この連載を始めたのは昨年の9月10日である。
私は澪標の会が運営している「日露戦争アーカイブズ」(http://www.miotsukushi.net/)で『100年前の今月』の執筆を担当していたが,その中でもたびたび「ポリトゥスキーの日記」を引用した。
その間にこのBLOGを開設したのであるが,このWeb日記を100年前(正確には101年前だが)にタイムスリップさせて,ポリトゥスキーの日記をその日付で掲載することを思いついた。それによってポリトゥスキーをより確実に追体験でき,それが日露戦争の本質理解の一助にもなるのではないかと思ったからである。
と同時に,おそらくはBLOGで古い日記をその日に合わせて掲載するとなどという試みは,他にはまだないのではないか,つまり新しい試みといえるのではないか,という思いもあった。
こうして,海軍勲功表彰会本部が発刊した『露艦隊来航秘録』(時事新報社翻訳,明治40年11月18日発行)を底本に,今の人たちにわかりやすい文章に改めて発表し続けた。
そして新しい文章に直しながら書き続けていくうちに,他の公的な資料では得られない「真実」が見えてきたように思えてきたのである。そういう意味で,自分にとってこの試みは成功だったと確信している。
ポリトゥスキーは,バルチック艦隊乗り組み技師として大西洋から喜望峰を回ってインド洋を通り,さらに太平洋から日本海まで7ヶ月半にもわたって過酷な航海を続けた。そしてついに5月27日午後2時過ぎにスワロフが砲火を開いて海戦がはじまったのであるが,たった5時間後の午後7時20分にスワロフが撃沈され,それとともにポリトゥスキーも帰らぬ人となった。
7ヶ月半の航海もけっして順風満帆などといえるものではなかった。艦船の故障は毎日のようにあり,その都度ポリトゥスキーは修理に借り出されたし,酷暑や暴風といった自然の猛威に晒される状況も多かったが,それよりも艦隊行動の計画自体がはっきりしないための精神的なストレスは想像を絶するものであった。航海中には多くの自殺者や精神の異常をきたした者がいたこともたびたび日記で触れられている。そうした艱難辛苦の果ての,たった5時間の戦闘ですべての苦労が灰塵に帰すのである。故国に最愛の家族を残して。
戦争とは何と空しいものなのであろうか。つくづくそう思う。