バルチック艦隊技術将校,ポリトゥスキーの日記

ポリトゥスキーの日記を終えるにあたって(その三)

戦場の兵士が日記を付けたという例はないわけではない。というより無数に存在するといってもよいであろう。兵士にもいろいろいるから,戦火の中でも状況を克明に書き綴った几帳面な人も多いのである。
世の中には「日記文学」というジャンルがあり,これらも多くの読者を掴んでいる。たとえば永井荷風の『墨東奇譚』などはそのひとつである。非常に生々しい記述であるが,本当の意味での日記とはいえない。なぜなら最初から読者を意識して書いており,推敲段階でさまざまな脚色が行われているからである。あくまでも「文学」としてみなければならない。
それに較べると戦場で書かれた日記は脚色の余裕などほとんどないので,生の言葉が伝わってくる。そこに価値があるといえよう。日露戦争に従軍した茂沢祐作(もざわゆうさく)という上等兵(後に伍長)は,明治37年2月5日から翌明治38年12月30日まで,戦地の中でも書き続けた。黒木為楨第一軍に所属したので,九連城,鳳凰城,遼陽と,まさに陸軍のメインストリートを戦いながらの日記であった。
明治天皇がロシアとの国交断絶を裁可したのが明治37年2月3日,そして茂沢祐作が日記を書き始めた2月5日には第一軍に動員令が下されている。
このような状況下で茂沢は日記を書き始め,戦争が終わって12月15日に帰国,同月23日には凱旋更新を行っているが,12月30日に「今日の正午をもって連隊の復員事務完結を発表したそうだから,この日誌も正午までにやめ」ようということを書いて700日に及ぶ日記の筆を擱いた。
ポリトゥスキーが逐次,ヨーロッパに帰る船や停泊している港の郵便局から妻の元に送ったのに対して,茂沢祐作は最後まで肌身離さずに自分で持っていたという違いはあるが,どちらも脚色をせずに見たまま聞いたままを書き綴ったという点で共通する価値ある日記となった。
茂沢祐作の日記は『ある歩兵の日露戦争従軍日記』として思草社から発行されている(兵頭二十八解説,2005)。これも一読を勧めたい。

2006/05/26 in 日記解説 | posted by gen

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