バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

5月21日

明日はまたも石炭の積み込みをする。この石炭積み込みの大混雑はいつ終わるのだろうか。たぶん,ウラジオに着くまでの積み込みはこれが最後になるだろう。今日,北回帰線を横切って回帰線外に出る。
昨夜就寝した際に鼠に足の指を噛まれた。実にいやになった。艦内生活の狭隘と不潔とはもうたくさんだ。
拿捕船オルダミヤは艦隊から離れた。この船は1隻でウラジオかコルサコフ,あるいはもし霧に妨げられなければペトロパウロフスクに向かうことになる。この船のそばにクバンが1隻残った。クバンは,もし可能ならば拿捕船に対して石炭100トンを供給し,その後オルダミヤだけで航行しクバンは禁制品搭載船の拿捕に赴くことになる。オルダミヤは新造汽船で昨年竣工したとのことである。その汽船は久しく禁制品の輸送をしていたとのことで,何の貨物か日本のために大連に輸送し,またロシアのためにウラジオに輸送したとのことである。
オルダミヤの船長は最初に無遠慮にロシア人を嘲って日本人を賞賛した。彼はこの船から艦隊への転乗を命じられることを予期していなかった。しかし船長は自分の船から艦隊の方に転乗させられることが発表されるや否や,彼の態度は一転し,汽船から出ながら涙を流して泣いていた。
英国人たちはオルダミヤを退去するに当たって悪巧みをした。機関区画内のキングストンを開いたので汽船は沈没し始めたのだ。しかし開けられたキングストンを我が水兵がすぐに発見してこれを閉じた。さらに錨杜(シトック)の方向を示す小板をみな剥ぎ取ってしまったので我々自らこれを判断しなければならなかった。
昨日もオルタミヤの汽缶付近に我が水兵のいたときに危ないところで汽缶の破裂を免れた。機関士がその不幸を予防することができたからである。もちろん,もし我々さえ注意していれば英国人たちはキングストンを開くことも掲示札を剥ぎ取ることもできない。よく英国人たちを追跡して,1分間たりとも彼らを機関室や汽缶部に入れさせてはならないことは火を見るよりも明らかである。
今日までまだ禁制品を発見せず。禁制品を積んでいると思われた船倉にはすべて石油を積んでいて,その上から大きなブリキで覆われている。船底まで調べるにはすべてのブリキを剥ぎ取らなければならない。

2006/05/21 in ポリトゥスキーの日記 | posted by gen

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