バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

5月8日

明日ホンコーヘを出航するとのことである。オスラービアに勤務している将校ケデオノフは病院船アリョールで死亡した。明日には彼の水葬が挙行される。
私は旅順艦隊の人員の状態と彼らの士気と秩序とに関して詳細を知れば知るほどこの艦隊が壊滅したのはむしろ当然のことに思え,ますますその滅亡を驚き悲しむ心を感じる。もちろん艦船ははなはだ残念なことをした。日本海軍もまた幾多の大きな誤謬を犯した。
サイゴンから汽船エリダンがフランス国旗を掲げて種々の物資を搭載して来泊したが,私はこの船からあなたからの手紙を入手した。ギンスブルクがサイゴンにいる兄弟メッス(ギンスブルクの本姓はメッスである)に宛ててくれたものである。郵書は非常に少なく,幕僚の中で手紙を受け取ったのは私一人だけであった。私の満足はいかばかりであっただろう。今日は実に幸福な日になった。

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あなたに手紙を認めようとして座ったところに旗艦の副艦長の某氏が来訪し,彼は巻きタバコ4千本を手に入れたので,そのうちの千本を譲ろうと言った。これはロシアタバコであった。これもメッス氏が彼に送ったものである。そのおかげで私は当分はタバコに不自由しないで済むことになった。
エリダンが来泊したのは朝10時半であった。私は安閑として何もせずに座っていた。艦尾の甲板の上にいたが,突然水兵が来て私に一通の書面を渡してきた。私は惘然とした。あまりに不意の出来事だったからであり,喜びは天にも昇るほどであった。とくにわずか1ヶ月前に認められた通信を得たので,その喜びは一層大きかったのである。このとき私の部屋に旗艦の潜水技師の士官が用件があって来訪したが,私が彼に何を話したのかさえ覚えていないほどである。しかし何かを話して用事を済ませた。
エリダンにボルリス大佐が来着した。この大佐は今日まで我が秘密通信員としてバタビアにいた人である。また旅順陥落の数日前に駆逐艦で旅順を脱出する某大尉も来着した。彼ら二人とも艦隊に留まるだろう。ボルリス大佐はアレキサンドルに乗り込むようだが,エリダンは今日出航するとのことである。この手紙をこの船で差し立てることができれば非常にありがたい。

私はあなたの手紙を受け取るとすぐにスワロフに帰ったが,ボロジノに出張することになった。私がこの艦に赴いたときに提督はまだ睡眠をとっておられた(エンクイスト提督のことである)。それから提督を起こして一緒に座ってビールを傾けた。提督は私のためにおいしいご馳走を用意してくれた。
戦争後,我々は提督とともにヨーロッパを旅行するにはどの順序で旅行すべきかといって提督自らその図などを描き始めた。我々はセレブリヤンニコフ等とともに座っていろいろな会話をしたが,そのとき同氏にスワロフからの手紙を手渡した。私は同氏に,手紙が届いていることを知らなかったのははなはだ遺憾であり,もしこのことを知っていたならば私自身で伝達しただろうと話した。
ボロジノで故郷から手紙を受け取る喜びに与ったのは艦長とコチコフの二人だけであった。スワロフの士官の中では私一人である。実に今日という日は私にとってまったく真の祝日となった。
私は6時ごろにボロジノの水雷艇でスワロフに帰り,通信がすでにエリダンに発送されたことを知ってびっくりした。私は大急ぎで5フランの郵券を手に入れてこれを手紙に貼り,それを大きな封筒に入れてメッス(ギンスブルグ会社宛)に送った。この封筒はカッターでエリダンに持って行かせたが,この船はサイゴンに出航するためにいま碇を揚げた。
明日はホンコーヘから出ることになるものと予想している。
ここの現地人は実に不思議である。金や銀のボタン類1個が5フランより高価だと思っている。水兵たちはそれをよいことにボタンで支払い,さらには交換までしていた。
第三艦隊はまだ来航しない。この艦隊から来た手紙はギンスブルグ会社を経て得られたものである。我々の郵便物はこの艦隊にあるのだろう。私はあなたから手紙33通をもらったと記憶している。ノシベに来泊したギンスブルグ会社の汽船レギンは日本人によって拿捕されたのではないかとの虞があることはあなたにも話したように記憶しているが,レギンはモザンビーク海峡(アフリカ大陸とマダガスカルの間の海峡)で難破したということを知った。昼食後,船首のブリッジにいて風が出たら私室に戻ろうと待っていた。ブリッジの中にさえも鼠がいるのを見た。今日,従卒は鼠が私の半長靴を齧ったのを見つけたが,長靴はまだ使えそうだ。

2006/05/08 in ポリトゥスキーの日記 | posted by gen

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