今日は終日あなたに手紙を書くための寸暇をも得ることができなかった。朝,諸艦に出張し,イルツイシにも赴いた。この艦の館内の空気は非常に不潔である。イルツイシの副艦長は艦長に対して何か暴言を吐いたために特別委員会の裁判に付され,裁判は7日に開かれる。
ドイツの石炭船ネウミウミューレンに出張した。この汽船の船長はもちろんロシア語がわからなかったがフランス語は少し通じたので,とにかく必要なことだけは話せた。駆逐艦グロムスキーで朝食のご馳走になった。この艦の舵は大洋の中で修理したものなので潜水夫に確認させようとしたが大丈夫とのことであった。しかし非常に危険である。もし舵が脱落したら駆逐艦はどうすることもできない。かつ敵は身近に迫っているのである。
4時にスワロフに帰艦した。ブイストルイの艦長は書面で出張を依頼してきた。この艦に何かよくないことが生じたらしい。今日は出張できないので,できれば明日にでも出張することにしたい。
続きを読む "5月5日"
ローランドは近くのある湾に赴いた。もし我々も今の碇泊地から放逐されたなら,その湾に入ることになるだろう。ネボガトフ艦隊のことに関しては何らの消息もない。この艦隊はどこに隠れてしまったのだろう。いろいろな汽船でさえこの艦隊に遭遇したという偶然の情報も伝えてこない。
私がグロムスキーに赴いた際に1隻の中国船が来た。その船には2人の安南人と3人の少年が乗っていた。その少年たちは一列に並べられ合掌して伏拝していたので,これは何を意味するのかを聞いたところ,彼ら安南人は少年を売ろうとしているとのこととであった。少年自らがそれを望んでいるのではないが,子供を売るのは疑いもない事実である。子供の売買はこの地では5フランから10フランぐらいで,子豚の値段よりもかなり安いという。それで子供を買い取って,これを奴隷にすることができるのである。しかしこのようなことをするのはいつも憫然な結末を迎え,子供は拒んでなかなか離すことが困難になるという。
我が艦の艦長に駆逐艦で見聞したことを話したが,艦長は何を勘違いしたか私がその子供を買い取ることを望んでいると思い込み,私に買い取ることを思いとどまるように説得した。私はけっして買い取ることを望んでいないことを話して,ようやく艦長の疑念を払拭した。しかし私が家に帰るときに子供または12歳の清国の少年を伴って行くのも一興ではないか。
非常に不可解なことがあった。今日,ボードルイの艦長が会見したフランス海軍の提督はフランス軍艦の行動と所在地について非常に詳細な話をしたのであるが,ここホンコーヘ近傍に停泊しているに違いない駆逐艦のことについては一切話をしなかったというのである。
今日,ウラルとともに哨艦の任務についていたドンスコイは2時ごろに北を指して疾駆する2隻の駆逐艦を発見した。その駆逐艦は,最初は旗を掲げていなかったが,後にフランス国旗を掲げた。ドンスコイはそれで安心し,あえてその駆逐艦に近づくことをしなかったという。もちろんその駆逐艦は何らの妨げを受けることなく疾駆して去っていった。我が提督はじめその他の人々もみな,その駆逐艦は日本の駆逐艦に違いないと確信している。
今夜,陸岸のほうに沿って外洋の方から時々探海灯の光を目撃した。軍艦の探海灯には間違いない。ドンスコイからは,ただ火光を目撃したという報告をしてきただけであった。これは何の火光であろうか。あるいはウラルのものか。もとそうだとすればなぜそうしているのか。そしてウラルはなぜ沈黙しているのか。はなはだ理解しにくい状況である。日中の2隻の駆逐艦の現出と合わせて考えれば,ウラルの探海灯とする見方は非常に不可解である。もしウラルの探海灯であれば,この艦が何らかの怪しいものを発見したからであろう。
全艦隊に警戒命令が下された。ドンスコイが後れてフランス国旗を掲げた駆逐艦に近づきさえすれば事実は最初からはっきりしたはずである。もしその駆逐艦が日本のものであったとしたら,国旗を見て安心して去ってしまった我が駆逐艦の馬鹿さ加減がどれほど嘲笑されたかわからない。自分が望む国旗を掲げることなど簡単なことだからである。何と愚かなことをしたのであろうか。