いまはどこにおいてか我が艦隊を見たことを報告したであろうと思われる。航行しながら写真を撮り,我が艦船の数を数えたはずだ。もしオスカルが殊更に派遣されたものではなかったにせよ,我が艦隊の所在地を通報する点においてはどちらにしても同じである。
多くの時間を空費した。また空費しつつある。この損失は償えるものではない。明るい月夜を失ってしまうからである。
今日は陛下の祝日にあたるので感謝の祈りと祝砲の発射があった。書籍の中を探していてきれいな日記帳と手帳を見つけた。日記帳が見つかったのはありがたい。いままでのは,すべて書き綴ってしまったからである。
夜7時,みつけたオスカルを臨検もせずに開放したのを後悔しはじめた。汽船オルダミヤから船長と機関士を除くほかの乗員をことごとく移した。彼らはみな疑念に満たされている。
天候が怪しくなった。大風にならなければよいのだが。荒れれば艦隊は大いに迷惑を蒙るだろう。
日本に禁制品を運送していた汽船に関する書類が公にされた(もちろん全部の書類ではない)。輸送していないものはほとんどない。馬匹,大砲,砲弾,火薬,綿火薬,爆裂装具,被服,ミルクレール,缶詰類,電線,鉄類,銅,装甲鉄板,小銃,榴弾,到着爆弾,信管,汽艇,鉄道材料などである。1隻の汽船などはもっぱら旅順で沈没した我が戦艦の引き上げに適用されるものさえあった。

2006/05/19 in ポリトゥスキーの日記 | posted by gen

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